映画『アグリーシスター 可愛いあの娘は醜いわたし』あらすじ結末ネタバレと海外の感想評価まとめ

身体醜形障害を患うシンデレラの義姉が主人公のゴア表現キツめのボディーホラー映画『アグリーシスター 可愛いあの娘は醜いわたし』あらすじ結末までネタバレ解説。グリム童話版の過激なシンデレラ物語を再解釈しIMDb 7.0/10、RT 96%と世界中で高評価を獲得。

本作はエミリー・ブリッチフェルト監督の長編映画初作品であり、グリム童話のシンデレラを逆転させた視点から描く、極度のボディホラーとブラックコメディが融合した異色のホラー映画だ。

ジャンルはホラー・コメディ・ドラマで、制作国はノルウェー・デンマーク・スウェーデン・ポーランドの四ヶ国共同制作。IFC Filmsがアメリカ国内配給を担当し、世界全体で約460万ドルの興行収入を記録している。主演はレア・ミレン(リー・マイレン)がエルヴィーラ役を、テア・ソフィー・ロッハ・ネス(Thea Sofie Loch Næss)がアニェス役(シンデレラに相当)を演じている。その他の重要な登場人物としてはアネ・ダル・トルプがレベッカ(継母)役を、フロ・ファージェルリがアルマ(末妹)役を演じている。

本作は2025年1月のサンダンス映画祭のミッドナイト部門で初上映され、その後2025年2月のベルリン国際映画祭のパノラマ部門で選出された。グロテスク映像とフェミニスト批評を融合させた作品として、海外の映画評論家たちから大きな関心を集め、前年の『ザ・サブスタンス』(2024年)に比肩する高い評価を受けている。

本記事では、映画『アグリーシスター 可愛いあの娘は醜いわたし』の結末まで含めた完全ネタバレを掲載している。以下のコンテンツは映画本編の重大な展開や結末に関する詳細なネタバレを含んでおり、映画館で鑑賞してから読むことを強く推奨する。 また本作は極度のボディホラー表現を含むため、生理的に不快感を覚える可能性のある内容に留意されたい。


『アグリーシスター 可愛いあの娘は醜いわたし』物語結末ネタバレ

ここから先は『アグリーシスター 可愛いあの娘は醜いわたし』の最重要となる展開とラスト結末を含む完全ネタバレとなるため映画館での鑑賞後の参照を推奨する。

本作はシンデレラという古典的な童話を、その劇的な美と破壊、光と影の両面から再解釈した衝撃的なホラー映画であり、伝統的なおとぎ話の価値観を根底から揺さぶる作品である。

貧困と絶望の深淵

ここは架空の王国「スウェッドランディア」

未亡人レベッカ(アネ・ダル・トルプ)はエルヴェラ(レア・ミレン)とアルマ(フロ・ファージェルリ)二人の娘を連れて、一人の富裕な男オットーへ嫁ぐシーンから物語は進む。

晩餐会が開かれるが、オットーの美しい娘アニェス(テア・ソフィー・ロッハ・ネス)は気品ある淑女だが、オットーは人を貶し見下すタイプで、人よりも劣る容姿の新たな娘のエルヴェラとアルマに対し食事を投げつけて笑うなど前途多難な新生活が幕をあける。

が、突然、何の前触れもなくオットーは死去してしまう。しかも、実はオットーもそれほど裕福ではなく、それどころか遺産すら存在しないことが判明、レベッカに残されたのは債務と美しい娘アニェス、そして醜い姉妹の3人娘だけとなる。

困った状況になったレベッカ一族だが、王国から王子の花嫁を決める舞踏会の招待状がアニェスとエルヴィラに届く。エルヴィラは自身の容姿を嫌ってはいるものの、脳内はいつも白馬の王子が迎えにきてくれると夢見る乙女だったこともあり、感情が大爆発し大喜びする。

