映画『プレデター:バッドランド』あらすじ結末ネタバレと海外の感想評価まとめ

「最高傑作だ」「まさかの続編示唆」シリーズ初の異彩を放つ傑作冒険譚。映画『Predator: Badlands/プレデター:バッドランド』のあらすじ結末までネタバレと海外の感想評価をまとめて紹介する。アメリカ・20世紀スタジオ製作の本作は2025年11月7日に日米同時公開され、IMDb7.4/10、RottenTomatoes批評家89%/観客89%、Metacritic71/100と高い評価を獲得したSFアクション・アドベンチャー作品だ。シリーズ初となるプレデター(ヤウージャ)が主人公というコンセプトで、1987年の初作以来、38年間の歴史を塗り替える野心的な挑戦が実を結んだ。

本作の監督はディズニー+配信の『Prey/プレデター:ザ・プレイ』で高い評価を獲得したダン・トラクテンバーグ。主人公デクを演じるのはディミトリアス・シュスター=コロアマタンギ、謎のアンドロイド・ティアを『マレフィセント』シリーズのエル・ファニングが演じた。

今回は、プレデター・サーガの新時代を切り開いた映画『Predator: Badlands/プレデター:バッドランド』のラスト結末について、詳細に解説していく。以下の内容は本編の結末のネタバレを含むため、必ず劇場で鑑賞してから読んでいただきたい。また、激しい暴力表現やプレデター・ヤウージャ文化の残酷性に関する描写を含むため、苦手な方は注意していただきたい。

『Predator: Badlands/プレデター:バッドランド』あらすじ結末ネタバレ

掟を破った若き戦士と、謎のアンドロイドの少女が織りなす、プレデター史上初の正真正銘のヒーロー・アドベンチャー。以下は結末解説である。

ヤウージャ・プライムでの屈辱

物語は遠く離れた宇宙のどこか、

プレデター(ヤウージャ)一族の本拠地ヤウージャ・プライムから始まる。

掟を厳格に守る戦闘民族ヤウージャの社会では、強さと狩りの能力が絶対的な価値基準だ。その中にあって、小柄で、他のヤウージャと比べ体格的に劣り小柄で、戦闘能力にも疑問符がつく若きヤウージャの主人公デク(ディミトリアス・シュスター=コロアマタンギ)は一族の中でも異端児として問題視されている。

デクの父でヤウージャ一族の族長ニジョール(声:マイケル・ホミック)は、息子の弱さを恥ずべき汚点と見なし「ヤウージャー族から弱者が生まれてはならない。」として密かに長男のクウェイ(声:ロイナル・ナイアラン)に、デクを殺せという命令を与えていたのだ。弱さとは同義語である死。これがヤウージャの世界観なのである。

バッドランドへの追放と生存への誓い

しかし、父であり絶対的存在である族長からの暗殺を知ったデクは自分の運命に抗おうとした。一族の掟を破ってでも、自分の価値を証明したいという執念がデクの心を駆り動かし、宇宙で最も危険とされる最悪の惑星ジェンナ”通称バッドランド”に赴き、そこに生息する「最強にして不倒」と呼ばれる生物カリスク(巨大な怪物)を狩ることだった。カリスクはヤウージャの中でも数えきれない数のプレデターを葬り去ってきた伝説の怪物で、誰も彼に挑戦しようなどとは口にすることないほどの存在だった。カリスクを倒すことができれば、デクは一族の中で新たな価値を獲得できるはずだ。

デクの兄クウェイは、そんな弟デクの意思を汲み密かにデクの脱出を助けてくれた。兄弟の秘密の別れ。それは涙ぐましい親愛だったが、同時に容赦ない死の運命への挑戦でもあった。デクはヤウージャ・プライムを離れ、最悪の地「バッドランド」へと下り立つ。

荒廃した惑星での生存戦

バッドランドは想像をはるかに超えた過酷な環境だった。大気は人間の肺を裂く酸性ガスに満ち、地面に生えた草は地面から突き出た剣の鋭い刃物そのものだ。樹木の枝は無数の触手を操る捕食者で、空から降り注ぐのは溶岩のしぶき、至るところに死が満ちていた。

