
ドウェイン・ジョンソン史上最高の演技も作品自体が退屈だと低評価な映画『The Smashing Machine』のあらすじ結末までをネタバレ解説し、海外の感想評価をまとめて紹介する。
本作はMMA黎明期の1997年から2000年という激動の時代を生きたUFC伝説ファイター、マーク・カーの人生を描いた伝記ドラマで、音声インタビューを交えながら、リングの内と外での葛藤を映し出していく。
基本情報として、本作は2025年9月1日にベネチア国際映画祭で世界初公開され、銀獅子賞を受賞。アメリカでは2025年10月3日にA24から劇場公開されたアメリカ映画で、監督はベニー・サフディ。主演は先述のドウェイン・ジョンソンで、共演にはエミリー・ブラント、ライアン・ベイダー、バス・ルッテン、オレクサンドル・ウシク。
監督のベニー・サフディはこれまで兄ジョシュとのコンビで『Good Time』『Uncut Gems』などの傑作を放ってきた鬼才で、本作が初となるソロ監督作品。製作には傑作ダークドラマで知られるA24が携わり、初の個人単独プロジェクトながら大きな期待が寄せられていた。ドウェイン・ジョンソンはこれまでアクション映画を中心に活躍してきたが、本作では人生最大のキャラクタースタディに挑戦した。
以下は映画『The Smashing Machine』の結末について、核心的なネタバレを含む。劇場で本編を鑑賞してからお読みいただくことを強く推奨する。また本作には暴力や精神的危機に関連した描写が含まれるため、その点も念頭に置いてご覧いただきたい。
もくじ
『The Smashing Machine』あらすじ結末ネタバレ
ここから先は『The Smashing Machine』の核心である重大なネタバレを含む。
無敗の男との出会い
1997年、ブラジルのサンパウロでの初の国際MMA大会の様子をドキュメンタリーチームが撮影をしている。チームはマーク・カー(ドウェイン・ジョンソン)に対しインタビューを行い、カーは今までの格闘技人生と現在の心理状態を語っている。インタビュー音声が流れる中、彼がリングで見せる凶悍なフリースタイルレスリングの技が映されるが、対戦相手を容赦なく圧倒し、激しい殴打を加える映像は、一見穏やかに見えるカーの言葉とは大きな隔たりを感じさせる。
この初戦での圧倒的な勝利は、カーが自分を「スマッシング・マシーン(The Smashing Machine)」と呼ぶ所以を象徴している。カーは自らを絶対に負けることのない選手だと信じて疑わない。この無敗への確信が、物語全体を通じた彼の精神的な基盤となるのだ。
アメリカ・アリゾナ州フェニックスの病院。待合室でのシーンでは、カーがファンの少年に対してUFC格闘技の暴力性について「相手を嫌っていない」と述べ、格闘技は武術の追求であり、憎しみに基づいた暴力ではないと説明している。一見すると思慮深く、道徳的な一個の人間としてのマーク・カーの姿であるが、彼には仄暗い精神的な依存症に苦しんでいるという背景が明かされる。
自宅に戻ったカーは病院で処方されたオピオイド系鎮痛薬を手に取ると、医者の指示を遥かに超えた量を服用する。一般人の前では穏やかな優雅さを見せるカーはオピオイド依存症が深く根付いており、その治療は彼の人生の深刻な問題となっているのだ。インタビューや少年へ語る内容や美しい表面の下に隠された苦しみが、ここで初めて観客に提示される。
愛する者との亀裂
カーは彼女のドーン・ステープルズ(エミリー・ブラント)と暮らしている。二人の関係はまだ完全に崩壊してはいないが、深刻な緊張が走っている。プロテインシェイクに使う牛乳の種類をめぐってカーがドーンを厳しく責め立てるシーンは、一見すると些細な家庭内の言い争いに見えるが、実はカーの徹底した完璧主義と支配欲、そして物理的ではないもののドーンに対する威圧は暴力そのものでドーンは歯向かうことができない。