美しさへの執着と自己破壊

家族の生計を救う唯一の方法として、レベッカはエルヴィラに対して極端な美容治療を施すことを決める。

しかし17世紀の医療技術での美容整形は過酷で、怪しいドクター・エステティック(アダム・ルンドグレン)はレベッカの指示でエルヴィラの矯正器具が取り外し、鼻の大きさを整形するため遠慮なく鼻の軟骨を麻酔なしノミとトンカチで削ぎ落とされていく。あまりの凄惨な光景に妹のアルマが目を背け隣の部屋に目をやると、隣の施術ベッドの足元には大量の血溜まりと雑巾で拭き取るメイドの姿を目にする。ここから彼女の過酷で過激で刺激的な妄信的な美容医療の道が始まる。

ある夜、皆で質素な食事をとっていると、アニェスが亡くなったオットーが腐り始めているので葬式の日程を決めたいと伝えるが、レベッカは舞踏会の後にしろと冷たくあしらう。葬式にはお金を出さずエルヴィラの莫大な美容費用ばかりを使うのはおかしいのではないかと食い下がるアニェスに対し、レベッカは舞踏会で王子に嫁ぐのはエルヴィラだからと冷たく答え、レベッカは実子ではないアニェスに微塵も権力も金も協力すらもするつもりはないと暗に伝える。

舞踏会に参加予定の30人前後の若い女性が集まり王子の舞踏会に相応しい淑女(レディー)になるためのレッスンが始まる。目立つ美貌と気品を持つアニェスは常に注目の的で、全てが平凡のエルヴィラは劣等感を隠せずにいるが、ある時、踊りのレッスン中、中央で踊っていたエルヴィラを止めると、コーチはあなたの母親からお金をもらっているからここにいさせているだけで、誰もあなたに期待していない、踊りも美貌も才能がないと言い放つと、中肉の顎周りをぷにぷにと掴み除け者にする。

痩せるのに必要なのは寄生虫

家に帰るとレベッカはアニェスのドレスをエルヴィラに着るように命じるが、どんなに努力しても太ったエルヴィラはドレスを着ることができず絶望すると、服を脱いで太った体を見て嘆くも食欲には抗えず隠し持っていたケーキを貪り食べてしまうのだった。

翌日落ち込むエルヴィラはレベッカに太って醜い私に王子は振り向くのか不安だと伝えると、レベッカは手術あとが痛々しいエルヴィラの鼻に触れ「大事なのは外見ではなく中身」と自己肯定力を高める優しい言葉を伝えながらエルヴィラの手に小さい金属の箱を渡すのだった。

妹のアルマとピクニックに出かけたエルヴィラは母からもらった箱を開け「サナダムシ」の卵だと説明し、飲み込むことで食べ物の栄養を全て虫が食べてくれるから綺麗に痩せることができるのだと説明する。アルマは訝しむが、エルヴィラは王子と結婚するまでの辛抱だし、痩せることができたら解毒薬を飲むだけだと伝えるも、アルマはエルヴィラは頭がおかしいと吐き捨て立ち去ってしまう。

立ち去るアルマを見送るエルヴィラだったがすぐに妄想の王子との結婚を夢見てサナダムシの卵を口に含むのだった。

アニェスの弱み

しかし、実はアニェスは隠れて王国の馬屋番の青年アイザックと会って愛を育み続けていた。青年は王子との舞踏会を控えるアニェスに対しもう会うのは止めるべきだと伝えるが、青年にぞっこんなアニェスはあなた以外愛せないと伝え納屋の奥に青年を連れていく。

サナダムシを飲み込んだエルヴィラが男たちの声を聞いて覗きにいると、立ち小便をしている結丸出しのジュリアン王子を思い描いたものではないもののついに邂逅を果たす。が、王子の股間に見惚れていたエルヴィラに対し、狩猟仲間の青年たちが王子とやるチャンスだと馬鹿にするが、エルヴィラを一目見た王子はそんなことはあり得ないと明確にエルヴィラを拒否するのだった。