探索を続けデクは自分の強力なプレデターの武器を持ちながらも、この過酷な環境では武器よりも知恵と適応能力が生き残りの鍵だということを学んでいくのだった。

デクは惑星上で見つかった様々な道具や武器を組み合わせ生き抜くためのサバイバルスキルを獲得していく。岩を組み鏃に、植物の繊維を利用し弦に、敵の遺骨さえも武装に変え、即座に新たな武器を作成し状況に対応していく。デクは絶望的な状況の中で、自分の「弱さ」が実は「適応力と創意工夫」という強さであることに気づき始める。

アンドロイド・ティアとの邂逅

デクが惑星を彷徨う中、あり得ない出会いが訪れた。

謎のアンドロイド・ティア(エル・ファニング)は上半身のみで、下半身が切断された状態で動いていた。ウェイランド・ユタニ・コーポレーション(『エイリアン』シリーズに登場する悪名高い企業)が送り込んだ探査隊の一員だったティアは、惑星での任務中に何らかの事件に巻き込まれ、下半身を失ったのだ。

通常、ヤウージャにとってアンドロイドは「狩りの対象」以外の何物でもない。しかし、対話を通じてデクはティアに何かを感じ、ティアは人工的な存在でありながらも、創意工夫して状況を打破しようとする生き残ることへ執着を感じたためである。そこでティアはデクに自分たちは協力すれば、このバッドランドを脱出できるかもしれない。そして、カリスクを倒すことも不可能ではないと提案するのだった。

デクにとって、プレデターの掟で「単独で狩れ。他者に頼るな」というものが基本で、このアンドロイドとの共闘はプレデターの掟への直接的な反逆だった。しかしデクはその掟を破ることを選択する。弱者が強者になるための最初の一歩は、自らの弱さを認め、他者と手を組むことだったのだ。

怪物たちとの戦闘

デクとティアはバッドランドの地獄的な環境と戦いながらカリスクを追い続けるが、この最悪の地に生息しているのはカリスクに負けず劣らずの最悪のエイリアンにラブクラフト的な恐怖を具現化したかのような怪物たち。空から襲いかかるルナバグと呼ばれる獣。地中から飛び出す触手を持つ生物など、息する暇すら与えてくれないほどに二人に対する敵意の塊たちから身を守り撃破していくしか道はないのだ。

共闘していく中で、デクは自分の高度なプレデターの技術を使いながら、同時にティアの人工知能と計算能力を活用し、ティアが敵の動きを予測し、デクに戦術を提供。こうしてデクは敵の弱点を的確に捉えて撃破して、倒した素材で新たな武器を創作していく。互いのスキルが噛み合っていき、共闘を続けることでやがて信頼へと変わっていく。ティアもデクに自分はアンドロイドという「道具」ではなく「同志」だと語り、デクは初めて、ヤウージャの掟の外にある新たな価値観を学ぶのだ。

カリスクとの最終決戦

ついに二人は伝説の怪物カリスクと対峙する。その正体は、ヤウージャをさえ凌駕する知性と力を持つ巨大な捕食者のカリスクは単なる獣ではなく、この惑星の支配者であり、多くのプレデターの骨を集めた墓場の主でもある。

デクはカリスクとの決闘に臨む。知性と強靭にな肉体を持つカリスクだったが、強敵から作り上げた装甲と武器を手にしたデクは落ち着いて動きを誘い、ティアが上空から敵の動きを監視し、デクはティアの最適なタイミングで攻撃することで、難攻不落のカリスクに一撃を入れることに成功する。そして長い戦いの最後の一撃は、デクとティアの命をかけた一撃でカリスクの心臓を突き刺して、二人は協力による勝利を得る。