その一方で、カーは彼女に対して真摯な愛情を抱いている様子も明かされ、二人でいる瞬間のいくつかは温かみに満ちており、カーがドーンを大切にしていることは疑いようがない。しかし私的な時間の中で、カーは隠れてオピオイドを乱用する。献身的に支える彼女の存在さえも、その中毒性の渇望を止めることはできないほどの深刻さを示している。
カーはコーチの友人でもあるファイター、マーク・コールマン(ライアン・ベイダー)と共に東京で行われる大規模な国際格闘技選手権への出場する。試合前、カーは関係者との交渉の中で報酬額について細かく詰めるその交渉の様子から、カーが格闘技をどう捉え、金銭的な困窮がどの程度であるのかが垣間見える。
試合前のインタビューでは、「もし負けたらどう感じるか」という質問がぶつけられる。しかし、カーは負けた経験がないため、その質問に対して言葉を詰まらせる。無敗であることが彼のアイデンティティそのものであり、敗北という概念を彼は精神的に受け入れることができていない。
ドーンが東京へサプライズで飛来し、二人の再会のシーンは一瞬、喜びに満ちるものの、ドーンが来たことで試合前の集中力を削ぐと叱責し、彼女を遠ざけようとする態度とあからさまな拒絶は、ドーンを深く傷つける。
試合が始まりカーは激闘を繰り広げるが、対戦相手が事前に禁止された技を使用してきたため、カーは激しく抗議するが、レフェリーと関係者の判断により、結果は「ノーコンテスト」(無勝負)と宣告されてしまう。
敗北ではなく無勝負という曖昧な判定は、不敗を信じるカーの心にとって、敗北以上に深刻なダメージを与え、ロッカールームでカーは涙し、コールマンに慰められる。その後、カーは相手選手と握手し、一緒に写真を撮る。表面上は紳士的な態度を見せるが、内面の動揺は隠しようもない。
深淵への落下
帰宅後、カーとドーンの言い争いは次第にエスカレートしていく。ドーンは、東京でのカーの拒絶と、彼のオピオイド使用への懸念を表現しようとする。しかしカーは、彼女の言葉を受け入れようとせず怒り狂ってドーンを黙らせるが、ある夜、怒りは頂点に達し、カーは怒りに任せてドアを破壊してしまう。その暴力的な行為は、カーが自分の感情をコントロールできなくなっていることを示している。
翌朝、カーはオピオイドの過剰摂取(オーバードーズ)に陥り、意識を失ってしまう。ドーンは911に電話をかけカーは緊急搬送され死の淵を彷徨っていると、コールマンが病院を訪れ、ると、友人の姿を見たカーは目に涙を浮かべ、カーはリハビリテーション施設へと入院することを決意する。
しかし、深刻な依存症のリハビリはそう簡単にはいかない。リハビリの期間は心理的に長く、つらい。入院中のカーの精神状態は極めて不安定で、躁鬱状態のカーはドーンと一緒にカーニバルとモンスタートラックショーへ出かけても、楽しむドーンとは裏腹に、無表情のカーが映し出されている。彼は何も感じることができず、ただ時間が過ぎるのを待つしかない。抑鬱の深さは、想像以上であるようだ。
一方、リハビリはドーンにも大きな負担をもたらしていた。彼女はカーの回復を望んでいるが、その過程で自分自身も疲弊していくが、ある時、ドーンは「カーが薬物を使用していた時代の方が、彼は優雅で、愛情深かったのではないか」と自問自答し、ついに限界に達したドーンは家を出て行ってしまう。依存症を克服する患者と、その家族への負担の凄まじさが描かれている。
新たな戦い
2000年、カーはハリウッドでバス・ルッテン(バス・ルッテン本人)からのトレーニングを受けることになるが、バス自身も格闘技キャリアから来た傷害による激しい後遺症と痛み痛みを和らげるため、オピオイドを常用していたのだ。バスにオピオイドを打つカーも他者を助けるという名目で、薬物を使用するようになる。
それでも、二人の集中的なトレーニングを通じてカーの肉体は再び太く巨大化しピークに達し、プロテーゼ(シリコン)を用いたジョンソンの身体は、リハビリ前の力強さを取り戻していく。