嘆き悲しみながら家に戻ったエルヴィラが声がした馬屋を覗くとアイザックとアニェスがセックスしている姿を目の当たりにしてしまう。(気配に気付いたアイザックは驚いたと同時に果てて藁に大量の聖液をぶちまける)

逃げたエルヴィラは速攻でレベッカにチクる。

翌朝、鬼の形相で怒り狂うレベッカはアニェスに厳しい体罰を与えた後、アイザックに石を投げつけクビにして家から裸で追い出す。その様子を見ていたエルヴィラは笑みを抑えることができず、穏やかな表情に戻りケーキを好きなだけ頬張ると良い夢を見ながら眠りにつくのだった。

美容外科沼へようこそ

ついに鼻の忌々しい器具を取り外したエルヴィラは見違えるように美しく伸びた鼻を手にいれ有頂天になる。が、外で牛の番をするアニェスの見すぼらしい姿を見たエルヴィラは私にはまだ足りない、もっと美しくなりたいと再び美容整形を行う決意をする。

エルヴィラはすぐにドクター・エスティックを訪れまつ毛の移植手術を行うが、例によって麻酔なしで直接瞼に針を刺す凄惨な外科手術が行われ、その痛みは凄まじく包帯でぐるぐる巻きになったエルヴィラは痛みで眠ることができず悶え苦しむ。さらに空腹でお腹が大きな音を立て、お腹の中のサナダムシが巨大に成長してエルヴィラの栄養分を根こそぎ奪っている様子も描かれる。空腹に耐えきれず目が見えない状態で台所を彷徨うエルヴィラの手にケーキを手渡したのは、アニェスだった。彼女は姉にどんなに裏切られても冷たい態度をとることができなかったのだ。

母の裏金のおかげでレッスンでも上位に食い込み自信を持ち始めたエルヴィラは、アニェスの優しさを勘違いし、まるで召使のようにこき使うようになる。それでも従順で優しさと気品を失わないアニェスに対し劣等感が募る一方でストレスで抜け毛が目立つようになり、暴飲暴食に走流ようになる。

レベッカはエルヴィラには上等なドレスを仕立てるもアニェスには何も渡さない。腐敗し始めている父親の亡骸の前で泣いていると夢で母親の幻影が現れ、アニエスにドレスと白い靴をプレゼントする。

結末ネタバレ:自己破壊と逆転

舞踏会の当日、エルヴィラは円形脱毛症を隠すために上等なウィッグを装着して自信満々でレベッカと共にお城に向かう。整形を経て自信を手に入れたエルヴィラは王子を虜にしてダンスの相手に選ばれるが、音楽を遮るほど美しい青いドレスを纏ったアニェスが登場したことで自体は一変する。一目で心を奪われた王子はすぐにダンスの相手をアニェスに変更して全てが終了してしまう。

舞踏会は続いているものの、心を打ち砕かれたエルヴィラが退出して控室で激しく嘔吐すると、大量のおぞましいサナダムシの卵を吐き出し、泣き叫ぶ。慌てて駆けつけたレベッカに泣き言を言うが、レベッカは王子がダメなら他の富豪と結婚すれば良いと引っ叩き無理やり舞踏会に参加させる。

心ここに在らずなエルヴィラがさまざまな富豪の卵たちと嫌々踊り続け、クライマックスで王子と踊っていたアニェスと目が合うが、アニェスは悲痛な表情を浮かべると、王子の手を振り解きお城から飛び出していく。その行動すらエルヴィラをひどく傷つけるのだった。

王子はアニェスの残した靴を手に、この靴の持ち主と結婚すると宣言する。慌ててエルヴィラが屋敷に戻ると、服を着替えネズミの餌やりをしているアニェスの姿に腹を立て包丁を片手に襲いかかるが、レベッカに止められてしまう。

