映画『マルドロール/腐敗』あらすじ結末ネタバレと海外の感想評価まとめ

「道の遠さ、人間の堕落、制度の腐敗を描いた傑作警察トリラー」——ベルギーとフランスの合作で制作された映画『マルドロール/腐敗』物語結末までネタバレと海外の感想評価をまとめて紹介する。
本作は欧州で最も才能あふれる監督の一人、ファブリス・デュ・ウェルツの新作として、2024年9月3日にヴェネツィア国際映画祭で世界初公開された。ベルギーで1990年代に実際に起こった衝撃的な事件をモチーフに、虚実を融合させた映像作品として国際的な注目を集めている本作は、IMDbで6.6/10、ロッテン・トマトで75%という高評価を獲得。

本作は、二人の少女が失踪する事件から幕を開ける。若き警察官ポール・シャルティエが秘密部隊「マルドロール」に配属され、危険な性犯罪者を追跡する任務に当たることになる。だが、警察と司法制度の機能不全により、この秘密作戦は瓦解してしまう。やがてポールは法制度の限界に絶望し、独力で犯人たちを追うことを決断する。腐敗した社会、破壊されてゆく個人の人生——深刻なテーマと人間ドラマを織り交ぜた異色のクライム・スリラーである。

本作の監督・脚本は、ベルギー・リエージュ出身のファブリス・デュ・ウェルツ。主人公ポール・シャルティエ役には、2018年の『祈りの力』でベルリン国際映画祭主演男優賞を受賞したフランスの俳優アンソニー・バジョンが抜擢されている。彼の濃密な演技が、この物語を支える最大の原動力となっている。ポールの婚約者ジーナ役にはアルバ・ガイア・ベルギー、そして事件の中心にいる性犯罪者マルセル・ドゥデュー役には、『パンズ・ラビリンス』で悪名高いヴィダル大尉を演じたスペイン人俳優セルジ・ロペスが配役されている。

今回は、異色の警察ドラマとして国際的に高く評価される映画『マルドロール/腐敗』の物語の結末まで、詳細に掘り下げていきたい。以下の内容は本編の結末の完全ネタバレを含むため、必ず劇場で鑑賞してからご一読いただきたい。また、児童虐待、性暴力、ペドフィリアなど、閲覧時に不快や苦痛を覚える可能性のある事柄が具体的に描写されるため、十分な注意を払っていただきたい。

映画『マルドロール/腐敗』あらすじ結末ネタバレ

ここから先は『マルドロール/腐敗』の核心である重大なネタバレを含む。劇場鑑賞後の閲覧を強く推奨する

主人公ポールとマルドロール作戦

物語の舞台は1990年代初頭のベルギーである。当時、ベルギーの警察組織は3つの独立した機関——憲兵隊、地方警察、司法警察——に分かれていた。警察組織統合への改革案が出ていたことで、各組織は互いに敵対し、情報共有を拒否し、連携を断ってしまっていた。この制度的な分裂が、後に大きな悲劇を招くことになる。

若く野心的な憲兵ポール・シャルティエ(アンソニー・バジョン)は、シチリア出身の女性ジーナ(アルバ・ガイア・ベルギー)と恋愛中であり、結婚準備を進めていた。彼はジーナとの結婚式を挙げ、二人の生活が始まろうとしていた。

同時期に、セシルとエリナという少女2人が失踪する事件が発生した。ベルギー全体が震撼し、誘拐の可能性が高まる中、ポールは情報屋レオン・ヴィークから重要な情報を得た。犯人はマルセル(セルジ・ロペス)という仮釈放中の前科者であり、レオンが目撃した限りでは、マルセルが「少女たちを売れば儲かる」「隠し地下」について言及していたというのだ。

ポールの上司ヒンケル(ローラン・ルーカス)は、この情報を受けて秘密の小規模捜査班を組織した。その作戦の名前は「マルドロール」——19世紀の文学作品『マルドロールの歌』(ロートレアモン伯爵作)から取られた名前である。作品が持つ邪悪さと不気味さが、この事件に潜む闇を象徴していた。

