映画『KILL 超覚醒』あらすじ結末ネタバレと海外の感想評価まとめ

インドが仕掛けた至高のアクション映画『KILL 超覚醒』あらすじ結末までネタバレと海外の感想評価まとめ。2024年7月5日に北米で劇場公開された本作はニキール・ナゲーシュ・バット監督による血沸騰のアクション・スリラーだ。インド映画界の一大事として語られるこの作品は、列車という閉鎖空間を舞台に、凶悪な盗賊団との壮絶な殺戮戯を繰り広げる。本記事では、映画『KILL 超覚醒』の結末に至るまでのプロット全体をネタバレ解説し、海外レビュアーたちがこの暴力美学をいかに評価しているかをまとめた。

本作は、インドから海外への配給を手掛けたライオンズゲートが注力する稀有なヒンディー語映画であり、映画製作会社87Eleven(『ジョン・ウィック』シリーズで知られる)がハリウッドでのリメイク化を決定するなど、グローバルな注目を集めている。

监督はニキール・ナゲーシュ・バット、主演はラクシャ(映画初主演)とラグハヴ・ジュヤル、その他サポート陣にはアシシュ・ビディヤルティ、ハルシュ・チャヤ、タニャ・マニクタラ、アビシェク・チャウハンが名を連ねている。特に悪役を務めるラグハヴ・ジュヤルの怪演は各レビュアーから絶賛されており、本作の成功を大きく支えている。

以下の記事は『KILL 超覚醒』の結末に至るまでの完全なネタバレを含んでいる。必ず劇場で鑑賞してから読み進めていただきたい。また、本作は暴力描写が極めて多い作品であり、シーンによっては激烈な内容を扱っているため、注意していただきたい。

『KILL 超覚醒』あらすじ結末ネタバレ

ここから先は『KILL 超覚醒』の核となる重要なネタバレを多分に含む。

恋人の救出作戦

軍の特殊部隊兵であるアムリット(ラクシャ)が任務を終えて基地に戻ると恋人のツーリカ(タニャ・マニクタラ)が父親バルデーヴ・シン・タクール(ハルシュ・チャヤ)の強い要望で別の男との婚約を強いられていることを知り驚愕する。

アムリットは同僚のヴィレーシュと共にツーリカの乗るニューデリー行きの列車に飛び乗るとツーリカに会い、即座にプロポーズを行う。ツーリカは驚くが、彼を愛していると伝えると、婚約者からもらった指輪を外してアムリットの指輪を受け入れる。だがその瞬間、運命が牙を剥く。

列車上に突如として強盗団が侵入を始めるのだ。その数、およそ40名。各車両に乗客として潜り込んだ彼らは電波を遮断するジャマー装置を付けると銃火器で乗客を襲撃し、貴重品を奪掠し始める。

盗賊団の襲撃と初戦

強盗団の首領の息子のファニ(ラグハヴ・ジュヤル)は異常な執着性と冷酷さを兼ね備え乗客を容赦なく傷つけ、抵抗者には躊躇なく刃物を突き立て殺していく。

アムリットとヴィレーシュはこの状況に気付いた時点で行動を開始。二人は狭い客車の通路で強盗どもを一人また一人を抵抗できない程度にぶん殴って鎮静化して進みながら、盗賊の狙いを知る。

盗賊団は2時間にわたり駅に停車しない区間を走行中で、その間に乗客から金品を奪い、次の駅で姿を消すという計画で行動していた。すでに強盗団は通信機を奪い、緊急ブレーキを破壊して、外部からの救援が来ないように手を打たれており、乗客たちは完全に盗賊たちの手中に落ちているのだ。

二人の圧倒的な強さを目の当たりにしたファニは、子供を人質にアムリットの追撃を阻止すると、たまたま目についたツーリカを自分のものにしようとする。ツーリカはナイフで自衛するが、ファニはナイフをあっさりと奪うとツーリカの腹にナイフを突き立て、トドメにアムリットの目の前で首にナイフをブッ刺した後、ドアを開けて外に放り出してしまう。