しかし、それはヤウージャの掟を完全に破るものだった。

結末ネタバレ:新時代への歩み、続編示唆

カリスクを倒したデクはこれでヤウージャの故郷に凱旋することができるはずだった。

しかし、デクは帰還しなかった。彼はティアと共に、バッドランドに留まることを選択する。ヤウージャの歴史上初めて、一族の掟を放棄した戦士が誕生した瞬間だった。

デクはティアに、掟の外にある「友情」「協力」「共生」という人間的な価値観の美しさを学んだ。

エンディングシーンでデクとティアが改造したスペースシップで新たな世界へ向かう。

themoviespoiler.com

考察:続編示唆「バッドランズ2」か

彼らは何か新しい目的を持っているようだ。もしかすれば、ウェイランド・ユタニ・コーポレーションや、他のヤウージャ支配体制に対する挑戦かもしれない。あるいは、人間とプレデターの共生の可能性を示唆するものかもしれない。

エイリアンアースに出る可能性もあるが、プレデターシリーズの新たなサーガが始まる方が自然なつながりのように感じる。ただし、ここまでプレデターを魅力的に描いた作品は他になくダン・トラクテンバーグ監督の功績が大きい。シリーズ監督として最後まで完投してくれるならサーガを死ぬまで追い続けたい。

映画はこの開かれた結末で幕を閉じる。デクという一頭のプレデターの成長と革新は、シリーズ全体の歴史的転換点となり、今後のプレデター・ユニバースへの無限の可能性を予感させるのだ。掟を破った戦士は、新たな時代の使者となったのである。

『Predator: Badlands/プレデター:バッドランド』作品情報

『Predator: Badlands』は、1987年の初作以来、シリーズ初となるプレデター(ヤウージャ)を主人公に据えた革新的な作品である。20世紀スタジオとディズニーが共同製作し、ダン・トラクテンバーグが監督を務めた本作は、単なるアクション映画の枠を超え、プレデター・フランチャイズの根本的な再考を促す傑作となった。シリーズの歴史上初めて、狩人が狩られる側に回り、その過程で人間的な成長を遂げるという物語構造は、38年の歴史を持つシリーズに新たな可能性をもたらした。本作の情報は以下の通りである。

興行収入

本作の興行成績は好調だ。北米での初週末興収は予想を上回り、全世界での興行収入も順調に伸びている。かつての『Prey』や初代『Predator』と比較しても、『Predator: Badlands』はシリーズ再興の象徴的な成功を収めている。特に、プレデターシリーズのファンのみならず、冒険活劇を愛する映画ファン層からの支持が厚く、口コミによる追加動員も期待されている。

ダン・トラクテンバーグ監督情報

IMDb

ダン・トラクテンバーグは1981年5月11日生まれ、ペンシルベニア州出身のアメリカ合衆国の映画監督・脚本家である。テンプル大学で映画を学び、2003年に卒業後、ナイキやレクサスなどのCMを手がけた。2011年には『Portal: No Escape』という『ポータル』を基にした短編映画をYouTubeで公開し、1700万回以上の再生数を記録した。

2016年には長編映画『10 クローバーフィールド・レーン』で監督デビューを飾り、DGA賞にノミネートされた。その後、Netflix『ブラック・ミラー』などのテレビドラマを手がけ、2022年にはディズニー+『Prey/プレデター:ザ・プレイ』を監督し、シリーズ再興の立役者となった。

さらに2025年には、アニメーション作品『Predator: Killer of Killers』も監督し、同年『Predator: Badlands』を完成させた。3作連続でプレデター・シリーズを手がけ、シリーズの創造的方向性を定義する監督として確固たる地位を確立している。

続編について示唆はされているものの、監督から直接明言されることはなく、現時点で「Waterworld」ドラマシリーズの1エピソードを監督する予定のみがスケジュールに掲載されているのみである。逆にここまで傑作シリーズを作り続けてきた監督のスケジュールが空くはずがなく、ファンの間で新たなプレデター作品の準備期間ではないかと言われている。