情報戦と組織間の対立

少女失踪事件は司法警察の管轄に属しているため、ポール率いる憲兵隊が提供を求めるも、なぜか情報共有を拒否されていた。そこでポールと相棒ルイス・カターノ(アレクシス・マネンティ)は司法警察の署に押し入り必要な情報を手に入れることに成功する。

何日間にもわたるマルセルの尾行と監視の末、ポールはマルセルの工場で衝撃的な光景を目撃した。犯罪者マルセルと、実業家のジャッキー・ドルマン(ドミニク・ピナン)がマルセルの弟子であるディディエを激しく拷問していたのだ。

この場面を見たポールは、少女失踪事件は単なる個別の犯罪ではなく、より大きな組織による児童売買ネットワークの一部ではないかという仮説を立て、上司ヒンケルに報告すると、ヒンケルはこれを却下し、ポールを叱責し、余計なことをするなと釘を刺し、仮釈放中の性犯罪者と実業家がそんな性犯罪の組織に関わっているはずがない、というのが幹部たちの見立てだった。

家庭の崩壊

何かがおかしい、誰かが真実を隠そうとしているようだ。ポールの事件への執着は、彼の家庭生活を徐々に蝕んでいった。ジーナは妊娠を告白し、ポールを励まそうとしたが、彼は家庭よりも事件に没頭し関心は完全に捜査による解決のみに奪われていた。

やがて司法警察がマルセルを逮捕する。遅すぎる逮捕だった。しかも、ポールが事前に警告していた「隠し地下室」については誰も言及しなかったどころか、発見すらしていないとのことだ。ニュースではマルセルの凶悪犯罪が国民の前に明かされ、ベルギー全体が震撼する。失踪した2人の少女は飢え死にさせられていたこと、マルセルの同伴者であるディディエが他の被害者を虐待していたことなどが判明した。

ポールはヒンケルの初動捜査の遅さに激怒し警察署を抜け出す際に、車に轢かれて入院してしまう。怒りとやるせなさに、ポールはジーナに責任を転嫁し、最終的に妻子を家から追い出し家を「証拠室」に変え、壁一面に証拠写真や陰謀論を張り付けた部屋に閉じこもるようになる。

やがてルイスが訪れ、ポールが職場での「職務怠慢と不服従」により懲戒免職を言い渡されたことを告げにやってくる。マスメディアは良い的を見つけたかのようにポールを「職業意識を欠いた警官」として批判した。マルドロール作戦は終焉を迎え、ポール自身の警察官としてのキャリアも終わったのだ。

執着と隠し地下室

ポールは単独で行動することを決意した。彼は実業家ジャッキー・ドルマンの工場を訪れ、ついに隠し地下室を特定する。そこで恐ろしい発見をした——人肉を食べる豚の群れと被害者の一部だった。ーーー殺された被害者の遺体は証拠隠滅のために豚に食べられていたのだ。

ポールは豚を殺害し、人間の遺体の一部を回収した。彼はそれらを警察署の前に置き去りにし、容器に「この遺体はジャッキー・ドルマンが所有する工場から発見されたものだ」と書いて、警察に訴えた。

しかし、司法警察は組織ぐるみでジャッキーを庇い続ける。ポールにルイスからジャッキーは警察の情報提供者で、警察は彼に麻薬代をわいろとして支払っていること。つまり、ジャッキーは制度によって保護されている無敵の存在だったのだ。

この時期、ポールは行方不明になったマチルダのビラを受け取った。マチルダはマルセルの仲間の一人であるトーニオの恋人であり、マルセルは報復としてマチルダを拉致していたのだ。

ポールはマチルダの部屋に潜入し、古いテレビセットの中からビデオテープを発見した。そのテープには、マルセルが2人の少女を誘拐し、政府高官と思われる老人達にレイプされているおぞましい内容が描かれていた。

その瞬間、装備を整えた暗殺者たちがポールの家に侵入してライフルを乱射してきた。何がなんでもポールを殺そうとする凄まじい殺意の中、銃撃戦に応じ暗殺者の一人を射殺して命からがら逃げ出せたが、家に火をつけられて証拠品全てが燃えてしまう。