恋人の死で動揺したアムリットは強盗団にあっさりと囲まれフルボッコされ気絶してしまう。

超覚醒

気絶から覚醒したアムリットは軍人としての矜持を捨てて一人の殺人鬼にジョブチェンジ。非殺傷のルールを捨て目についた強盗団を一人一人丁寧に殺し始める。ナイフ、鈍器、あらゆる環境や武器を使って目の前の相手の息の根を速やかに止めながら歩き続ける彼に今までの軍人の面影はなく、まるで解き放たれた残忍な殺人鬼である。

盗賊たちの中には家族関係を持つメンバーも多く、兄弟や親族同士が存在するため、アムリットが殺しまくる中で、家族の死を嘆くがアムリットに声は届くはずもなく、目に入った強盗団は高速で走行する列車から放り出すか、残忍な方法で殺すかのどちらかの方法で始末されていく。

異変を察知した警察が乗り込むが強盗団によってあっさりと武器を奪われ殺されてしまう。

結末ネタバレ:ファニとの対峙

殴り切り裂き殺し続けるアムリットだったが、疲労が見え始めたところで乗客を人質に取られてしまい、友人ヴィレーシュも殺され再び拘束されてしまう。

絶体絶命と思われたが一瞬の隙をついて再び拘束を解いて暴れ回り、強盗団の首領を焼き殺すと片手ハンマーで全員撲殺し、最後にファニを殴り殺して復讐を完遂させる。強盗団の何人かは恐れて列車から飛び降りるが全員即死する。

列車はついにニューデリ駅に到着し、数々の死闘を繰り広げた大小に何度も刺されているアムリットはかろうじて歩いて電車を出るとホームのベンチに腰掛け、目は虚の状態でまもなく命の灯火が消えるのは明白だった。

しかし、彼の横には亡くなったツーリカの霊が座りアムリットに向かって微笑んでいた。ツーリカの存在に気がついたアムリットがツーリカを見つめたところで物語は終了する。

Wikipedia – Kill (film)

『KILL 超覚醒』作品情報

本作『KILL 超覚醒』の制作陣と基本情報を紹介する。ニキール・ナゲーシュ・バット監督による初めてのメジャー・アクション作品は、インド映画界において革新的な評価を勝ち取った。制作はカラン・ジョハル率いるダーマ・プロダクションズとシキャ・エンターテインメント、配給はライオンズゲートが担当。2023年9月にトロント国際映画祭でプレミア上映され、2024年7月5日に北米で劇場公開された。ジャンルはアクション・スリラー・ドラマで、ヒンディー語での製作。レイティングはR指定。

興行収入

本作の興行成績はインド映画としては堅調である。北米での興行収入は約117万ドル、開封週末で約42万ドルを記録。世界全体では約193万ドルの興行収入を上げている。限定公開とはいえ、ハリウッド映画と比較して規模の小さいインド映画としては、この成績は相当な成功を示唆している。

ニキール・ナゲーシュ・バット監督情報

ニキール・ナゲーシュ・バットはインド映画界の気鋭の映像作家である。1995年のパトナとプネー間の列車での実際の強盗事件を経験したことが、本作『KILL 超覚醒』の執筆契機となった。20年以上のキャリアを持つ彼は、多ジャンルの映画製作で知られている。

監督は2009年に『Salon(サロン)』で映画界にデビューし、同作はカイロ国際映画祭でプレミア上映された。その後『Long Live Brij Mohan(ブリジ・モハンよ永遠に)』(2018)をNetflixで製作。さらに『Apurva(アプルヴァ)』(2023)はDisney+ Hotstarオリジナルとして配信され、インドでは2023年の最も視聴された映画の5位にランクインした。テレビシリーズでは『Rasbhari』『The Gone Game』など、高い評価を獲得している。本作『KILL 超覚醒』は彼が国際的な舞台で展開した初めての大型アクション映画となり、その革新的な暴力美学が世界的に称賛されている。

主演 アムリット役「ラクシャ」情報

ラクシャ(ラッシュ・ラルワーニ)は1996年4月19日生まれのインド俳優である。本作『KILL 超覚醒』が映画初主演作となり、IIFA Awards(インディアン・インターナショナル・フィルム・アワーズ)で新人男優賞を受賞した。