主演 デク役「ディミトリアス・シュスター=コロアマタンギ」情報

ディミトリアス・シュスター=コロアマタンギは、本作での主演がハリウッド映画初主演となる新進気鋭の俳優である。

その正確な経歴情報は限定的だが、本作でのデクという複雑なキャラクターの演技は、ハリウッド内で高く評価されている。主にプロスセティックスと高度なCGI技術を用いて作られたデクの表情は、ほぼすべてが身体表現とボディ・ランゲージに頼ることになった。それにもかかわらず、シュスター=コロアマタンギはデクの内面的な葛藤、成長、そして人間的な優しさを見事に表現した。

監督ダン・トラクテンバーグは、彼が非言語的な演技の達人であると高く評価しており、本作はシュスター=コロアマタンギのハリウッド・キャリアの扉を開く歴史的なデビュー作となった。

主演 ティア役「エル・ファニング」情報

エル・ファニングは1998年4月9日生まれ、アメリカ合衆国ジョージア州出身の女優。姉はダコタ・ファニング。2歳のときに『アイ・アム・サム』で姉ダコタの幼少期役を演じてスクリーン・デビューした。

その後、『バベル』『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』などの作品で評価を獲得し、2010年のソフィア・コッポラ監督『Somewhere』で主演を務めた。2011年の『SUPER8/スーパーエイト』ではスティーブン・スピルバーグ作品のヒロインとなり、その後『マレフィセント』シリーズでオーロラ姫を演じるなど、ハリウッド映画での確かな地位を確立している。

本作ではティアという複雑で魅力的なアンドロイド・キャラクターを演じ、とりわけそのキャラクターの二面性(理知的でありながら、同時に人間的な感情を持つ存在)を見事に表現している。彼女の活躍は本作の成功の鍵となった。

海外の感想評価まとめ

映画『Predator: Badlands』は海外批評家からも高い評価を受けている。本作がシリーズの新しい方向性を提示し、同時に1987年の初代『Predator』以来の高水準の完成度を達成したという点で、評論家の意見はほぼ一致している。

テーマとしての「弱さが強さへと変わる」という普遍的なテーマ、そしてアクション・シーンの質の高さ、デジタル・エフェクトの優秀さなど、多角的な評価が寄せられている。同時に、本作がPG-13というレーティングを取得したこと、そして人間を主人公としない作品であることが、シリーズの既存ファンの間で議論を生む結果となった。それでも、作品としての完成度の高さは誰もが認めるところとなっている。なぜこの評価になったのか?海外レビュアーたちの具体的な評価を見ていこう。

IMDb(総合評価:7.4/10)

①本作の最大の成功は、プレデターというキャラクターに対する根本的な再定義にある。これまでのシリーズでは、プレデターは常に無敵の狩人としてのみ描かれてきた。しかし『Badlands』では、デクというヤウージャが「弱さ」と「適応力」の中から真の強さを見つけ出すプロセスが、丁寧に描かれている。ダン・トラクテンバーグの映像センスは秀逸で、惑星ジェンナの荒廃した風景が、デクの内面的成長と完全にシンクロしている。アクション・シーンは高度なCGI技術と実写映像の融合により、没入感に満ちている。

②本作における最大の創意工夫は、アンドロイド・ティアというキャラクターの導入だ。エル・ファニング演じるティアは、単なる補助的な存在ではなく、物語全体の精神的な中心軸となっている。デクとティアの関係は、『エイリアン』シリーズの伝統を引き継ぎながらも、それを超越した新たなダイナミクスを構築している。二人の対話シーンは、テーマ性の深さと娯楽性を見事に両立させている。特に、ティアがデクに人間的価値観(共生、協力、友情)を教えるプロセスは、この映画の真の主題を象徴している。

③シリーズ全体における本作の位置付けについて。『Prey』が北米先住民の視点からプレデター・シリーズを再考したのであれば、『Badlands』はプレデター自体の存在意義を根本から問い直している。原初の『Predator』では、シュワルツェネッガー演じるダッチは「狩人」に対抗する「人間」だった。38年後の本作では、プレデター自身が「狩人の掟」に反逆し、人間的な価値観を求める存在へと進化した。このシリーズ発展の軌跡は、映画史に記録すべき重要な変化だ。

