映画『聖地には蜘蛛が巣を張る』物語ネタバレ「イスラム教が嫌いになるかもしれない」




「イラン政府が激怒したタブーに触れた」映画『聖地には蜘蛛が巣を張る』物語ネタバレ!敬虔なイスラム教徒による連続売春婦殺人事件の犯人の表の顔と裏の顔、事件を追うジャーナリストの女性が直面する男尊女卑の思想の壁と迫害など、見る人の心を穿つ作品です。

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あらすじ

ジャーナリストのラヒミは、マシュハドで発生した「蜘蛛殺し」と呼ばれる被害者が全て娼婦の連続殺害事件を追っていた。捜査に消極的な警察に不信感を抱いたラヒミは、犯罪を追う地元の記者と手を組み、遂に、犯人が退役軍人のサイードで、彼は神から授かった仕事として「罪人の街を浄化している」という動機に基づいて犯行を繰り返していることを突き止める。しかしサイードには、彼の犯行をヒーロー的と崇める熱狂的な支持者がおり、イランの性差別的な文化の中で、彼を断罪することが困難な状況に陥ってい

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映画内のイスラム教、男尊女卑、ヒジャブについて

この映画では日本人ではほぼ理解できないイスラム教の聖地で起きた殺人事件について描かれた作品だが、なんとなく男尊女卑がすごい国なんだな程度の認識でも良いが、もし、ほんの少しだけでも興味があるのなら、この記事を読んで欲しい。面白さが2割り増しぐらいにはなると思うので読んでほしい。

まず1つ目、イスラム教の性へのタブーについて

このドキュメンタリー映画の監督インタビューでわかりやすくイスラム教徒の性についてが、読みやすくまとめられているので一読する価値があります。サイトはこちら。

この記事ではイスラム教は「男尊女卑」ではなく、「社会的役割分担の違い」であって、「女性は保護されるべき存在」とか言われています。が、どう見ても拡大解釈されまくり、実際に男尊女卑の精神が蔓延しているようにしか見えず、性犯罪が起きまくっていること。

そして、性犯罪には厳格な処分があると言われているが、その反面、だから“死ぬ気で隠す“ため、表に出ない犯罪が死ぬほどあるはず、という背景なども書かれていたり、この更生施設にいる少女は全員親族から性被害を受けているなど、読みやすく怖いイスラム教の話が記されています。

その2、ヒジャブをつける理由。

ヒジャーブ(スカーフ)は、イスラム教の女の子たちは、イスラム教の経典コーランにおける神の教えに従いヒジャーブを着けます。
神は、貞節な女性たちに「目を伏せ、プライベートな部分を守り、(魅惑させないよう)飾らず」にと伝えています。これは、女性たちが名誉と尊厳を維持し、謙虚さを保ち、性欲的な外的要因を取り除くことで、社会でイスラム教徒として認められ、虐げられることを防ぐためです。
若い女性が思春期に達すると、頭をスカーフで覆うことが義務になります。

ヒジャーブを着けることで、女性たちは、愛、プライド、エンパワーメント、満足感、充実感、抵抗心、さまざまなプラスの感情を表現することができます。
でも、悲しいことに、それは憎しみ、困惑、哀れみ、そして軽蔑感などネガティブな感情の引き金にもなります。ある人にとってはヒジャーブの着用は抑圧であり、またある人にとっては自由な選択です。アイデンティティの印として身につける人もいれば、精神性の証として身につける人もいます。
通常、女の子は親族関係にない男性の前や、結婚者側の家族にいる男性メンバーの前でヒジャーブを着用することを求められます。着用は家の中と外の両方で、周りのアブない男性から、ホコリや有害な紫外線から、その他予想外の害を及ぼすすべてのものから女性を守るためです。

ヒジャーブ(スカーフ)って何?イスラム教徒の女性はなぜヒジャーブを着けるの?

これらを読み、多少、イスラム教、、、、やべぇな。

とか思って、見ると、うわ、ってなるかなと思います。

余計なことかもしれませんが。

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映画『聖地には蜘蛛が巣を張る』物語ネタバレ

イランの聖地マシュハド、一人の母親が幼い娘を養うため、夜の街に繰り出し売春婦として客取りをしている。この国では男尊女卑が酷く、男による売春婦への対応はひどく暴力的となり、乱暴に扱われ、事後に少ないお金を握らせて捨てられるなど、客を取るたびに心と体に傷を増やしていた。

バイクに乗った男に誘われるがままついていくと、彼女のつけていたスカーフで首を絞められて殺されてしまう。死体を荷台に乗せた男は、バイクで山に向かうとそのまま道端に捨てられてしまう。

