
「思春期の終わりの傷つきが全て」映画『グッドワン/Good One』のあらすじ結末までネタバレと海外の感想評価をまとめて紹介する。アメリカで制作された本作は原題『Good One』で2024年8月9日に公開され、IMDb6.7点、ロッテントマト98%、メタスコア87/100と極めて高い評価を獲得したドラマ映画。
2024年のサンダンス映画祭のUSドラマ部門で世界初演し、その後カンヌ映画祭のディレクターズ・フォートナイト部門に選出された注目作。ナショナル・ボード・オブ・レビューによって2024年度のトップ10独立系映画に選ばれたほか、ニューヨークタイムズの2024年ベスト映画リストでは8位に位置づけられた。
カッツキル山脈での週末キャンプ旅行が舞台。17歳の少女サム(リリー・コリアス)は、離婚したばかりの父親クリス(ジェームス・レ・グロス)とその親友で同じく離婚中のマット(ダニー・マッカーシー)とともに、山奥への三日間のハイキングへ出かけることになる。本来はマットの息子ディランも参加するはずだったが、父親との関係が悪化していることを理由に参加を拒否。サムは「いい子」として、中年男性二人の面倒をみながら、自分の気持ちは後回しにして行動することになる。
本作の監督・脚本はインディア・ドナルソン。映画業界の大御所である父親ロジャー・ドナルソン(『ダンテズ・ピーク』『カクテル』『スペシーズ』の監督)の娘でありながら、独自の映像的視点を確立したニューヨーク拠点の映画監督。父親の監督スタイルとは全く異なる、静寂と沈黙に満ちた繊細な映像世界を構築している。サム役を演じるのは、本作がきっかけで国際的なスターダムへ向かう新進女優リリー・コリアス。彼女の父親はビジネスマンで、南カリフォルニアで演技訓練を受けた後、ニューヨークへ移住して本作に出会う。
本作の最大の特徴は、その「静かさ」の強度にある。派手な事件やアクションはなく、家族関係における微妙な力学が、言葉の少なさの中で浮かび上がってくる。思春期から大人への移行期にある少女が、自分よりも未熟な大人たちの心理的な綻びを目撃し、深い失望に直面する。本作で描かれるのは、不快さが増していくことによってのみ、若き女性が成長していく悲劇的な現実なのだ。
『グッドワン』あらすじ結末ネタバレ
以下の内容は本編の結末のネタバレを含むため、必ず劇場で鑑賞してから読んでいただきたい。また、成人男性による小児性愛を示唆するような不適切な言動やセクシャルハラスメント的な雰囲気を含むため、あらかじめご了承いただきたい。
親子キャンプ1日目
サムと父親のクリスはキャンプに行くためにクリスの友人のマットと息子のディランの家に向かうが、当日になりディランがドタキャンし、マットだけが合流し3人でキャンプ旅に向かうことになる。
後日クリスとマットとの会話で明かされるが、以前マットの不貞行為で妻との離婚協議が進行中で、家族を引き裂いた父親への怒りで親子関係は修復不可能なまでに冷えていたことが分かる。ディランのドタキャンも当然の反応だった。
そんな親友をよそにすでに離婚しているクリスと娘のサムの関係は良好に見える。父のクリスは責任感が強く、自身の人生を上手にコントロールしている姿に見えるクリスは、マットとは異なる人生を歩んでいるように見えた。
車でカッツキル山脈の途中にあるホテルに到着するとベッドが二つある部屋を案内される。クリスとマットは当たり前のように二つのベッドを占有すると、クリスとマットはバーで飲みに出掛けてしまう。残されたサムは当たり前のように床の上に寝袋を敷いて眠るのだった。サムは文句を言うことなく、父と年上のマットを立てる、これが自然な流れだと受け入れているように見える。
二日目の違和感の正体
翌朝3人でキャンプ場に向けてハイキングを続け、ついに目的のキャンプ地に到着したが、別の若い男性3人グループが一緒に到着して横にキャンプを立てられ、少しだけ騒がしいキャンプ地になる。そこでサムはテントを設営し、水の汲み取り、食事の準備、そして片付けを当たり前のように行っていた。クリスとマットの二人はさっさと座り込み自分たちの話を語ることに夢中で、サムが実務的な作業を担当していることに気付かない。サムはそれを自然に受け入れ、「いい子」として振る舞い続けるようにも見える。いつもと違うのは隣にいる若い男たちの会話を盗み聞きできるため、中年男性のしょうもない懐古話ではなく、同年代の異性の意見を聞けた方が面白いようで、時折彼らを見つめるサムの目に少しだけ疑問が生じたようにも見える。
男たちの本性
三日目、三人は湖を見下ろす美しい見晴らしの場所で一緒に撮影をしていた。その様子を見ていたマットは涙目になりながら「もっとハイキングに来るべきだった」と言い出す。もっと家族と共にいる時間を大切にすべきだったーー。その声には本気の後悔が込められていた。自分の人生の選択に対する悔恨、失われた時間への悲しみ。クリスはそんなマットの言葉を軽くあしらう様子を見たサムは大人たちが抱える複雑さを感じ始める。