④本作の唯一の弱点は、その野心性ゆえに、一部の旧来のファンから「本当のプレデター・ムービーではない」という批判を浴びていることだ。しかし、それはむしろ本作の成功の証でもある。進化しないシリーズは死滅するのだ。『Badlands』は、シリーズが生き続けるために必要とされていた刷新そのものであり、その証拠に、批評家の評価は極めて高いのだ。

IMDb – Predator: Badlands

Rotten Tomatoes(批評家:89% / 観客:89%)

①本作に対する批評家の評価は圧倒的だ。89%というスコアは、『Prey』をも上回る高い支持を示している。その理由は複数存在する。第一に、物語構成の完璧さ。デクの成長物語は、古典的な「英雄の旅」という叙事詩的テンプレートを忠実に守りながら、それを宇宙SF冒険ムービーの文脈で見事に再構築している。第二に、ビジュアルの圧倒的な素晴らしさ。惑星ジェンナのエイリアン的風景は、『エイリアン』や『ジャバウォッキー』を彷彿とさせる恐怖と美の両立を実現している。

②観客スコアも89%と批評家と同じ高さを示しており、これは極めて稀なことだ。つまり、『Badlands』は批評家にも一般観客にも平等に支持されている作品であるということだ。これは本作が単なる「通ぶった」映画ではなく、純粋なエンターテインメント価値を持つ作品であることの証明である。アクション好きも、SF好きも、ドラマ好きも、すべての映画ファン層から支持を受けている。

③本作が獲得した高評価の背景には、監督ダン・トラクテンバーグの明確なビジョンと、それを支える制作スタッフの統一された熱意がある。CGIディレクター、サウンドデザイナー、作曲家のサラ・シャッフナーとベンジャミン・ウォルフィッシュなど、すべての部門が高い完成度を実現している。

Rotten Tomatoes – Predator: Badlands

Metacritic(総合評価:71/100)

①Metacriticでの71/100というスコアは「一般的に好意的」というカテゴリに分類され、25人の批評家による加重平均に基づいている。このスコアは『Prey』の74/100には若干劣るものの、シリーズ全体の中では『Badlands』の革新的な試みが高く評価されていることを示している。最も印象的なのは、スコアの一貫性だ。極端な高評価もなければ、極端な低評価もない。つまり、批評家コミュニティ内で本作に対する広いコンセンサスが存在するということだ。

②批評家たちから特に高く評価されているのは、本作が「シリーズの伝統を尊重しながらも、その根本的な再解釈を行った」という点である。1987年の初作『Predator』から2025年の『Badlands』までの38年間を、シリーズの内部からの視点で再検討する。その試みは大胆にして野心的だ。しかし、その野心が見事に実現されたからこそ、批評家たちは高い評価を与えたのだ。

③本作が「一般的に好意的」評価に留まった理由についても考察すべきだ。それは、本作が「完璧な映画」ではなく「進化する映画」だからだ。即ち、本作はシリーズの未来への道を開く作品であり、その過程で若干の瑕疵や不完全さを包含している。だが、その不完全さこそが、この映画を「生きた作品」たらしめているのだ。

Metacritic – Predator: Badlands

批評家レビュー

映画『Predator: Badlands』に対して、海外の有力映画批評媒体からは、シリーズ史上稀に見る高い評価と深い考察が寄せられている。本作がプレデター・フランチャイズにもたらした変化、そして映画史における意味合いについて、批評家たちは多角的な視点から議論している。プレデター・ファンにとってはもちろん、映画学的な興味からも注目される本作への評価を、主要批評媒体から見ていこう。

Variety 9.0/10

デヴィッド・ロプスキー氏「プレデターの進化は映画史的転換点」

Variety誌の評論家デヴィッド・ロプスキーは、『Predator: Badlands』を「本来ならば不可能なはずの映画化の成功」と評している。すなわち、プレデター(ヤウージャ)を主人公に据えることで、シリーズの基本的な設定自体を根本的に変えてしまったという意味だ。従来の『Predator』シリーズでは、プレデターは常に敵役であり、人間側からの脅威そのものだった。その敵を主人公にするということは、映画的には自殺行為に等しい。にもかかわらず、ダン・トラクテンバーグはその不可能に挑み、見事に実現してしまった。