走り去るバイクの向かうマシュハドの都市部が映し出されるが、上空から見ると蜘蛛の巣のように見える。そしてタイトルコール。

ジャーナリストのアレズー・ラヒミ(エブラヒミ)は、この付近で発生している路上売春婦の連続殺人事件を調査する。首都についた彼女は、聖地の習わしに合わせヒジャブ(スカーフ)をかぶり事件の捜査に向かう。ジャーナリスト仲間のシャリフィ(アラシュ・アシュティアニ)警察や裁判所を訪れ殺人鬼の様々な行動が明らかになっていく。それ以上に、“女が何をでしゃばってるんだ?“という男たちの悪意ある目線や態度など、差別的な対応を乗り越えてわかったことがある。殺人鬼の殺害のパターンは決まっており、売春婦をバイクに乗せて人気のない場所に連れて行くと、被害者自らのスカーフで首を絞められ殺されると、ゴミ捨て場に捨てられるのだ。

この街は危険だ、ラヒミが夜に一人で歩いていると、背後からバイクに乗った男につけ回されるのだ。

殺人鬼、アジヒの私生活が映し出される。彼は低賃金の労働者として、日々肉体を酷使する日々の合間に、敬虔なイスラーム教徒として過ごす日々も描かれている。

家に戻ると3人の子供と、思いやりのある美しい妻がいる、家族思いの男として振る舞っている。イラク戦争からの退役軍人仲間と会合を開き、殉教(戦争で死ねなかった)を果たせなかったことへの後悔の念が拭えずにいた。敬虔な教徒だからこその葛藤が、彼の精神を蝕んでいるのか、笑ってピクニックをしていると思ったら、ボールを当ててきた息子に襲い掛かろうとしたりと情緒がおかしいシーンが描かれる。

家族がいない日、アジヒは車に売春婦を載せて自宅に招き入れた後、いつものようにスカーフで首を絞めて殺す。夫を心配して帰宅した妻にバレないようにアジヒは、締め殺した死体を絨毯の中に隠す。その後、夜になり妻とセックスをしていると、アジヒは部屋の片隅にある包んだ絨毯から足がでているのを見て、興奮している様子が映し出される。

アジヒが捨てた遺体の現場検証が行われていた。ラヒミとシャリフィが遺体の顔を見ると、ラヒミがファストフード店で話をした売春婦だったため、彼女は狼狽して吐いてしまう。

ラヒミのいるホテルに捜査協力をしている警察官のロスタミ(シナ・パルヴァネ)が訪れ、最初は愛想がいいように見えたが、遠回しに寝るように言って切っため、ラヒミが拒絶すると突然笑みが消え失せるとやんわりの彼女を否定して脅した後退出する。

アジヒの凶行は止まらない。ある夜、姉さん女房タイプの売春婦が、アジヒに対し上から目線で対応されたことに頭に来たため激しく彼女を殴りつけた後、手で首を絞めて殺す。殺した後、彼女のバカにしたような笑い声の幻聴が聞こえたアジヒは、遺体の顔と首を踏みつけて優位性を誇示した後、遺体を捨てていくのだった。

やがてラヒミとシャリフィは、犯人の殺害パターンから推測して、彼の“仕事“現場を絞り込みラヒミが囮調査を行う。予想通りアジヒが現れ誘いに乗り車で自宅に連れて行かれる。

ラヒミはボイスレコーダーを作動させて待ち構えると、アジヒは早速ラヒミのスカーフでしめ殺そうとしてくる。昨夜の殺人で手を痛めていたアジヒは、手の痛みで締める力が緩んだタイミングでなんとか逃げ切る。アジヒはついにバレてしまったことを嘆き悲しむ。

エンディングネタバレ

翌朝、アジヒのもとに警察が訪れ彼は逮捕される。裁判になり彼女のボイスレコーダーの証拠や、彼女の行動により立ち上がった遺族たちが証言台に立つ。アジヒの立場は悪くなる一方と思われたが、裁判所の外では、アジヒが行なっている街娼撲滅運動を支持する国民が大勢集まり、アジヒの釈放を求める声が上がっていた。

活路を見出したアジヒは、自身が敬愛する、8代目イマームと神のために行ったのだと宗教的な理由で殺害を行なったと主張する。しかしそれがまずかった。検察側とイラン戦争の退役軍人会の支援者たちが獄中のアジヒを訪ね、死刑執行の日に車で連れ去ることを約束するから罪を認めろと言ってきた。同志が助けてくれるなら、とあっさりと罪を認めて死刑が宣告される。