装備品から暗殺者は警察か国の兵士だと気付き、逃げ場を失ったポールは、毒親の母の家に身を隠すことになった——彼が人生を通じて逃げ続けていた人物のもとへ。

その直後、さらに驚愕の事実が判明した——マルセル自身が警察の拘留中に脱獄してしまったのだ。この事実は、政府が彼の釈放を許可した可能性さえも示唆していた。

結末ネタバレ:ポールの最終決断

ポールは裏社会の情報網を活用した。彼は母親の世話をしていた時代の連絡先を頼りに、裏ボス的な存在であるブローデル夫人(ルブナ・アザバル)に接触。彼女の息子から、レオン・ヴィークがマルセルが国外に逃亡するための偽造パスポートを作成していることを突き止める。

ポールはレオンを追い詰め、彼にマルセルの潜伏地まで連れて行かせ、ついにポールとマルセルは対峙するため、パスポート受け取り現場で潜伏していると、マルセルはレオンからパスポートを受け取ると、躊躇なく彼を射殺して立ち去ってしまう。ポールはマルセルに銃を放ち、激しい追跡劇が始まった。森の中での肉体的な闘争の末、ポールはマルセルを制圧した。

マルセルは笑みを浮かべながら言った——「お前は警官だ。お前は俺を殺せない」と。

しかし、マルセルは重要な事実を見落としていた。ポールはもう警官ではなかったのだ。彼はすでに職を失い、システムから追放されていた。そして彼は、幼い被害者たちの苦しみに応える最後の行為として、マルセルを殺害した。

ポールの行為は逮捕につながった。彼は「自警的な殺人」の罪に問われたのだ。国民の多くがマルセルの死を望んでいたにもかかわらず、ポール自身はその行為の法的責任を問われることになった。

獄中でのポール。ヒンケルが訪れ、甘い言葉をかけた——「お前はすぐに出られる」と。そして、引き換えにビデオテープに映っていた男の身元を明かすよう要求した。

ヒンケルが渡した写真には、制服を着た人物が映っていた。その人物は政府の高位にある存在だとポールは推測した。しかし、そいつを有罪にしても、自らの釈放にはつながらないこと、その者を追及することはヒンケルの昇進をもたらすだけであることを理解していたポールは答えず立ち去る。

彼は自らが少女たちの仇を討ったこと、そしてその行為に対する責任を受け入れることを静かに決めた。彼は刑務所での人生を選んだのだ。

正義は勝利しなかった。しかし、ポール・シャルティエという一個の人間は、制度の腐敗に抗いながら、自らの道を歩むことを選んだのである。

Wikipedia – Maldoror (film)

『マルドロール/腐敗』作品情報

本作『マルドロール/腐敗』(原題:Maldoror)は、ベルギーとフランスの合作で制作された重厚なクライム・スリラーである。2024年9月3日にヴェネツィア国際映画祭でのプレミア上映を皮切りに、2025年1月15日にフランスで、同年1月22日にベルギーで劇場公開された。ベルギーの社会的トラウマとなった実在の事件をインスピレーション源としながら、フィクションとして大胆に再構成した本作は、ヨーロッパを代表する映画批評家たちから高い評価を獲得している。

デュトルー事件での政府・警察の腐敗

本作はかつて1989年のデュトルー事件とベルギー政府の腐敗をもとに製作され、かつての国家的なトラウマと向き合う作品と位置付けられている。
以下では元になったベルギー政府の腐敗と事件について軽く紹介する。

  1. 初期逮捕後の異常な早期釈放

1989年:デュトルー初逮捕(5人の少女への強盗・強姦罪)
1992年:わずか3年で仮釈放(通常は長期刑)
→釈放後、同じ犯行を繰り返す

問題: 危険な犯罪者を短期で釈放した司法判断の不透明性

  1. 3つに分裂した警察組織の機能不全
    当時ベルギーの警察は3つの独立機関に分かれていた:

憲兵隊
地方警察
司法警察

問題: 各組織が情報を共有しない、管轄権で対立し、デュトルーの行動を追跡できず

  1. 警察による直接的な失敗・怠慢

被害者の家族が何度も警察に通報したが無視された
警察が重要な証拠を見落とした
複数の警察官が当事者能力の欠如を示した
組織的な隠蔽や責任回避の疑い

  1. 司法制度の不整備

児童虐待事件への対応マニュアルが不足
緊急時の連携体制が機能していなかった

  1. 陰謀論とされる部分
    事件後のベルギー社会では以下の疑問が浮上:

デュトルーが政府高官や有力者と結びついていたのではないか
高位の人物を守るため、意図的に捜査が遅延したのではないか
警察が情報を隠蔽しているのではないか

ベルギーは事件後、警察改革と司法改革を大規模に実施することで、この「制度的腐敗」に対して行動を示すも、これらの陰謀論は公式には証明されないまま、ベルギー国民は政府への根強い不信感を残した事件である。

興行収入

本作の世界興行収入は48万5435ドル(約7600万円)で、比較的限定的な公開範囲での成績となっている。インディペンデント系ヨーロッパ映画のカテゴリーにおいては、相応の成績を上げたと言えるだろう。映画館での上映期間は限定的であったが、映画祭での先行上映と国際的な批評家からの支持により、高い文化的価値が認識されている。

ファブリス・デュ・ウェルツ監督情報

ファブリス・デュ・ウェルツ(Fabrice Du Welz)は1972年10月21日生まれのベルギー人映画監督・脚本家。ブリュッセルのINSAS(ベルギー映画教育機関)で映画制作を学んだ後、2004年に長編デビュー作『カルヴェール』を発表。その後も意欲的な作品を発表し続け、ベルギー映画界の重要な人物として位置づけられている。代表作には『ヴィニャン』(2008年)、『アレリューヤ』(2014年・セザール賞ノミネート)、『アドレーション』(2019年)などがある。本作『マルドロール/腐敗』は、彼が15年間温めていた企画であり、「人生最大のプロジェクト」として位置づけられている。彼の映画には、人間の悪や狂気、そして社会の矛盾に対する深い問題意識が常に貫かれており、本作もその伝統を踏襲しながら、より主流的な警察ドラマの手法を採用している。

主演 ポール・シャルティエ役「アンソニー・バジョン」情報

アンソニー・バジョン(Anthony Bajon)は1994年4月7日生まれのフランス人俳優。パリ郊外のヴィルヌーヴ=サン=ジョルジュに生まれ、12歳から演技活動を開始した。2018年にセドリック・カーン監督の『祈りの力』で主演し、同作品でベルリン国際映画祭の主演男優賞(銀熊賞)を受賞。フランス人俳優として同映画祭での殊遇は極めて稀であり、バジョンの才能が国際的に認知される契機となった。

その後、ラッディ・ライ監督の『アテナ』(2022年・タンペレ映画祭受賞)やフランス映画界の主流作品に相次いで出演。本作『マルドロール/腐敗』ではポール・シャルティエという、徐々に倫理的境界線を越えてゆく若き警察官を、内面的な葛藤と執着を体を通して表現する卓越した演技を披露している。

主演 マルセル・ドゥデュー役「セルジ・ロペス」情報

セルジ・ロペス(Sergi López i Ayats)は1965年12月22日生まれのスペイン人俳優。カタルーニャのヴィラノーバ・イ・ラ・ジェルトゥー出身。舞台俳優として活動を開始し、フランスで本格的に映画キャリアをスタートさせた。1997年のマニュエル・ポワリエ監督作『ウェスタン』でカンヌ国際映画祭審査員賞を受賞、セザール賞ノミネート。その後、ドミニク・モル監督の『ハリーのような友人』(2000年)でセザール賞主演男優賞を受賞し、フランス映画界で一線級の俳優として地位を確立した。

スティーヴン・フリアーズ監督の『ダーティ・プリティ・シングス』(2002年)やギレルモ・デル・トロ監督の『パンズ・ラビリンス』(2006年)で悪役としての卓越した表現力を示し、ヨーロッパ映画における複雑な人物描写の大家として認知されている。本作では、静謐な狂気を備えた性犯罪者を演じ、言葉少なく、表情で悪意を表現する独特の間合いを示している。