3日目の夜三人で焚き火を囲みながらクリスとマットが酒を飲みかなり酔っ払っているように見える。最初にクリスが妻とは離婚したくはなかったが妻が求めたことだと言い出す。聞いていたサムはそれならどっちも悪いんだねとマットにチクリと伝える。次にマットが離婚しそうな妻との出会いから出産、そしてディランに嫌われている現在までを語り、どうするべきかと聞かれたサムは、(片親の)私のようにどちらかに付くかのような選択をディランにさせないようにして、マットは最善の方法を繰り返すしかないと思うと伝えると、マットはサムの賢さに驚かされる。
あまりに酔ったクリスがテントに引っ込むと、サムとマットがぼんやりと月を見ながら話をしながらマットがテントは寒いと語ったことを受けて、「キャンプファイアーの横で寝たら?」と提案する。その優しい提案に対してマットは「君が僕の横で暖を取ってくれないか」と笑って言い出す。その言葉は、一見するとちょっとした冗談に聞こえるかもしれない。しかし、その意図は明白だった。父親の親友が、17歳の少女に対して、自分のテントに来るよう提案しているのだ。サムの表情は、その瞬間、子どもから大人へと変わる。キャンプファイアーの光に照らされたサムの顔には、失望、怒り、そして絶望が交錯した顔に変化し言葉を失う。その沈黙の長さは、マットに何かが間違っていることを知らせるに十分だった。しかし、マットはその提案をもう一度繰り返すのだ。そして「フェアじゃない。君のお父さんは暖かいベッドで寝てるんだから」。この二度目の言葉が、最初の言葉が冗談ではなく、真摯な意図を持っていたことを示していた。
サムはその後、一言も返さず、「火を消しに行く」と言い残してその場を立ち去る。
結末ネタバレ:信頼の喪失
翌朝、テントを片付け三人で再び歩き出す。しかし父の背後を歩き続けるサムの表情は固く、暗い影を落としている。彼女の心の中で、信頼していた大人からの背信。それは単なる不適切な言動ではなく、サムの人生における安全の感覚を根こそぎ揺る衝撃的な出来事だ。
河原で休憩中、サムは勇気を出して昨夜マットの異常な言動についてクリスに伝えるが、クリスはマットが寝袋を忘れたせいだね。彼は凍え死ぬべきだったんだよ。と笑って返答する。サムは娘がレイプされそうになったという想像すらできないクリスに「そういうことじゃなくて・・・」と伝えるが、サムはしばらくサムを見つめた後「良い1日にしたくないか?」とサムに野暮なことを言い出すなよ、せっかくのキャンプを台無しにしたくないだろう?とでも言いたげにサムに伝えると、服を脱いで泳ごうと言うだけだった。
サムは父親と川でひと泳ぎした後、クリスとマットが河原で寝ている間に服を着替えると、父クリスのリュックの中に河原の岩を大量に詰め込み、一人で山を歩き出す。
頂上に到着したサムは号泣していた。
——マットの不適切な提案と、クリスの無関心——この二つの裏切りがサムに与える影響は、別々のものではなく、一体化していた。マットの行為そのもの以上に、父親がそれに対して何もしないことが、サムの心に深い傷を残すのだ。親が自分を守ってくれないという根本的な信頼の喪失。それは、思春期から大人への移行において、最も深刻なダメージとなる。
一人で駐車場のある山の麓まで歩いてきたサムは父親とマットを待つ。
しばらくして無表情のクリスとマットが降りてきてサムに小言を言うが、サムの冷めた表情と返答になんとなく理解したクリスはサムに車の運転を頼むとやっとサムが少しだけ笑顔を見せる。しかし先に車に乗ったサムはすぐに車のドアを閉じてロックしてクリスとマットを放置する。クリスとマットがドアを開けてくれとノックするが、サムはペットボトルの水をゆっくりと飲みだし、二人に見せつけるように飲み干し終えたサムがドアのロックを解除する。
助手席に乗り込んできたクリスは手に持っていた石をダッシュボードに置く。それはサムがクリスのリュックに詰め込んだ石だった。
それを見たサムは少しだけ微笑み映画は終了する。
参考:The Movie Spoiler – Good One
『グッドワン/Good One』作品情報
本作の製作・公開に関する基本情報と、監督・主演俳優の背景について紹介する。インディペンデント映画の傑作として国際的に認識され、2024年の映画祭シーズンで最も話題となった作品の一つである。
興行収入