カーとコールマンはプライド2000グランプリという大規模な格闘技トーナメントに参加する。複数回の試合に勝利し、カーは再び自分の力を信じ始める。その時、ドーンが再び現れる。彼女は破いてしまったボウルを丁寧に修復して持ってくる。その行為は、二人の関係を修復したいというドーンの切実な願いが伝わり、二人は再び関係を取り戻す。
しかしバスは、カーがトレーニング施設を去ってドーンのもとへ帰るのを見て、複雑な感情を抱く。カーの焦点が、グランプリ優勝からドーンへと移ることに対する、微妙な不満や心配が、バスの表情に読み取れる。
結末ネタバレ:人生への帰還
時間が経つにつれ、カーとドーンの幸福は再び揺らぎ始める。次の試合のためにカーが日本へ行くことになると、ドーンは同行したいと望む。しかしカーは、彼女を試合のために連れていくことに同意しない。二人の間で激しい言い争いが発生する。その口論の中で、ドーンはカーに対して、「男らしく扱ってくれ」と求める。その言葉は、彼女の絶望と懇願の表現である。
二人の言い争いは爆発的となり、その最中にドーンは銃を手にする。彼女は自らの頭に銃を向け、自殺を企てるがカーはドーンを抑え、彼女から銃を奪い、911に通報する。ドーンは緊急医療を受ける。
カーは日本でグランプリの最終ラウンドに臨むが彼の心はドーンとの幸せな時間の記憶に揺らぎ試合は精彩を欠く内容となる。彼女が自殺を企てたことの衝撃は、カーの精神を完全に蝕んでいるのだ。その集中力の欠落が試合において致命的となり、カーは手酷い敗北を喫する。
ロッカールームでバスがカーを慰める。一方、コールマンはグランプリの最終ラウンドで勝利を手にし、王者のベルトを獲得する。ロッカーの中、カーはシャワーを浴びながら、不気味な笑みを浮かべる。その笑顔が表現しているのは、徹底的な敗北の後の、ある種の解放感か、それとも深い絶望かは定かでない。
2025年現在、アメリカ・アリゾナ州スコッツデール。
本物のマーク・カーが日常的に食料品店で買い物をしている姿が映される。字幕で提示される情報によれば、カーと彼女は敗北から11日後に再び関係を取り戻し、のちに結婚した。しかし二人はその後離婚した。二人の間には息子がいる。カーは2009年に格闘技から引退し、現在は一般人として日常生活を営んでいる。
現在ではより著名で若い格闘家が数多く存在し、マーク・カーはかつての栄光を追うことはない。しかし、カーとコールマンは初期UFCのパイオニアとして歴史に刻まれている。二人が切り開いた格闘技の道は、その後何千人もの選手に継承されていくことになる。
引用元: The Movie Spoiler – The Smashing Machine
『The Smashing Machine』作品情報
本作のクリエイティブチームとキャスト、そして海外での映画制作の現場について、詳細な情報を紹介する。
ドウェイン・ジョンソンとエミリー・ブラントという世界的なスターが、単なるエンターテインメント作品ではなく、真摯な人間ドラマとして挑戦した意義深い企画である。
興行収入
映画『The Smashing Machine』は全米での劇場公開初週末に580万ドルを獲得し、興行成績は第3位となった。
限定的な訴求層とボックスオフィスの競争環境という要因が影響した。
しかし国際市場を含めると、公開から2週間で1390万ドルの全世界興行収入を記録している。
ベニー・サフディ監督情報
ベニー・サフディはニューヨーク出身の気鋭映画作家で、1986年2月24日生まれ。
兄ジョシュとのコンビで『Good Time』『Uncut Gems』といった傑作スリラーを製作してきたが、本作『The Smashing Machine』が初の単独監督作品となる。
ボストン大学コミュニケーション学部を卒業後、兄と共に映像制作の道へ進んだ。
両親の離婚に伴い、クイーンズとマンハッタンに分かれて暮らした幼少期の経験が、彼の映像言語の根底にある。