全てがうまくいかないエルヴィラはアニェスの靴を片手に自室に閉じ籠り、靴を履こうとするが子供と大人ぐらいのサイズの差があり、絶望するが、ずっと持っていた包丁を見て何かを決意したエルヴィラは、靴のサイズに合わせて足を切断する暴挙に出る。

しかし綺麗に指を落とせずはずもなく、骨の中あたりで刃が止まり絶望の鳴き声をあげていると、現れたレベッカが薬でエルヴィラを眠らせると、悪くない考えだと呟き、なんと包丁でエルヴィラのやり残した切断を再開し、足を切断していくのだった。

無事に王子の靴を履くことができたエルヴィラは、それが夢だと気がつき目が覚める。

外では、靴の持ち主を探す従者たちの声がする。

慌てて外に出ようとするが、レベッカはしっかりと仕事を遂げており、足の3割ぐらい削られたエルヴィラは激痛を堪えながら這いつくばって玄関に向かうが、最後の階段で盛大に顔から落ちたことで、整形部分は潰れ歯は抜け落ち、元以上の醜い姿となって玄関にたどり着くが、その扉を開いたのはアニェスだった。

アニェスのいる外は白く輝き、エルヴィラはどうしようもない差に涙を流すと、アニェスは同情した表情を浮かべながら王子の手を取り立ち去っていく。

泣き叫ぶエルヴィラを助けたのは妹のアルマだった。アルマはエルヴィラをお風呂に入れるとサナダムシの下剤を飲ませると、エルヴィラの口から出てきたのは大人の親指ほどの太さに成長したサナダムシだった。アルマの力を借りて10m以上の虫を吐き出すと、それがふただったのかその倍以上の大量のサナダムシを口から吐き出す姉の姿を見たアルマは恐怖するも、姉を苦しめた寄生虫を敵を討つかのように一匹一匹ナイフで切断して殺していく。

次にアルマは、屋敷の金目のものをかき集める。レベッカはお城から持ち帰った男とまぐわっているのを横目に金目のものを盗んでいく。行為をしながらアルマの行動を見ていたレベッカは、何かを悟り、すぐに性行為を再開する。

アルマはボロボロの姉の手をひいて馬に乗ると、2人で微笑みながら一緒にどこかに旅立つのだった。

エルヴィラの吐き出したサナダムシを食べるカラスの姿が映し出され物語は終了する。


参考:IMDb – The Ugly Stepsister

『アグリーシスター 可愛いあの娘は醜いわたし』作品情報

本作のエミリー・ブリッチフェルト監督と主演女優レア・ミレンの経歴を紹介していく。映画『アグリーシスター 可愛いあの娘は醜いわたし』は2025年の独立系映画祭における最も注目を集めた作品の一つであり、その大胆な表現と社会的メッセージによって、映画評論家とホラーファンの両者から高く評価されている。本セクションではこの作品を支える主要人物の背景を詳しく説明する。

興行収入と国際的評価

『アグリーシスター 可愛いあの娘は醜いわたし』はノルウェー・デンマーク・スウェーデン・ポーランドの四ヶ国による共同制作作品である。北米での興行収入は約31万ドルであったが、世界全体では約460万ドルの興行を達成し、特にヨーロッパ地域での商業的成功が顕著であった。Sundance Film Festivalにおける初上映から数ヶ月以内に、Berlin International Film Festivalに選出されるなど、国際的な映画祭での高い評価を受けている。

エミリー・ブリッチフェルト監督情報

エミリー・ブリッチフェルト(Emilie Kristine Blichfeldt)はノルウェーの映画監督・脚本家であり、『アグリーシスター 可愛いあの娘は醜いわたし』は彼女の長編映画デビュー作である。彼女は北極圏の小さな村で成長し、13歳でアメリとの出会いを通じて映画への興味を深めたという。その後、デンマーク映画学校(The National Film School of Denmark)で映画教育を受け、本作をきっかけに映画製作について本格的に追求することになった。