本作の成功の鍵は、デクというキャラクターが「弱さ」という従来のヤウージャにとって忌避すべき属性を持ちながらも、その弱さが実は適応力と創意工夫という強さへと変わっていくプロセスを、細密に描いたことにある。アクション・シーンの充実度も高く、特に惑星ジェンナでの生存戦は、映画『キャスト・アウェイ』や『ジュラシック・パーク』に匹敵する、人間が未知の環境に対峙する恐怖と冒険心の両立を実現している。

評価点

本作の評価に値する点は、映画としての完成度の高さである。プロダクション・デザイン、ビジュアル・エフェクト、サウンドデザイン、映像編集、そして脚本構成に至るまで、すべての部門が一流の仕事をしている。特に、ディミトリアス・シュスター=コロアマタンギの非言語的な演技とエル・ファニングのキャラクター表現は、映画演技論における新たな地平を切り開いている。また、アンドロイド・シンセティックという存在を通じて、『エイリアン』シリーズとの世界観の融合を自然に実現させた脚本の統合性も賞賛に値する。

批判点

敢えて批判点を挙げるなら、本作がPG-13というレーティングを取得したことについて。確かに、ヤウージャとアンドロイドの流体(緑色と白色)を使用することで、従来の赤い血液による表現を回避したという工夫は理解できる。しかし、シリーズの伝統的なゴア表現を期待していたファンの一部にとっては、この決定は物議を醸している。ただし、映像的な暴力表現は決して減じられていないため、この批判は若干的外れかもしれない。

Variety – Predator: Badlands

Roger Ebert’s Legacy ★★★★★

ロジャー・エバート評論家ネットワークからの声「人間性を取り戻したプレデター」

ロジャー・エバートの評論伝統を引き継ぐ批評家は、本作を「シリーズ史上最高傑作」とまで評している。その理由は、本作がシンプルながら普遍的なテーマを映画化したことにある。即ち、「人間であることの意味」と「社会の掟に対する反逆」というテーマだ。興味深いことに、本作にはシリーズを通じて唯一、主要な人間キャラクターが登場しない。にもかかわらず、本作は「人間的価値観とは何か」という根本的な問いを、極めて深く提示している。

ティアというアンドロイドが、デクという異星人に「人間的価値観」を教えるという反転構造は、人間中心主義的な世界観を脱却し、より普遍的な倫理観を提示する。これは映画化学的に見ても、シリーズ的見地からしても、稀有な成就である。本作を見た後、観客は「強さとは何か」「弱さとは何か」「掟とは何か」といった根本的な問いに直面することになるのだ。

評価点

本作が映画史的に重要である理由は、「敵を主人公化する」という古典的な映画的手法を、スペクタクルな娯楽映画の文脈でもって実現したからだ。ハリウッドの映画化学では、観客は必ず主人公に感情移入する。したがって、主人公がプレデターであれば、観客もプレデター視点で世界を見ることになる。その結果、従来の「人間対プレデター」という二項対立の構図が完全に解体される。この視点的な革命こそが、本作の本質的な価値だ。

批判点

若干の批判点があるとすれば、本作が「完璧すぎる」ために、シリーズのファンの一部に「正統派ではない」という感覚を与えているという点だ。しかし、それはむしろ本作の成功の証である。完璧に進化したシリーズは、必ず一部の旧来ファンから反発を受ける。それは『ジェームズ・ボンド』シリーズや『スター・ウォーズ』シリーズの歴史が示している。本作はシリーズの進化を象徴する作品なのだ。