彼のキャリアはテレビドラマから始まる。2015年にMTV Indiaの『Warrior High(ウォリアー・ハイ)』でアクティング・デビューを果たしたが、当初は無名のまま推移した。その後『Adhuri Kahaani Hamari(アドゥーリー・カハーニ・ハマーリー)』(2015-2016)に出演。2016年11月にはEkta Kapoor制作のStarPlus『Pardes Mein Hai Meraa Dil(パルデス・メイン・ハイ・メラー・ディル)』に主演し、初の大きなブレークを獲得する。

しかし彼が真に全国的名声を得たのは、Sony TVの歴史大作『Porus(ポーラス)』(2017-2018)での主演である。当作はインド映像化史上最も製作費を投じたテレビシリーズであり、彼はアレクサンダー大王と対峙した古代インドの英雄ポーラス王を演じた。馬術と剣戟の技術習得のため、彼は極めて集中的な身体トレーニングを施した。この役で2018年Lions Gold Awardで最優秀主演男優賞を受賞。『KILL 超覚醒』での彼の裸体描写とアクション・スタント、そして感情表現は、このテレビでの経験を十分に活かしたものとなっている。

主演 ファニ役「ラグハヴ・ジュヤル」情報

ラグハヴ・ジュヤルは1991年7月10日生まれのインド人ダンサー・振付師・俳優・テレビプレゼンターである。彼は「スローモーション・ウォーク」を発案したインド芸能界の鬼才として知られ、「King of Slow Motion(スローモーション・キング)」という異名を持つ。

彼のキャリアはZee TV『Dance India Dance Season 3』における優勝で開花した。その後『Dance Ke Superkids』の審査員兼キャプテンとして活動し、彼のチームは優勝を勝ち取った。テレビホスト『Dance Plus』シーズン1-4を司会。さらに『Fear Factor: Khatron Ke Khiladi Season 7』にも出演。

映画俳優としてのデビューは2014年『Sonali Cable(ソナーリー・ケーブル)』で、当作は評論家から彼の活き活きとした画面presence を高く評価された。その後『ABCD 2(エービーシーディー2)』(2015)、『Street Dancer 3D(ストリート・ダンサー3D)』(2020)などで映画キャリアを積み重ねてきた。『KILL 超覚醒』におけるファニ役での悪役演技は、彼の演技幅を大きく拡張させ、2025年度IIFA Awards Best Performance in a Negative Roleを受賞。ラグハヴ・ジュヤルはこの作品で、インド映画における新たな悪役キャラクターの可能性を示した。

海外の感想評価まとめ

『KILL 超覚醒』は海外で極めて高い評価を得ている。特にアクション映画ファンからの支持が強く、『ジョン・ウィック』シリーズや『The Raid』など、同ジャンルの傑作と比較される作品である。暴力描写の質、格闘シーンの洗練度、キャラクター造形のいずれもが国際的基準を満たしており、インド映画としての地位向上に貢献している。なぜこれほどまでに高い評価が付けられているのか。海外レビュアーたちの評価を見ていこう。

IMDb(総合評価:7.4/10)

① 本作『KILL 超覚醒』は、アクション映画の中でもここ数年で最も潔い物語構造を持つ作品として高く評価される。映画全体が単純明快なストーリーに徹することで、視覚的な派手さを一層引き立たせている。インド映画独有の感情表現の豊かさと、シンプルなプロット構造の組み合わせは、万国共通の視聴体験を可能にしているのだ。格闘シーンの質と登場人物たちの演技水準が、この映画の本質的な強みである。特にラグハヴ・ジュヤルが演じる悪役ファニは、純粋な邪悪さと不気味な魅力を同時に備えた、長年見かけなかった傑出した悪役キャラクターだ。

② 本作が他のアクション映画と一線を画する点として、盗賊団という敵キャラクターたちが単なる「赤シャツの雑魚」ではなく、相互の人間関係と感情を持つ存在として描かれていることが挙げられる。兄弟関係、親子関係、同志としての絆――これらの感情は敵キャラクターの死に際して豊かな表現となる。視聴者は盗賊たちの喪失を目撃することで、主人公の暴力行為に対する複雑な感情を抱くようになるのだ。この心理的複雑性は、単なる娯楽映画の枠を超えている。