ブリッチフェルトの映画的影響源は多岐にわたっており、デビッド・クローネンバーグの『クラッシュ』(1996年)、ダリオ・アルジェント、ルチオ・フルチらのイタリア映画、そしてジュリア・デュクールノーの『ロー』(2016年)などのボディホラー映画から着想を得ている。彼女は伝統的なシンデレラ物語を再読し、グリム童話版における継姉たちの足の切断というグロテスクな要素を映画化の中核に据えることを決定した。彼女の作品は、単なるホラー映画としてではなく、美貌と消費主義、そして女性への社会的圧力を批評する作品として位置付けられている。

主演エルヴィーラ役「レア・ミレン」情報

レア・ミレン(Lea Myren、本名:Lea Mathilde Skar-Myren)はノルウェーの若手女優であり、『アグリーシスター 可愛いあの娘は醜いわたし』は彼女のスクリーン初出演となる。

ミレンはこの作品のために数百人の候補者の中から選ばれ、ブリッチフェルト監督により「映画の感情的中核として不可欠」と評された。彼女の演技は、エルヴィーラの心理的脆弱性と肉体的苦痛を同時に表現するという極めて難しい役割を見事に達成している。映画において彼女が経験する一連の身体的変化と心理的絶望は、単なる演技的素晴らしさを超えて、観者に深刻な感情的共感をもたらすのだ。彼女のスクリーン初出演がこれほどの高い完成度を達成したことは、映画業界において彼女の将来に対する高い期待を生み出すことになった。


海外の感想評価まとめ

『アグリーシスター 可愛いあの娘は醜いわたし』は全世界の映画評論家から多くの関心を集めており、複数の評価サイトで様々な見解が交わされている。その評価は極度に高い肯定的なものから、批判的なものまで様々であり、映画評論家たちの間でも意見が分かれている。本作の評価スコアは、同年の『ザ・サブスタンス』(2024年)と比較されることが多く、ボディホラーとフェミニスト批評の融合という点で高く評価されている。以下、三大レビューサイトでの反応を見ていこう。

IMDb(総合評価:7.0/10)

① 映画『アグリーシスター 可愛いあの娘は醜いわたし』は、伝統的なおとぎ話の枠組みを完全に破壊し、その中に極度のボディホラーを注入することで、新しい形態のホラー映画を実現した。グロテスク映像とブラックコメディ、そしてフェミニスト的な社会批評が完璧に融合しており、単なるゴア映画の域を超えた深い思想性を保有している。

② 監督ブリッチフェルトは、美しさへの執着がいかに女性の心身を破壊するのかを、直接的で一切の隠喩なき映像表現によって示しているのだ。マルセル・ジスキンドの撮影は、美しいおとぎ話的空間と凄惨なグロテスク映像の対比を完璧に表現しており、その視覚的な衝撃は観者の意識を完全に支配するのだ。

③ レア・ミレンの演技は、彼女のスクリーン初出演とは思えぬほどの完成度を示しており、エルヴィーラという複雑で悲劇的な人物像を完璧に体現している。彼女の身体的表現と感情的演技の融合により、映画全体が単なるゴア映画ではなく、深い人間ドラマへと昇華しているのだ。

④ 映画全体の構成とペーシングは、極度に高度な計算に基づいており、グロテスク映像と心理的緊張のバランスが完璧に調整されている。観者は笑いと恐怖の間を揺さぶられ続けるのだ。

IMDb – The Ugly Stepsister

Rotten Tomatoes(批評家:96% / 観客:63%)

① 『アグリーシスター 可愛いあの娘は醜いわたし』は、古典的なおとぎ話に対する最も大胆で刺激的な再解釈として高く評価されている。映画評論家たちのコンセンサスは「古典的なおとぎ話に槌とのみを振るう、その大胆なゴア表現と逆転的な社会批評は、悪夢を作るに値するものである」と述べているのだ。

② 映画がいかにして美しさという社会的期待に支配された女性の自己破壊を描くのか、その手腕は極度に高度である。社会的な美貌への執着がいかなる結果をもたらすのか、映画は直視できないほどの詳細さで映し出すのだ。