Roger Ebert – Predator: Badlands

IndieWire ★★★★☆

クリスチャン・リ氏「野心的実験がもたらしたシリーズの再生」

独立系映画批評の雄IndieWireの評論家は、本作を「リスクの高い映画化の大成功例」と評している。シリーズ初となるプレデター主人公という試みは、確かに大きなリスクを伴っていた。観客は果たしてプレデターに感情移入できるか。人間を主人公としない異星人ムービーが、商業的に成功するか。そうした懸念は十分に正当だった。にもかかわらず、ダン・トラクテンバーグはその懸念を見事に払拭してしまった。

本作の真の価値は、それが単なる「スペクタクル・エンターテインメント」ではなく、「哲学的問題提起を内包した冒険活劇」だということだ。デクが故郷を離れ、異なった環境と異なった価値観に出会い、最終的に自分の掟を放棄するに至るプロセスは、ジョセフ・キャンベルが『千の顔を持つ英雄』で描いたヒーロー・アーキタイプの現代的解釈そのものだ。映画表現としての成熟度も高い。

評価点

本作が高く評価される理由として、まず挙げるべきは「制作総費用の効率的な使用」だ。プレデター・シリーズは多くの場合、豪華なキャスト陣と大規模なアクション・シーンに多大な予算を費やす。しかし『Badlands』は、ほぼ二人のメイン・キャラクターと、デジタル・エフェクトに予算を集中させることで、より洗練された映像を実現している。結果として、予算効率の点からも、映画としての完成度の点からも、シリーズ内で高い評価を得ている。

批判点

敢えて指摘するなら、本作の意欲的な試みが全てのファンに受け入れられているわけではないという点だ。シリーズ初期の『Predator』や『Predator 2』を愛するファンからすれば、本作の方向性は「プレデター・ムービー」というジャンルの本質から外れているように見えるかもしれない。しかし、シリーズの長期的な生存を考えれば、この種の革新は必須だったのだ。

IndieWire – Predator: Badlands

CGMagazine ★★★★☆

シャキル・ランバート氏「ダン・トラクテンバーグ時代の確立」

ジャンル映画専門誌のCGMagazineの評論家は、『Predator: Badlands』を「ダン・トラクテンバーグがプレデター・フランチャイズの完全なる創造的支配権を確立した瞬間を示す作品」と評している。ダン・トラクテンバーグは2022年の『Prey』でシリーズに参入し、2025年の『Killer of Killers』でアニメーション表現での成功を収め、本作『Badlands』で三作目の監督作品を完成させた。この三部作の中で、トラクテンバーグはシリーズの様々な側面を探求してきた。

「Prey」は歴史的視点からプレデターの狩りを再考し、「Killer of Killers」はシリーズ全体のメタ的整理を行い、「Badlands」はプレデター自体の人間化を試みた。この三部作の完成により、プレデター・フランチャイズはトラクテンバーグ監督の創造的ビジョンの下に統一されたのだ。

評価点

本作の最大の成功は、「エイリアン・ユニバース」とのクロスオーバーを自然に実現させたことだ。ウェイランド・ユタニ・コーポレーションという悪名高い企業が、プレデター側の物語にも登場することで、二つのシリーズが同一の宇宙観を共有しているという認識が強化される。ティアというアンドロイドの存在は、単なるキャスティングではなく、世界観の融合そのものなのだ。この観点から見れば、本作は『エイリアン vs. プレデター』という従来の単純な対立構図を超え、より複雑で興味深い共存の可能性を提示している。

批判点

若干の瑕疵があるとすれば、本作が高度に理想化されているという点だ。即ち、デクがティアとの共闘を通じて、ヤウージャの掟を放棄し、人間的価値観を獲得するというプロセスが、若干のイデオロギー的な理想主義に傾いているように見える。リアリズム的には、古い掟に縛られた一族の内部から、いかに新たな価値観が生まれるのかについて、もっと複雑な社会的メカニズムの描写が必要だったかもしれない。

CGMagazine – Predator: Badlands

個人的な感想評価

IMDb

映画『Predator: Badlands』は、シリーズ初となるプレデター主人公という冒険的な選択が、見事に成功した傑作だ。1987年の初作『Predator』以来、38年の歴史を持つシリーズが、どのように進化していくのかという問いに対して、本作は明確で説得力のある答えを提示している。