『Good Time』ではロバート・パティンソンの伝説的な演技を引き出し、独立精神映画賞で助演男優賞にノミネート。
兄とのコンビ作『Uncut Gems』ではアダム・サンドラーの人生最高の演技を生み出し、マーティン・スコセッセがエグゼクティブプロデューサーを務めた。
本作ベネチア映画祭での銀獅子賞受賞は、彼の単独監督作品としての高い評価を象徴している。
主演マーク・カー役「ドウェイン・ジョンソン」情報
ドウェイン・ジョンソンは現在ハリウッドで最大級のスターであり、WWE時代の「ザ・ロック」としての名で知られている。
アクション映画を中心に活躍してきたが、本作『The Smashing Machine』で彼が取ったのは最大の賭けである。
撮影に向けて6ヶ月間の集中的な肉体改造を行い、指導者デイブ・リエンジが指揮する過酷なトレーニングプログラムに従事した。
プロテーゼを用いた外見の変化は、従来のドウェイン・ジョンソンのイメージを大きく覆し、真の別人になりきることに成功した。
本作での内向的で傷つきやすい一面を見せるマーク・カーの演技は、これまでのアクション映画での無敵のヒーロー像を完全に覆すもので、映画批評家から「人生最高の演技」と絶賛されている。
本作により、ジョンソンはスター俳優の新たな境地を切り開いた。
共演ドーン・ステープルズ役「エミリー・ブラント」情報
エミリー・ブラントはロンドン出身の国際的な女優で、1983年2月23日生まれ。
『The Devil Wears Prada』での名演で一躍注目され、その後『The Young Victoria』『Sicario』『A Quiet Place』など多くの傑作映画に出演している。
2023年のクリストファー・ノーラン監督『Oppenheimer』でキャサリン・オッペンハイマー役を演じ、アカデミー賞助演女優賞にノミネートされた。
ゴールデングローブ賞受賞、SAG賞も受賞しており、2020年のフォーブス誌では世界で最も高給な女優の一人にランクされている。
本作ではドーン・ステープルズという感情的に複雑なキャラクターを演じ、カーとの関係の揺らぎの中で、自らの心理的な葛藤を見事に表現している。
ドウェイン・ジョンソンとの共演は『Jungle Cruise』以来2度目であるが、本作ではより深刻で密度の高い演技を披露した。
海外の感想評価まとめ
映画『The Smashing Machine』は欧米の映画批評家たちから複雑だが概ね肯定的な評価を受けた。
ドウェイン・ジョンソンの変身的な演技力は圧倒的な称賛の対象となった一方で、物語構造の斬新さについては議論が分かれた。
なぜこの評価になったのか、海外レビュアーたちの声から、その理由を見ていこう。
IMDb(総合評価:6.8/10)
①ドウェイン・ジョンソンの演技は深い感動を与える。本作は単なるスポーツ映画ではなく、個人の内面的な闘争を映し出したキャラクタースタディであり、マーク・カーの複雑さを真摯に表現している。
映画のペース、映像、方向性のすべてが有機的に機能し、『Good Time』『Uncut Gems』と同じ没入感をもたらす。ナラ・シネフロによる爵士楽スコアはMMA格闘技のイメージを刷新し、従来にない優雅さをもたらした。ジョンソンは自らのキャラクターの背後に消え去り、真の俳優へと変貌した。
②本作は感情的かつ力強いスポーツドラマであり、戦闘の内と外における心理的な深さを掘り下げている。エミリー・ブラントとライアン・ベイダーの演技も傑出しており、特にマークとドーンの間の関係は最も本当らしく、緊張感に満ちたカップルの口論として映画史に残るだろう。
映像の有機性と脚本の誠実さが相まって、力強いドラマを生成している。
③ベニー・サフディの方向性は非常に慎重であり、従来のスポーツ映画の定型から外れて、より瞑想的で内向的なアプローチを取っている。