③ 映画の視覚的美学は、極端であると同時に洗練されており、おとぎ話的な優雅さとグロテスク映像の対比が、作品全体に深い意味論的な層をもたらしているのだ。

Rotten Tomatoes – The Ugly Stepsister

Metacritic(総合評価:70/100)

① 『アグリーシスター 可愛いあの娘は醜いわたし』は、複雑で多面的な作品として評価されている。その大胆さと社会的メッセージの重要性が認識される一方で、その実行においてはいくつかの欠陥が指摘されている。映画のペーシングが不均等であったり、キャラクター発展が十分でない部分があるという批判も存在するのだ。

② しかし映画が提示する根本的な問題──美しさへの強迫観念がいかに自己破壊につながるのか──というテーマは、極度に現代的で重要な社会批評を含んでいるのだ。その批評性の強度が、映画の技術的欠陥を相対化するほどの力を持つのである。

③ 映画全体の構成と映像的表現は、野心的かつ革新的であり、伝統的なホラー映画の文法を超越した新しい形態のおとぎ話映画を実現しているのだ。

Metacritic – The Ugly Stepsister

批評家レビュー

映画『アグリーシスター 可愛いあの娘は醜いわたし』は多くの著名な映画評論家から個別の分析と評価を受けており、その革新的な表現方法と社会的メッセージについて様々な角度からの考察がなされている。以下、主要な映画評論媒体による詳細なレビューを紹介する。

Roger Ebert 批判的肯定

リック・グルーイン氏「美しさの代償は血と肉である。」

ロジャー・エバート・サイト掲載のレビューは、『アグリーシスター 可愛いあの娘は醜いわたし』を「内面の美しさを発見しなさいというメッセージは存在しない、むしろこの映画は極度に過激で警告的である」と指摘している。映画は美しさへの執着がいかに女性を破壊するのかを、一切の隠喩や間接的表現なしに直接的に映し出すのだ。その過激さは、単なる衝撃狙いではなく、社会的な美貌への執着という現実の狂気を映像化する試みなのである。レビュアーは特に、映画が「『ザ・サブスタンス』よりもさらに汚らしく、怒りに満ちており、より生々しい」点を指摘し、それが映画の本質的な力であると評価している。映画はおとぎ話というジャンルを完全に否定し、その代わりに現実の残虐さを映し出すのだ。

評価点 映画のビジュアル美学、特にマルセル・ジスキンドの撮影によるおとぎ話的空間とグロテスク映像の対比が完璧に実現されている点が高く評価される。また、レア・ミレンの感情的表現力と身体的表現が、映画全体の説得力を大幅に高めているという点も強調される。

批判点 映画が同じポイントを何度も繰り返し主張することで、ナレーティブの進行感が損なわれているという批判がある。また、その極度なグロテスク映像が、すべての観客に受け入れられるものではなく、むしろ多くの観客を排除する傾向があるという指摘もある。

(Roger Ebert – The Ugly Stepsister)

The Guardian 高評価

ピーター・ブラッドショー氏「シンデレラ物語への最も大胆な逆転。」

ガーディアン紙の批評家ピーター・ブラッドショー氏は、『アグリーシスター 可愛いあの娘は醜いわたし』を「映画『ザ・サブスタンス』と同様に、ブリッチフェルト監督は女性が社会的期待に支配されるプロセスを極度にグロテスクに映し出している」と評価している。映画は、シンデレラ物語が本来含む性的・家父長的イメージの隠喩に気づいており、それを意図的に剥き出しにするのだ。特にブラッドショーが強調するのは、映画がアンジェラ・カーターなどのポストフェミニスト伝統に属していること、そして1977年のポルノ映画『マイケル・パタキのシンデレラ』とは異なり、靴のサイズが足に合わないという隠喩の性的象徴性を直視せずに避けているという点である。ブリッチフェルトの作品は、その優雅さと映像的洗練性において「エレガントなデビュー」であると結論付けられている。