海外の感想評価まとめ

映画『マルドロール/腐敗』は、2024年のヴェネツィア国際映画祭での初公開から、ヨーロッパの映画批評家たちから一貫して高い評価を受けている。

本作は、真実を基にしながらも完全なフィクションとして再構成された警察ドラマとして、道徳的複雑性と映画的完成度の両立を実現した稀有な作品として認識されている。海外での総合的な評価は極めて好意的であり、とりわけ欧州のシネフィルたちの間で深い共鳴を呼び起こしている。なぜこの高い評価が成立しているのか、海外レビュアーたちの具体的な見解を見ていこう。

IMDb(総合評価:6.6/10)

① アンソニー・バジョンの演技が本作の核となっている。彼は、正義感に駆られながらも次第に法の限界に絶望し、違法な手段へと転じてゆく主人公の心理変化を、極めて繊細に表現している。単なる行動描写ではなく、瞬きや呼吸音といった微細な表現が、観客をポール・シャルティエという人物に深く引き込む。映画全体を通じ、バジョンは一貫して本作のエモーショナルな基盤を支える。彼の存在感がなければ、本作の道徳的複雑性も説得力を失ったはずだ。制度の腐敗という抽象的なテーマを、一人の人間の破滅を通じて具体化させるバジョンの力量は、銀熊賞受賞の名実相応の証である。

② セルジ・ロペスが体現する悪意の無表情さは、本作の不気味さの源泉である。彼は『パンズ・ラビリンス』での悪役を遙かに上回る、より抽象的で無機的な邪悪さを表現している。犯人マルセル・ドゥデューは、ほぼ言葉を発しない。だが、その沈黙と表情の空洞性が、観客に強い恐怖を与える。ロペスは、悪人を「キャラクタライズ」することを意識的に避け、単なる「存在」として自らを定位置させている。その結果、彼は画面上で最も危険で、最も不可解な要素となるのだ。

③ シャルルロアという工業都市の廃墟的風景が、本作の視覚的基調をなしている。灰色の空、雨に濡れた鉄骨の建造物、錆び付いた機械——これらの映像的要素が、物語の内面的な腐敗を強力に暗喩している。映画『ジョーカー』や『ゾディアック』に通じる、社会的退廃感の映像化に成功している。天候と照明の操作により、常に薄暗い世界観が保持され、観客の心理に深い不安感をもたらす。

④ 本作の最大の強みは、一般的なサスペンス映画では避けられる「未解決性」を受け入れたことにある。犯人は逮捕されるが、被害者たちは帰らない。主人公は勝利するが、同時に敗北する。正義は実現されるが、その代償は極めて大きい。このモラル・アンビギュイティ(道徳的曖昧性)が、単なるエンタテインメントを超えた芸術的価値を生み出している。観客は映画館を出た後も、物語の余韻に苛まれることになるだろう。

IMDb – Maldoror

Rotten Tomatoes(批評家:75% / 観客:未決定)

① ルイス・P氏(スペイン系批評家)は、本作を「扉を開かないままの傷」として描写している。ファブリス・デュ・ウェルツは、ベルギー社会全体が抱える無意識の罪悪感を掘り起こそうとしている。システムの腐敗が、単なる「個別の不正」ではなく、社会構造の根底に組み込まれた現象として呈示されるのである。彼が強調するのは、腐敗した警察への表面的な非難が、実は市民全体の無知と無関心を隠蔽するための「道徳的言い訳」に過ぎないということだ。ベルギー社会の自己欺瞞的構造が、冷徹に暴露されている。

② セバスチャン・アンドレス・O氏は、本作を「ベルギーの集団トラウマに対する尊厳に満ちた向き合い方」と評価している。ファブリス・デュ・ウェルツは、暴力や虐待の描写に走ることなく、制度的な失敗と人間的な無力さに焦点を当てることで、より深刻なテーマに到達している。彼は指摘する:本作は単に「犯人を追い詰める警察」ではなく、「不完全なシステムの中で苦闘する個人」の物語なのだと。アンソニー・バジョンの瞳に宿る絶望感は、金銭では買えない映画的価値を具現化している。