ドウェイン・ジョンソンは見た目の大きさと内面の脆弱性とのギャップを巧みに演じることで、視聴者に複雑な感情を喚起する。本作を見た後、我々はジョンソンの通常のアクション映画を決して同じ目では見ることができなくなるだろう。
④映画は魅力的でありながらも、不完全な部分が存在する。マークとドーンの関係の深刻さは理解できるが、全体としては一種の情動的な遠さがあり、最後まで視聴者に心理的な同情を完全には得られない作品となっている。
しかしジョンソンの変身的演技だけでも、この映画は見る価値がある。
Rotten Tomatoes(批評家:71% / 観客:77%)
①本作はドウェイン・ジョンソンのこれまでにない変身的な演技を軸に展開され、彼はスター性を捨て去ってマーク・カーという一個の人間になりきっている。
映画は従来のスポーツ映画の決然たる勝利の物語から逸脱し、より微妙で移ろいやすい人間の心理を探求している。プロセスそのものが作品の真のテーマであり、最終的な勝利よりも、人間関係の摩擦とその乗り越えが描かれている。
②ベニー・サフディの映像言語はドキュメンタリーのようなリアリズムに満ちており、その手持ちカメラの動きと固定的でない編集が、映画をスポーツドラマというジャンルから解放している。
エミリー・ブラントはドーンという、一見単純に見えるキャラクターの内奥の複雑性を見事に表現した。二人の感情的な齟齬が、映画全体を貫く核となっている。
③映画は従来のスポーツ映画の定型を避けながらも、その代わりに何を提示しているのかが判然としない部分がある。
しかしドウェイン・ジョンソンとエミリー・ブラントの二者の化学反応が、その曖昧さを補う力となっている。特に彼らの喧嘩のシーンは、映画の中で最も真実性に満ちている。
Rotten Tomatoes – The Smashing Machine
Metacritic(総合評価:65/100)
①本作はドウェイン・ジョンソンの最高傑作とも言える演技であり、彼が俳優として本当の意味で目覚めた瞬間を捉えている。
映像的には『Uncut Gems』『Good Time』に比べて落ち着きを取り戻しており、その代わりに人物描写の深さに力を注いでいる。音楽、映像、演技のすべてが一体となり、MMA界の黎明期の荒々しさと個人の脆弱性を見事に対比させている。
②本作の強みはキャラクターの描写にあり、弱みはストーリー構造にある。マーク・カーという人物は充分に描かれているが、映画全体としては2000年という時代から何を言いたいのかが曖昧である。
しかし、その曖昧さこそが人生というものの真実であり、だからこそ本作は深い響きを持つ。ドウェイン・ジョンソンの演技なくしてはあり得ない作品である。
③映画は一見、2002年のドキュメンタリー『The Smashing Machine: The Life and Times of Extreme Fighter Mark Kerr』をそのまま映像化したように見える。
しかし、ベニー・サフディの視点は、その原作ドキュメンタリーの中には存在しない、より心理的で私的な領域を掘り下げている。プロセスに焦点を当てることで、一見するとスポーツドラマから遠ざかるようでいながら、実はそれこそが人間ドラマの本質を突いている。
Metacritic – The Smashing Machine
批評家レビュー
映画『The Smashing Machine』は欧米の有力映画批評媒体から様々な視点での評価が寄せられた。
ドウェイン・ジョンソンの演技を中心に、ベニー・サフディの映像表現とこの作品が何を目指しているのかについて、批評家たちは真摯に向き合っている。
主要批評媒体からの詳細なレビューを見ていこう。
Variety ★★★★☆
ジェフ・ロウ氏「完全な変身。ジョンソンは自らの星としてのイメージを脱ぎ捨てた」
ベニー・サフディの初ソロ監督作品は、単なるスポーツドラマではなく、人間の内面を映し出す鏡としての機能を持つ。映画の冒頭では、シンプルなインタビュー映像を通じてマーク・カーの人格が紹介されるが、その温和で知的な語り口と、リングでの凶悍な姿のギャップが、本作全体のテーマになっている。