評価点 映画の社会的メッセージの明確さと、その映像化における創意工夫が高く評価される。特に、古典的なおとぎ話の性的・支配的な隠喩に気づき、それを大胆に映像化した手腕が称賛されている。また、若い女性たちへの社会的圧力というテーマの現代的重要性が強調される。

批判点 映画の過度なグロテスク表現が、メッセージを伝える上で必要以上に極端である可能性について言及する批評家もいる。また、すべての登場人物がステレオタイプ的であり、キャラクターの多次元性が不足しているという指摘も存在する。

(The Guardian – The Ugly Stepsister)

Variety 肯定的評価

ピーター・デブルージュ氏「女性のしがみつきと自己破壊の美学。」

ヴァラエティ誌の主任批評家ピーター・デブルージュは、『アグリーシスター 可愛いあの娘は醜いわたし』を「女性キャラクターたちがどう感じるのか、そして男性たちが彼女たちにどのような期待を押し付けるのかのコントラストを通じて、ブリッチフェルトは不可能な美的基準がいかに不公正であるのかを明確にしている」と評価している。映画は、現実の世界においても架空の王国においても、女性たちが支配される方法を示すのだ。デブルージュはさらに、映画が「古典的なおとぎ話の構造を保持しながらも、その内部から暴力的に逃げ出す」映画であると述べ、その革新的なアプローチを高く評価しているのだ。映画は快適さを与えず、むしろ観者に対して、その社会的現実と自らの役割について深く考えることを強要するのである。

評価点 映画の社会的批評性の強度、特に女性への社会的圧力とそれが生み出す自己破壊のメカニズムを映像化した完成度が高く評価される。また、古典的なおとぎ話の形式を借りることで、現代的なメッセージがより強く伝わるという構成の巧みさが強調される。

批判点 映画がそのメッセージを何度も反復することで、観者が疲労し、メッセージの効果が減弱してしまう可能性について指摘する声もある。また、映画のペーシングが遅く、一部の場面が冗長であるという批判も存在する。

(Variety – The Ugly Stepsister)

個人的な感想評価

良いよ良い、とても面白い。

美への執着心をホラーに昇華させる映画は他にもあったような気がするが、シンデレラ、、しかも義姉を主役に捉え、嫉妬に狂った義姉が美容整形と過激な寄生虫ダイエット、最後に靴のサイズに合わせて指切断、続きは母さんがお手伝い、最後は階段から転んで元の醜い顔に戻ってしまうというという大胆な再構築した脚本は終始鳥肌が続く良作ホラーとなっている。

見応え抜群すぎる。

エルヴィラ役のレア・ミレンの演技が本作の中核となっている。信じられないのはこの作品がデビュー作という新人女優であるということ。まじか、嫉妬に狂いながらも本当は良い人格であるにも関わらず、母にそそのかされされるがままに整形させられ、劣等感を植え付けられ、美しさこそ正義という誤った価値観で行動することになり、徐々にグリム童話のように醜い義姉となっていく様変わりを見事に余すことなく演じきっている。というかデビュー作で全裸で豊満で美しい乳房とかも遠慮なく見せてすごくね?エロかったぜ。

本作ではセリフやナレーションは少なめで、演者のアップの表情で理解させるシーンが多いため、演者全員の技量が少ないと破綻してしまう。ところが意地悪そうで実は優しそうで実は最悪の黒幕レベッカの視聴者を裏切る見事な表現力、シンデレラ?やっぱ違う?いや、やはりシンデレラでしたなアニェスのあばずれ清楚っぷりも好き。個人的にグッときたのは最後まで立ち位置が微妙だった妹のアルマの身支度姿は感動的な展開も相まって一番印象的だったかも。