しかし死刑執行当日、そこには誰も現れず、狼狽するアジヒに対し無慈悲に絞首刑が行われる。

夜、ラヒミとシャリフィが別れの挨拶を交わし、彼女がバスに乗って帰る。

アジヒの息子アリが妹を売春婦役をさせて、自分の父親がいかに不浄な売春婦を、圧倒的な力で殺したかを誇らしげに説明するシーンが描かれる。

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海外の反応評価 メタスコア66

8/10
ペルシャの迫害…
殺人鬼がマシュハド市の街を徘徊し、反省も後悔も恥も見せず、殺した女性に同情もしない。
自称1人の自警団として、スリルを味わうのは間違いない。あるジャーナリストが、男性中心の文化の中で調査を始めます。しかし、彼女は粘り強く、非常に勇敢に、少女たちが墓に行くのを止めようとし、何世代にもわたる偏見に苦しむことになるのです。
この作品は、不満や不満で心を病んだサイコパスが、生きるために路上で身を売るしかなかった(結果的にそうではなかった)数人の女性の命を奪うことを決意するまでの出来事を残酷に描いている。犯人を追い詰めるために自らの命を危険にさらす頑固で執拗なジャーナリストを演じたザール・アミール=エブラヒミが見事だと思った。

10/10
私が好きな映画のすべてを兼ね備えている
すべての人は、自分が避けたいと思うものに出会うだろう。- 古代ペルシャのことわざ
表向きは敬虔なシーア派イスラム教徒で、献身的な家庭人だが、夜になるとバイクに乗って風俗嬢を探し、殺害し、死体を野原に遺棄する。悪徳と不道徳に対するたった一人のジハードである。マスコミが騒ぐ中、テヘラン出身の女性ジャーナリスト、ラヒミは、たった一人で犯人を追い詰めることを誓う。
『聖地には蜘蛛が巣を張る』は、1年の間に16人のセックスワーカーが殺害されたイランのマシュハドで実際に起こった事件に基づいている。この映画は、イランで横行する古くからの女性差別を暴くという点で、別の意味でリアルである。現在、イランでは、スカーフを正しく着用しなかったという理由で「道徳」警察に逮捕された女性が、刑務所の独房で死亡するという事件が発生し、抗議活動が展開されている。被害者の親族を含む多くのイラン人は、亡くなった女性は “不道徳 “であったために価値がなく、その運命に値すると信じている。ラヒミはこの極端な偏見と、大量殺人犯と同じように戦っている。
『聖地には蜘蛛が巣を張る』は、私が映画について好きなものすべてを兼ね備えている。アンダーグラウンド、遠く離れた多様な土地、負け犬の主人公、よくできた会話、スタイリッシュな写真と衣装、グラフィックノベルに基づく幻想的で型破りなストーリー、そしてゾッとするような催眠効果のある音楽が垣間見える。

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まとめ

本当にあった事件を元にした作品らしく、この判決なども事実らしい。

多少退屈だったが、殺害シーンはリアルで、小さな衣擦れの音、演技、口から漏れる声と空気まで全てがリアルに描かれているので背筋が凍るような恐怖を感じた。

監督の背景は知らないし、この映画を見るまでイスラム教からイランの聖地について何も知らなかったが、映画を見終わった後、この監督は、“嫌イスラム教”なのだな。と思った。

リアルに淡々と、未来ある女性があっさりと殺されてゴミ捨て場に捨てられていく様、はエンターテイメントとはかけ離れたもので、彼女たちの死はエンタメでも演出でもなく、事実だと見せつけられたようにも思う。

どんなに敬虔な教徒だろうとも、殺人は殺人である。この劇中の殺人鬼はただのサイコパスである。(だから最後に仲間に裏切られたんだろうけどさ)

デモ対が殺人犯を支持するとかやべぇなと思ったりするが、この日本でも首相を暗殺した男を支持する人が一定数いることがわかり、自分とは相容れない思想を持つ人はいるのだ。程度の線引きで忘れるべきか。

映画だからと明日には違う映画のタイトルを検索すべきか。

色々と考えさせられた。

が、多分私は明日普通に仕事行くし、イランのことも忘れるだろうなと。

正直にいうと、アジヒの行動が自分の父親に似てて怖い。だから心にダメージがキツイ。

そういえば、イランはこの映画をイスラム教を侮辱したと激怒したらしい。

蚊帳の外である我々視聴者は、うわ、イラン怖いな。と思えば良いだけである。

モヤモヤする・・・。

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