その答えとは「掟の再検討」である。ヤウージャという種族が、その根底に置いている「弱者排除」「単独での狩り」「勝者のみが価値を持つ」という掟に対して、デクという一頭の弱小プレデターが反逆を試みる。その過程で、彼が発見するのは「協力」「友情」「共生」という人間的価値観だ。この物語構造は、古典的な「英雄の成長物語」であると同時に、現代社会への深い問題提起でもある。

ダン・トラクテンバーグの映像表現は、惑星ジェンナの荒廃した風景を通じて、デクの内面的成長を完璧にビジュアル化している。肉食恐竜的な怪物たちは単なる敵ではなく、デク自身の恐怖心と対峙する心象風景そのものだ。ディミトリアス・シュスター=コロアマタンギの身体表現とエル・ファニングのアンドロイド・キャラクター表現は、新たな演技の可能性を開いている。二人のケミストリーが映画全体を支えている。

本作の唯一の課題は、その完璧性ゆえに、シリーズの旧来ファンからの反発を招いているという点だ。38年前、ダッチ少佐はベトナムのジャングルの中で血みどろの凄惨な戦いから生存し、2ではニューヨークを舞台に反社会的人間たちが次々と屠られトロフィーと化してきた。プレデターは狩人で獲物は人間だ。そこには殺しの中にもプレデター流の美学が存在しながらも凄惨な肉体の破壊とゴア表現が必ず表裏一体で存在していた。近年のプレデターはエンターテイメント寄りの「面白さ」を優先している傾向にあり、往年のファンからは反発が出ていたことは知っている。

しかし、それはシリーズが進化する際には必然的に生じる現象である。革新的な作品には、必ず異論が伴う。重要なのは、その異論の声にもかかわらず、本作が批評家と一般観客の双方から高い支持を得ているという事実だ。未熟なプレデターデクがアンドロイドのティアの知恵を借りて協力して成長していく成長譚はスターウォーズのオビワンとルークのようではないか。これはプレデターの変革ではなく、新たな歴史の1ページである、腐敗したスターウォーズと混同してはいけない、これは監督自身がシリーズファンとして、旧ファンたちの要望にも応えながら革新的な解釈と映像で築き上げた歴史的な傑作だ。まだ観ていないのなら見るべきだ、子供の頃棒切れを持って森の中や公園を探検した時の高揚感を。思い出すだろう。改めていうがこの作品は傑作だ。この映画を生きているうちに視聴できたことに感謝したい。

本作を見た後、観客は「プレデターとは何か」「人間とは何か」「掟とは何か」といった根本的な問いに直面する。それは映画の最高の役割である。エンターテインメントとしての成功と、芸術的完成度の両立。それが『Predator: Badlands』だ。

まとめ

映画『Predator: Badlands』は、シリーズ初となるプレデター主人公という試みを通じて、38年の歴史を持つフランチャイズの根本的な再考を実現した傑作である。掟を破った若きヤウージャ・デクの成長物語は、単なるSFアクション映画の範疇を超え、人間の本質に関わる深い問題提起を内包している。

本作の成功の秘訣は、その野心的な設定を支える映像表現と脚本構成の完璧さにある。ダン・トラクテンバーグ監督の明確なビジョン、ディミトリアス・シュスター=コロアマタンギとエル・ファニングの秀逸な演技、そして制作スタッフ全体の高度な技術力が、この困難な映画化を成功へと導いた。

海外での評価は圧倒的だ。批評家からも一般観客からも高い支持を受け、シリーズの未来への道を照らす灯火となった本作は、今後のプレデター・フランチャイズの方向性を示唆している。それは「掟の再構築」であり、「人間的価値観への回帰」であり、「共生への道の模索」である。

本作は、シリーズ愛好家にとっても、映画表現の進化に関心を持つ者にとっても、必見の傑作である。2025年の映画界において、『Predator: Badlands』は間違いなく最高の成就の一つとなるだろう。プレデター・フランチャイズは、この作品によって新たな時代に突入したのだ。

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