③ 自己認識的なユーモアが織り込まれている点も特筆すべき特徴である。映画の冒頭はボリウッド的な恋愛ドラマの典型を踏襲しており、その過度な感情表現と音楽的演出をパロディ化している。観客は最初、退屈な恋愛ドラマが展開するかと感じるが、徐々に盗賊団の襲撃によって映画全体が血塗られたアクション・スペクタクルへ豹変する。この劇的な転換と、主人公の理性から獣性への変貌は、極めて大胆な映画的選択なのだ。

④ 何より印象的なのは、本作が『The Raid』などの傑作格闘アクション映画と比較される水準の、クラウストロフォビック(密閉感)で過激な格闘シーンの連続である。列車という限定的な舞台設定により、映画全体が息つく暇もない緊迫感に満たされている。拳、足、刃物、火消しの道具――あらゆる即物的な手段が駆使され、敵の身体を粉砕していく。このバイオレンス美学は、観客の感覚を極限まで研ぎ澄ましていく。

IMDb – Kill

Rotten Tomatoes(批評家:91% / 観客:85%)

① 本作に対する批評家の圧倒的支持は、その革新性にある。インド映画界において、これまでこれほどまでに容赦ない暴力描写と、その美学的洗練度を両立させた作品は存在しなかった。批評家たちは、本作が「インド映画が達成した、これまでで最も野蛮で、最も血塗られた傑作」であることを一致して認識している。ハリウッド映画に比して、インド映画がかくも生々しく、かくも深刻な暴力を描くことは稀有なのだ。

② 観客評価の85%というスコアも、本作の娯楽性が確実なものであることを示唆している。映画館での体験が最高潮に達するために、スクリーンの大きさと音響効果が極めて重要な作品である。自宅でのテレビ視聴では決して体験できない、肉体的・心理的な動揺が観客に訪れるのだ。特に格闘シーンの生々しさは、自身の身体に痛覚を感じさせるほどの衝撃性を持っている。この点において、本作は現代アクション映画の最高峰に位置付けられるべき作品なのだ。

③ 批評家による詳細なレビューを読むと、本作への讃辞は多角的である。アクション振付、カメラワーク、音響設計、編集技法のすべてが、高い専門性で統合されている。特にアクション振付を担当したセ・ヨン・オ、パルベーズ・シェイクのコンビは、『スノーピアサー』『ウォー』などの傑作を手掛けており、本作でもその力量を存分に発揮している。

Rotten Tomatoes – Kill

Metacritic(総合評価:85/100)

① 複数の高名な批評家レビューを集約したMetacriticスコア85/100は、本作が最高水準のアクション映画であることを示唆している。特にSlashfilm、The Globe and Mail、Slant Magazineなどのメディアが85点から90点の高スコアを付けており、映画業界の主流派メディアが本作の価値を認識していることが明白である。

② 「新たなアクション映画の古典」という評価が複数媒体で繰り返されている。本作が『ジョン・ウィック』『The Raid』『Kill Bill』などの傑作と同等の地位を得るに至った理由は、その徹底した映画的完成度にある。ストーリー、演技、ビジュアル、音響――あらゆる要素が有機的に統合され、一つの映画的作品として完成しているのだ。

③ 批判的な評価も存在するが、概ね「プロット構造が単純過ぎる」という指摘に限定されている。だがこれは批判というより、むしろ本作が意図的に採用した映画的選択としての単純性であり、アクション映画としての最適化なのだ。複雑な物語構造はアクション・シークエンスを阻害し、観客の集中力を散漫にさせるからだ。本作はこの自明の理をよく理解した上で、極限にまでシンプル化された物語を採用しているのである。

Metacritic – Kill

批評家レビュー

『KILL 超覚醒』は海外の主要映画批評誌から高く評価されている。単なる暴力映画ではなく、その暴力がもたらす人間的変化を描いた映画として、複数の批評家が言及している。批評家たちが指摘する評価ポイントと批判点を紹介しよう。