③ マーティン・クドラック氏は、本作が「ジャンルとしての枠を超えた政治的・心理的ドラマ」であると述べている。デュ・ウェルツは、警察ドラマというジャンルの慣例的な期待(犯人逮捕による爽快感)を意図的に破壊する。その結果、本作は単なるエンタテインメント以上の価値——すなわち、社会的現実の映像化——を獲得する。本作を見終わった観客は、決して「爽快感」ではなく「悶悶とした違和感」を胸に抱いて映画館を出ることになる。それこそが、本作の最大の成功なのだ。

Rotten Tomatoes – Maldoror

Metacritic(総合評価:未集計)

本作に関しては、Metacriticでの十分な批評家レビュー集計が現在進行中である。ただし、イギリス、フランス、スペイン、ベルギーなどのヨーロッパ主流映画批評誌からは既に多数のレビューが寄せられている。

① イアン・フランク氏(英国の映画評論家)は、本作を「ダビッド・フィンチャーの『ゾディアック』と『セブン』を想起させる、現代ヨーロッパ版の警察手続き映画」と位置づけている。彼は、本作が「小さな手がかりを積み上げることで、巨大な不正を露呈させる」というフィンチャー的な映画的手法を採用していることを指摘する。ただし、フィンチャーとは異なり、デュ・ウェルツは「物語的な満足感」をも拒否する。この拒否の姿勢こそが、本作を単なる模倣作品から区別する決定的要素である。

② エアモン・トレイシー氏(アイルランド映画批評家)は、本作の映像美学に着目している。撮影監督マニュエル・ダコッセの手による映像は、1970年代のアメリカン・ノワール映画を彷彿とさせる。だが、それは単なる「レトロスタイルの模倣」ではなく、時代的な厳密性を備えた1995年ベルギーの「現実」を映像化したものである。灰色の空、錆び付いた工業施設、登場人物たちの疲弊した表情——すべてが、当時のベルギー社会の精神的風景を視覚的に体現している。

③ ニコラス・ベル氏(IONCINEMA主席映画批評家)は、本作の題名に隠された意味の層を解析している。『マルドロール』というタイトルは、フランスの象徴主義詩人イジドール・デュカスの『マルドロールの歌』から引用されている。デュカスは「都市の廃墟を思索することは壮大だが、人間の廃墟を思索することはさらに壮大である」と記した。本作は正にこのテーマを映像化している。ポール・シャルティエという「一人の人間の廃墟」を通じて、社会的な腐敗と個人的な破壊の関係性が暴露されるのだ。

[Metacritic – Maldoror(レビュー集計中)]

批評家レビュー

映画『マルドロール/腐敗』は、2024年のヴェネツィア国際映画祭での初上映後、ヨーロッパの主流映画批評メディアから相次いで高い評価を獲得した。本作の制度的腐敗と個人的破滅をめぐるテーマは、多くの批評家に深い思索を促した。彼らの評価を見ることで、本作が如何に複雑な映画的課題に取り組んでいるかが明らかになるだろう。

Cineuropa ★★★★☆

ヴェネツィア国際映画祭の公式批評誌Cineuropaの論評者は、次のように記している:「ファブリス・デュ・ウェルズは、これまでの自らの映画的言語——恐怖、狂気、グロテスク——を大幅に修正し、より普遍的でアクセス可能な形式へと移行させた。それでいながら、本作は決して商業的平板さに陥らない。むしろ、主流的な警察ドラマの形式を借用することで、より深刻な社会批評を達成している」。

本作は、才能ある若き警察官ポール・シャルティエ(アンソニー・バジョン)の道徳的破滅を中心に展開する。彼は、卑微な出自——獄中の父、売春婦である母——から法と秩序の世界へと逃げ出した。だが、その理想主義は制度の腐敗と直面し、次第に蝕まれていく。彼の婚約者ジーナ・フェラーラ(アルバ・ガイア・ベルギー)との関係も、事件への執着の前に破綻する。ポールは単なる「英雄的警察官」ではなく、システムの犠牲者かつ加害者なのだ。