ドウェイン・ジョンソンはこの矛盾を完璧に体現し、プロテーゼを用いた外見の変化だけではなく、目の輝き、声のトーン、身体の動きのすべてで別人になりきった。従来のジョンソンの作品では見られなかった、弱さ、葛藤、絶望といった人間らしい感情が、スクリーンに溢れ出ている。
評価点
演技の完成度とその勇気。ジョンソンが自らのスター像に賭けた誠実さ。
批判点
物語としての新規性に乏しく、スポーツドラマの定型を完全には脱出していない。
(Variety – The Smashing Machine)
Roger Ebert ★★★☆☆
ブライアン・タレリコ氏「反スポーツ映画としての野心。しかし完全な成功とは言い難い」
ベニー・サフディ監督は本作を、従来のスポーツ映画の期待値を裏切るための映画として製作した。ほぼすべての試合シーンがリング外から、あるいは上空からの視点で撮影され、観客をアクションに没入させるのではなく、むしろ距離を取らせるような作りになっている。
この選択は大胆だが、果たして成功しているか。ドウェイン・ジョンソンのスターイメージとの相互作用も計算されているのだろう。『The Rock』として知られるジョンソンと、傷つきやすいマーク・カーの間の緊張関係が、映画全体を貫いている。
しかし、その試みが映画的に有効に機能しているかは別問題である。映画は観客を突き放そうとしているが、その代わりに何が提示されるのかが判然としない。
評価点
映像的な工夫と、演技の真摯さ。映画的文法への挑戦。
批判点
観客との距離感が取りすぎており、感情移入が難しい。中盤以降、映画の求心力が低下する傾向。
(Roger Ebert – The Smashing Machine)
LEO Weekly ★★★★☆
映画評論家「スポーツドラマから人間ドラマへの転換。共感と観察のバランスを取った傑作」
ベニー・サフディは兄とのコンビを解いて初めてのソロ監督作品で、これまでのサフディ兄弟作品で見られた激烈な不安感や、神経症的な加速感から一歩引いた。
代わりに、共感と観察のバランスを保ちながら、マーク・カーという一人の人間の人生における矛盾と葛藤を丹念に描き出している。ドウェイン・ジョンソンはこの静謐さの中で、自らのスター性を完全に捨て去ることで、真の俳優としての力を示した。
エミリー・ブラントの演技も同等に素晴らしく、ドーンという感情的に複雑なキャラクターを、判断することなく描いている。二人の関係の揺らぎが、映画全体の核となっており、スポーツという外部の舞台よりも、内面の戦いが本当のテーマであることが明確になる。
本作はスポーツ映画というジャンルを逆手に取った、人間ドラマとしての傑作である。
評価点
演技の誠実さ、映像的な柔らかさ、人間関係の描写の深さ。
批判点
スポーツドラマとしての興奮値は低い。脚本の構造としては、やや散漫な印象を受ける部分も存在する。
(LEO Weekly – The Smashing Machine)
The Bulwark ★★★☆☆
ソニー・バンチ氏「傑出した演技。しかし全体としては一貫性に欠ける」
ドウェイン・ジョンソンとエミリー・ブラントの演技は文句なく優れている。
特にジョンソンの静謐さ、その抑制された身体表現と、時折見える怒りの閃光は、映画の中で最も輝いている瞬間である。
しかし映画全体としては、複数の優れたシーンの寄せ集めのような印象を拭えない。本作はスポーツドラマの定型から逃げようとしているが、その逃げ方が明確ではなく、結果として物語に一貫性が失われている。
セクシーなシーンもあれば、抽象的なシーンもあり、映画が何を目指しているのかが定かでない。良い映画ではあるが、偉大な映画ではない。むしろ格闘技映画のジャンルでは、『Raging Bull』『The Wrestler』といった先例があり、本作はそれらの足許にも及ばないというのが正直な評価である。