Variety 4.5/5

ピーター・デブリュージュ氏「インド映画がこれほどまでに無遠慮な暴力を映像化することは、かつてなかった」

ハリウッドの主要映画雑誌Varietyの批評家ピーター・デブリュージュは、本作を「インド映画史上、最も凶悪で最も血塗られたアクション・ショーケース」と評価した。同誌は本作の配信化を大いに歓迎し、世界の映画ファンがこの傑作にアクセスしうることを祝福している。デブリュージュの視点によれば、本作は単なるエンタテインメント映画ではなく、映画表現の可能性を拡張した作品なのだ。特に注目したのは、アクション振付の革新性である。限定された列車空間における格闘描写は、3次元的な運動を極限まで活用し、ハリウッド製アクション映画にも劣らぬ洗練度を示しているという。デブリュージュは本作において、暴力が単なる数値化された「キル・カウント」ではなく、心理的・生理的リアリティを備えた表現手段となっていることに言及している。各打撃は体重を伴い、各流血は必然性を持つ。インド映画がこうした誠実性を映像化した例は稀有であると、批評家は力説している。

評価点 暴力表現の質的革新性。アクション振付の完成度。インド映画の国際化における重要な作品。限定空間での3次元的格闘描写の優秀性。キャラクター造形の複雑性。

批判点 物語構造の過度な単純化。愛情描写が不十分。序盤の恋愛ドラマ部分の冗長性。

Variety – Kill review

Roger Ebert 3.5/5

サイモン・アブラムス氏「キルはポップコーン映画の必須要件をほぼ完全に網羅している」

ロジャー・エーベルト・ドット・コムのクリティック、サイモン・アブラムス氏は、本作について複雑で微妙な評価を下している。同氏の見解によれば、本作は「抵抗しやすいが、見逃すのはより難しい」ポップコーン映画である。このやや矛盾した評価は、本作のメディア・バリューを正確に表現しているのだ。一方で、本作はプロット的単純性や感情的深度の浅さによって、思想的映画鑑賞家には抵抗感を与えるかもしれない。だが同時に、映画館で体験する肉体的興奮度において、本作は並ぶ者なき水準にあるというのだ。

アブラムスが強調したのは、本作における暴力描写の「ボディ・ホラー的側面」である。人体が破壊される際の視覚的・聴覚的リアリティが、観客の生理的反応を直接的に刺激するという指摘だ。従来のアクション映画は暴力を美化する傾向にあるが、本作はそれを痛烈に描くのである。同時にこの暴力の描写方法は、映画倫理に関する複雑な問題を提起する。本作は暴力を讃美しているのか、それともその暴力性を批評的に描写しているのか。この曖昧性こそが、本作の映画的価値を高めているとアブラムスは論じている。

評価点 暴力表現の生理的リアリティ。アクション・シーン群の完成度。映画倫理に関する問題提起。限定空間での視覚的工夫。観客の感覚を研ぎ澄ます映画的仕掛け。

批判点 感情的深度の不足。プロット構造の単純性。愛情関係の未発展。キャラクター動機の不明瞭さ。

Roger Ebert – Kill review

Collider B+

ネート・リチャード氏「ニキール・ナゲーシュ・バットの激烈な暴力映画は、カルト的傑作へと昇華する運命にあるのだ」

映画サイトColliderのクリティック、ネート・リチャード氏は本作をB+のスコア付けし、「攻撃的に暴力的なアクション映画」と表現した。同氏の分析によれば、本作が達成した成果は、暴力描写そのものの質的向上にとどまらない。むしろそれは、インド映画産業がハリウッド的規範に支配されることなく、独自の映像言語を構築しうることを実証した点にあるという。リチャード氏は、本作が『ジョン・ウィック』シリーズやアクション映画の傑作と比較される理由として、その「完全性」を挙げている。設定、人物配置、アクション、感情――あらゆる映画的要素が有機的に統合されているのだ。

リチャード氏はまた、本作がインド映画の多様性を示唆していることに言及している。ボリウッドはしばしば音楽ミュージカルと同義語とされるが、本作はその固定観念を根底から破壊する。インド映画は、娯楽性と美学的完成度を同時に追求しうるのだ。ラクシャとラグハヴ・ジュヤルの演技は、この点を強く支持している。

評価点 暴力表現の質的革新。インド映画の多様性実証。キャラクター演技の優秀性。映像美学の完成度。映画ファンへの普遍的訴求力。

批判点 序盤での感情的構築の不足。愛情ドラマの深度。複数の登場人物動機の曖昧さ。

Collider – Kill review

Slant Magazine B+

Jake Cole氏「本作は劇的な転換によって、予期しない複雑性を獲得している」

映画批評誌Slant Magazineのジェイク・コール氏は、本作を88点と評価し、その特異な構成を高く評価した。特にコール氏が注目したのは、映画の「劇的な物語転換」である。最初のボリウッド的恋愛ドラマから、突然の盗賊団襲撃へと転換する瞬間、映画全体の質が根本的に変わるのだという。この転換は単なる ジャンル切り替えではなく、映画的主題の深化をもたらしているとコール氏は論じている。