評価点

デュ・ウェルツの映画的才能が、本作でいかに成熟したかが明確である。カメラワークは精密で、編集はリズミカルであり、演出は冷徹かつ人道的である。アンソニー・バジョンの演技は、内面的な葛藤を体を通じて表現する傑出したものであり、セルジ・ロペスの沈黙的な悪は、外部的な表現よりも遙かに恐ろしい。本作は、単なる「真犯人逮捕」というプロット以上の深さを持つ。

批判点

155分という尺の長さが、一部の観客にとって瑣末な場面(結婚式のシーン等)の冗長性として感じられる可能性は否定できない。また、制度的腐敗というテーマは、ヨーロッパ特定の文脈(ベルギーの1990年代社会)に限定されるため、普遍的訴求力に若干の限界がある。

(Cineuropa – Maldoror)

Venice International Film Festival Official Review ★★★★☆

2024年ヴェネツィア国際映画祭の論評官は、「本作は確かに『ゾディアック』を想起させるが、ファブリス・デュ・ウェルツ独自の視点を通じて再構成されている」と述べている。

ファブリス・デュ・ウェルツは15年間本作の企画を温め、映画『パンズ・ラビリンス』のカインヌ受賞を見て、ようやく「虚実を融合させた方法論」を発見したという。ポール・シャルティエという架空の警察官を通じながら、ベルギー社会に実在する司法的失敗と警察的機能不全を映画化することで、彼は現実と虚構の間に新たな芸術的可能性を切り開いた。本作は、単なる「真実を描いた映画」ではなく、「映画の力を通じて真実を再構成した作品」である。

セルジ・ロペスが演じるマルセル・ドゥデューは、『パンズ・ラビリンス』でのヴィダル大尉よりも遙かに禍々しい。なぜなら、彼は一切の美学的表現を拒否しているからだ。むしろ、彼は単なる「人間の悪」の具現化であり、観客は彼を「理解する」ことができない。この不可解性が、本作にジャンル的な恐怖の次元を超えた、哲学的な恐怖をもたらすのだ。

評価点

映像の完成度、演技の深さ、編集のリズム——あらゆる映画的要素が高度に統合されている。ファブリス・デュ・ウェルツは、ヨーロッパ映画界における最高レベルのクラフツマンシップを示している。本作は、映画の社会的責任と芸術的完全性の両立を実現した稀有な作品である。

批判点

第二幕以降、物語が政治的陰謀の領域へと深入りするにつれ、ドラマとしての説得力が若干の低下を見せる可能性がある。また、150分以上の尺の中で、いくつかの場面はより簡潔に処理されるべきだったとも考えられる。

(Venice International Film Festival Official Site)

Irish Film Critic ★★★★☆

アイルランド映画批評家エアモン・トレイシー氏は、本作を「21世紀ヨーロッパの警察手続き映画における最高傑作の一つ」と位置づけている。

本作の映像的美学は、1970年代のアメリカン・ノワール映画——『フレンチ・コネクション』や『ソーサラー』——に遡る。だが、デュ・ウェルツと撮影監督マニュエル・ダコッセは、単なる「レトロスタイルの模倣」を避け、1995年ベルギーの具体的な「現実」を映像化した。工業都市シャルルロアの廃墟的風景、登場人物たちの疲弊した表情、常に薄暗い天候——これらの要素が、物語の内面的な腐敗を完璧に反映している。

本作の開始シーンはVHSテープのような粗雑な映像で始まり、ジョン・カーペンター的な不気味な音楽が流れる。この映像的演出は、単なる「時代考証」ではなく、映画全体の心理的基調を決定づけるものである。観客はこの瞬間から、ポール・シャルティエの精神的苦悶に没入することになる。

評価点

映像的完成度、音響設計、編集のリズム、演技の深さ——あらゆる映画的要素が相互に補強し合い、統一された作品世界を形成している。セルジ・ロペスの存在感は、言葉を発しない場面こそ最も強く、観客に恐怖と違和感をもたらす。ベルギーの集団的トラウマという題材を、普遍的な「制度的腐敗と個人的破滅」というテーマに昇華させた手腕は、映画学的にも高く評価されるべきである。