評価点
演技、映像美、音楽の選択。人物描写の細かさ。
批判点
全体構成の一貫性の欠如。スポーツドラマとしても、人間ドラマとしても、どちらで評価すべきかが曖昧。
(The Bulwark – The Smashing Machine)
個人的な感想評価
『The Smashing Machine』は間違いなくドウェイン・ジョンソンが俳優として目覚めた瞬間を捉えた作品である。
ただし、内容が薄い、いや、主役に興味を持つことができなかったと言うべきか。よく知らない総合格闘家の半生を綴っても、そもそも興味は薄く、監督も新規ファンに彼への興味を持たせようとするよりもドキュメンタリー風に抑揚を抑えリアルに描いてしまったため、全体的にエンタメ感も無く。最後まで感情移入することもなくうーんだった。
こっちの格闘wikiのマーク・カーの項目を読んだ方がシンプルで分かりやすく楽しめてしまったりもする。
結末は好き。命を削るよりも愛する妻を選択した。必ずしも栄光の獲得や絶対的な勝利ではなく、自分自身の弱さと向き合い、愛する者との関係を修復し、人間としてのアイデンティティを取り戻すことの価値を見出したこと。カーは格闘技の世界では敗北を経験したが人生というより大きな戦いの中では、別の形の勝利を手にしたのだ。この感じは良かった。
が、
最終的に離婚していたりと、エンタメなのかドキュメンタリーなのかどっちつかずの印象かもしれない。
格闘家の話なのに、試合のシーンが距離を取って視聴者目線で撮影されているため、格闘技ファンにとっては物足りなく感じるかもしれない。スポーツの興奮よりも、人間の内面に焦点を当てた戦略は、観客の好みに大きく左右されるだろう。
本作はドウェイン・ジョンソンという世界的なスターが、自らのイメージを捨て去り、本当の意味で俳優になった記念碑的な作品である。ただそれだけで、この映画は面白いか?と問われると面白くはないのだ。
爆死した理由もそのまま「面白くないから」である。
まとめ
映画『The Smashing Machine』は、MMA黎明期の1997年から2000年という時代を生きたマーク・カーの激動の人生を描いた伝記ドラマである。
本作の最大の見どころは、ドウェイン・ジョンソンが世界的なスター像を完全に捨て去り、傷つきやすく、依存症に苦しむ一人の人間として画面に現れることである。
プロテーゼを用いた外見の変化と、演技の真摯さが相まって、誰もが知るハリウッドスターが、本当に別人に変身している。
映画全体としては、ベニー・サフディ監督の野心的な映像表現と、エミリー・ブラントの深い演技によって、一見すると定型的なスポーツドラマから逃脱している。
試合シーンの撮影方法、ナラ・シネフロによる爵士楽スコア、手持ちカメラによるドキュメンタリー的な映像語法といった、すべての要素が一体となり、映画が目指す世界観を構築している。
海外での評価は複雑だが、おおむね肯定的である。ドウェイン・ジョンソンの演技については、ほぼすべての批評家が最高レベルの賞賛を与えている。
一方で、物語構造の革新性については意見が分かれており、従来のスポーツドラマの定型から完全に逃脱しているかについては、議論の余地がある。
しかし、本作が目指しているのは、スポーツドラマの興奮よりも、人間関係の摩擦と、自己との戦いという、より本質的なテーマである。
その意味で、本作は現代の映画制作における新しい可能性を示唆しており、スター俳優が本当の意味で作品に身を投じる勇気と、そこから生み出される作品の価値を改めて認識させてくれる。
ドウェイン・ジョンソンを知る者にとって、本作は彼の人生における重要な転機を記録した記録であり、映画を愛する者にとっては、スポーツドラマというジャンルが持つ新しい可能性を示す作品として機能している。
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