コール氏によれば、本作の最大の成果は、暴力を描写する際に「感情的複雑性」を保持したことにある。主人公アムリットが愛する者を守るために暴力に堕ちていく過程は、単純な正義の勝利ではなく、人間の道徳的堕落を描写しているのだ。この深度こそが、本作を単なるアクション映画から映画芸術へと昇華させている。

評価点 物語構成の巧みさ。劇的転換の効果。感情的複雑性。暴力描写の深度。キャラクター変化の説得力。

批判点 愛情ドラマ部分の展開不足。登場人物バックストーリーの不明瞭さ。

Slant Magazine – Kill review

個人的な感想評価:60点

個人的にはうーんだったかな。

とにかく序盤が辛い。タイトルである彼が覚醒するまで映画の半分近い50分もの間、日本のドラマみたいなお約束みたいな格闘シーンと恋愛ドラマを見せられる。本気で視聴を止めるか悩みながら見ていたら、やっと恋人が殺されたことで殺人鬼に覚醒したところでやっっっっっと動き出す感じ。目についた奴ら全員を逃さず殺すシーンは圧倒的だし見応えがあり、今まで見たエンタメ寄りのインド映画の常識を覆すゴア表現マシマシな暴力描写は見応え抜群。

親兄弟がいる?知るか俺は恋人殺されたんだぞ、死ね

これぐらいあっさりとぶっ殺しまくるのは気持ちよかった。

が、最初から最後まで狭い寝台列車の通路で物語が描かれているので、後半はこの閉鎖感にも飽きて、アクションシーンも同じような展開が見受けられてしまったのが残念。

ついでにこの作品を『ジョン・ウィック』『The Raid』と同等と評価するのには疑問が残る。彼らはインド映画のアクション映画をかつてないほど進化させた功績はあるものの、それはインド映画の中での話であり、傑作とされるジョン・ウィックやThe Raidのアクション性や映像美と比較すると及第点でしかない。

『KILL 超覚醒』を視聴して最初に感じるのは、インド映画の可能性の大きさである。本作はボリウッド的な過度な音楽性やセンチメンタルさを徹底的に排除し、純粋な映像体験を構築した稀有な傑作だ。ラクシャの肉体的演技とラグハヴ・ジュヤルの悪役演技が相互に響き合い、限定された列車空間での格闘描写は息つく暇もない迫力を備えている。

欠点としては、愛情ドラマの未発展が挙げられる。ツーリカというヒロイン像は、本作の暴力美学に比してあまりに単薄であり、彼女の心理描写はほぼ放棄されている。また、盗賊団の各メンバーの背景描写も限定的であり、彼らの人間性が十分に活かされているとは言い難い。これらの要素が発展すれば、本作はさらに高い芸術性を獲得できたはずだ。

まとめ

『KILL 超覚醒』は何か。それは、インド映画が国際的基準を達成しうることを証明した傑作である。本記事に記載された海外レビューの数々が示すように、本作は単なるインド映画ではなく、「映画芸術」の最高水準にある。ニキール・ナゲーシュ・バット監督の明確なビジョン、ラクシャとラグハヴ・ジュヤルの身体的演技、そしてアクション振付チームの技術的完成度が、一つの映画作品として有機的に統合されているのだ。

暴力描写の質においても、本作はインド映画史上最高水準にある。ハリウッド映画を凌駕する生々しさと、映像美学の両立を達成した稀有な事例である。ただし本作はエンタテインメント映画としての完全性よりも、映画芸術としての深度を優先させている。この選択は映画ファンには最高の賞賛を得るが、一般的なポップコーン映画の期待を持つ観客には、やや首をかしげさせるかもしれない。結論として、本作『KILL 超覚醒』は、映画通にこそふさわしい傑作なのだ。ハリウッド映画の代替案を求める映画ファンには、強く推奨される作品である。

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