批判点

本作の長尺は、一部観客に冗長性を感じさせる可能性がある。とりわけ、登場人物たちの日常生活を描く場面は、シーン短縮による時間経過表現で足りるのではないかという考え方も存在する。また、制度的陰謀という要素が、後半になるにつれ映画のトーンを不安定にさせる懸念もある。

(Irish Film Critic – Maldoror Review)

ScreenAnarchy (Martin Kudlac) ★★★★☆

映画批評サイトScreenAnarchyの論評家マーティン・クドラック氏は、「デュ・ウェルツは、警察ドラマというジャンルの慣例的期待(犯人逮捕による爽快感)を意図的に破壊する」と指摘している。

本作は、心理的・政治的ドラマをジャンルの枠を通じてフィルタリングすることで、単なるジャンル映画としての枠を超える。む しろ、本作は「真犯人映画の再構成」という高度な映画的課題に挑戦している。クドラック氏は、この試みを「欧州最高峰のアートハウス・ジャンル映像作家による、きわめて野心的な実験」と評価する。

デュ・ウェルツは、過去の『アレリューヤ』『アドレーション』における暴力的グロテスク表現から一定の距離を置き、より内面的で理知的な腐敗の描写へと移行した。その結果、本作は彼自身にとって新たな映画的言語の獲得を意味している。

評価点

本作は、単なる「エンタテインメント」を超えた芸術的価値を持つ。社会的制度の不完全性を、映画形式そのものの完全性と対比させることで、メタフィクショナルな意味層が生成されている。アンソニー・バジョンの演技は、この抽象的なテーマを具体的で感情的なレベルで具現化させる。

批判点

ジャンルの破壊と芸術的実験を追求するあまり、一般的な観客にとっての「物語的満足感」が削ぎ落とされすぎている可能性がある。また、ベルギーの特定の歴史的文脈への深い理解を要求することで、普遍的訴求力が限定される恐れもある。

(ScreenAnarchy – Maldoror Review)

個人的な感想評価

『マルドロール/腐敗』は、表面的には警察手続き映画だが、その本質は「制度と個人の不可避的な衝突」という普遍的テーマの映像化である。ファブリス・デュ・ウェルツは、ベルギー社会という限定的な題材から出発しながら、「すべての人間的努力が最終的に報われない」という冷徹な真実へと到達する。アンソニー・バジョンの緊張感溢れる演技は、正義感の崇高さと執着の危険性が紙一重であることを物語っている。セルジ・ロペスの無表情の悪は、社会的腐敗の背後にある人間の根本的な破壊性を暗示している。映像の完成度、編集のリズム、音響設計——あらゆる映画的要素が「人間的諦観」というテーマに統一されており、本作は単なるスリラー映画の枠を大きく超えた芸術作品である。海外批評家たちの高い評価は、この映画的完成度と思想的深さへの正当な認識であり、本作はヨーロッパ映画界における2024年の最高傑作の一つとして位置づけられるべき作品である。

まとめ

『マルドロール/腐敗』は、ベルギーの1990年代における実際の司法的失敗をインスピレーション源としながら、完全なる虚構として再構成された警察ドラマである。

本作の期待度は、映画祭での先行上映と国際的批評家からの支持により、相当に高い。その期待に応えて、本作は単なる「犯人逮捕物語」ではなく、「制度の不完全性と個人的破滅の必然性」を描き出す思想的深さを示す。

映像的完成度においても、『ゾディアック』や『セブン』といった同時代の警察ドラマと比較して決して劣ることなく、むしろ欧州的な美学的配慮により、より洗練された映像世界を構築している。アンソニー・バジョンとセルジ・ロペスという両俳優の卓越した演技、マニュエル・ダコッセの撮影による廃墟的ビジュアル、編集のリズミカルな完成度——これらすべてが、本作をヨーロッパ映画界における傑出した成果へと昇華させている。海外ではこの映画的・思想的達成が高く評価され、ヴェネツィア国際映画祭での初上映以来、映画批評家たちの間で一貫して好意的なコンセンサスが形成されている。日本未公開ではあるが、欧州シネフィルたちの間での高い認知度と、国際的批評家からの深い支持により、本作は確実に21世紀ヨーロッパ映画の傑作リストに名を刻むことになるだろう。

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