ゴア表現も見事で、美容外科シーンも割とドアップで見せてくれるし、クールタイム中の鼻のグズグズ感なんてやっぱり整形なんて無謀だったんでは?と思わせる醜さだったし、一番目を背けたのは指の切断面である。激しく損傷したことがある人ならわかると思うが、心臓の鼓動に合わせて血がトプトプと溢れてくる様子も表現していたので、視聴者への痛みの共感を与える表現力が凄すぎて思わず目を背けてしまった。

サナダムシもどんなのが出てくるのかとワクワクしていたら、想像を超えるクリーチャーを吐き出してくれたのでちょっと爽快感があった。

少し長くね?と思うようなアニェスパートが展開を阻害していたが、全体的にうまくまとまり、全員の演技と監督の表現力によって見応えのあるボディーホラー映画に仕上がっている。

複数の海外レビューを総合的に検討すると、『アグリーシスター 可愛いあの娘は醜いわたし』は、伝統的なおとぎ話の形式を借りながらも、その内部から現代の女性への社会的圧力と自己破壊のメカニズムを映し出す、極めて重要な映画作品であることが明白である。エミリー・ブリッチフェルトの監督デビュー作としては、その完成度と社会的メッセージ性は驚くべき水準に達しており、『ザ・サブスタンス』と比較されるだけの価値を持つ作品だ。

映画の最大の特徴は、その一切の隠喩や遠回しな表現を放棄し、グロテスク映像を通じて女性への社会的期待がいかに破壊的であるのかを直視させるという点にある。マルセル・ジスキンドの撮影は、おとぎ話的な優雅さと凄惨なゴア映像の対比を完璧に実現しており、その視覚的な衝撃は観者の意識を完全に支配する。レア・ミレンのスクリーン初出演は、その身体的表現と感情的深さにおいて、多くのベテラン女優の演技を上回るほどの完成度を示している。

一方、映画が完全に成功しているかについては議論の余地がある。その過度なグロテスク表現が、社会的メッセージを伝える上で必要以上に極端であるという指摘も妥当である。また、映画が同じポイントを反復することで、ナレーティブの進行感が損なわれているという批判も存在する。しかしこれらの「欠点」であると指摘される要素は、実はこの映画の根本的な特徴であり、その過激さと一切の妥協を拒む姿勢こそが、映画をこれほどの重要性を持つ作品たらしめているのである。

まとめ

『アグリーシスター 可愛いあの娘は醜いわたし』は、古典的なおとぎ話の再解釈というジャンルにおいて、最も大胆で刺激的な試みの一つである。本作の核となるテーマは、社会的な美貌への強迫観念がいかに女性を自己破壊へと導くのか、そしてそのプロセスにおいて家族や権力構造がいかに共謀するのかについての問い掛けである。

ブリッチフェルトは伝統的な物語の形式を保持しながらも、その内部にボディホラーというジャンルを挿入することで、観者に心理的・身体的な不快感をもたらす。その不快感こそが、映画のメッセージを最も効果的に伝える手段なのだ。映画は観者に快適さを与えず、むしろ自らの社会的現実と、その社会的現実の中で女性たちがいかに支配されているのかについて、深く考えることを強要するのである。

マルセル・ジスキンドの撮影、エミリー・ブリッチフェルトの脚本と演出、そしてレア・ミレンの演技が完璧に融合することで、映画は単なるホラー映画を超えて、一つの重要な社会的発言へと昇華している。2025年のSundance Film Festivalにおける初上映から、Berlin International Film Festivalでの選出、そして北米での劇場公開を経て、本作は国際的な映画祭やクリティックスチョイスアワードなど、多くの重要な映画賞のノミネーション対象となっている。

『アグリーシスター 可愛いあの娘は醜いわたし』は、商業的な成功よりも社会的メッセージの伝達を優先する、極めて野心的な作品である。その過激さと一切の妥協を拒む姿勢は、映画というメディウムが持つ社会的批評としての可能性を最大限に追求したものであり、今後の映画評論において参照されるべき重要な作品なのである。

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