『グッドワン/Good One』は、2024年8月9日のアメリカ公開により、限定的な劇場公開によって合計383,701ドルの世界興行収入を記録した。アメリカ・カナダでは352,135ドルの売上を達成。初週末は27,846ドルという限定公開数での堅実な成績を記録した。インディペンデント映画としては十分な成果を上げており、その後のストリーミング配信やフェスティバル上映により、さらなる視聴機会の拡大が期待されている。本作は製作費が極めて低額であったため、ROIの観点からは成功した作品と言える。
インディア・ドナルソン監督情報
インディア・ドナルソン(1984年または1985年生まれ)はニューヨーク拠点のアメリカ人映画監督・脚本家・プロデューサー。大物映画監督ロジャー・ドナルソン(『ダンテズ・ピーク』『カクテル』『スペシーズ』『最高の転売人』の監督)の娘として、幼少期から映画産業に接する環境で育つも両親の離婚により、複雑な家族関係を経験。カリフォルニアのサンタモニカ高校を卒業後、ニューヨーク州のヴァッサー・カレッジで英文学を専攻。映画製作に進む前は、テキスタイル産業での勤務を約10年間経験。
パンデミック時の2020年、父親のロジャー・ドナルソンと同居することになり、ここから映画制作への回帰が始まる。彼女は父親の映像言語からインスピレーションを受けつつも、父親とは全く異なる静寂と沈黙による表現手法を開発。2018年の短編『メドゥーサ』を皮切りに、2019年の『ハナ』、2021年の『見つかったら』など複数の短編作品で経験を積む。『グッドワン』は彼女の長編映画デビュー作であり、2023年のアメリカンフィルム・フェスティバルでワーク・イン・プログレスとして上映され、50,000ドルの賞金を獲得し、ポーランドでの後制作を支援された。本作はケリー・ライヒャルト(『オールド・ジョイ』『某所にて』)やクレア・ドニ(『35ショット・ラム』)の影響を色濃く受けており、沈黙と観察の映画学を体得した新世代映画人として注目されている。
主演 サム役「リリー・コリアス」情報
リリー・コリアス(表記:Lily Collias)はアメリカの新進女優。本作がきっかけで国際的な認知を得た。サンタモニカで育ち、リー・ストラスバーグ・シアター・アンド・フィルム・インスティテュート(LA校舎)で演技訓練を受ける。高校卒業後、ニューヨークへ移住してザ・ニュー・スクールで演劇を学ぶ。本作に出演する前は、2022年の映画『パーム・ツリーズ・アンド・パワー・ラインズ』で小さな役を担当。
『グッドワン』における彼女のサム役は、限定的なセリフと表情のみで複雑な心理状態を表現する要求度の高い役である。彼女は、監督インディア・ドナルソンの妹の友人として、コーヒーショップでの出会いを経由して本作の主演女優に抜擢された。
ドナルソンとコリアスは映画や芸術について深く語り合い、化学反応が生まれたことが抜擢の決定要因となった。映画公開後、コリアスは急速にスターダムへ上昇。ルイ・ヴィトンなどのファッションブランドからのオファーが殺到し、複数のエージェントが彼女の代理人となることを希望。現在、彼女はA24配給のホラー映画『Altar』(カイル・マックラクラン、ジャニュアリー・ジョーンズ出演)への出演が決定している。『冬の骨』(2010)でのジェニファー・ローレンスの登場以来、これほどの新進女優の才能が映画界に現れたことはないと評論家から評価されている。
主演 クリス役「ジェームス・レ・グロス」情報
ジェームス・レ・グロス(1962年4月27日生まれ)はミネソタ州出身のアメリカ人俳優。本作では稀な主演的地位で、複雑な父親像を完璧に具現化する。
1980年代後半から1990年代にかけてインディペンデント映画の黄金期を支えた俳優として認識されている。ガス・ヴァン・サント監督の『ドラッグストア・カウボーイ』(1989年)での出演でキャリアが始まり、『シングルス』(1992年)、『ポイント・ブレイク』(1991年)での脇役を経て、『リビング・イン・オブスキュリティ』(1995年)での演技で独立精神賞の助演男優賞にノミネートされる。
2010年代からはケリー・ライヒャルト監督の作品『セルテイン・ウーメン』(2016年)に出演し、ライヒャルトが信頼する俳優として認識される。本作での彼の演技は、見た目は責任感のある父親であるが、実は無意識的な支配性と自己中心性を持つ中年男性を完璧に表現。映評家たちは「彼ほど複雑な父親を演じられる俳優は稀有」と評価した。
主演 マット役「ダニー・マッカーシー」情報
ダニー・マッカーシー(1969年2月9日生まれ)はセントルイス出身のアメリカ人俳優・劇作家。ウェブスター・コンサーバトリーで演技訓練を受け、シカゴで演技キャリアをスタート。長年シカゴの名門劇団Aレッド・オーキッド・シアターの専属メンバーとして舞台活動に従事。
ブロードウェイでも『The Minutes』『アラバマ物語』『氷男』『Grace』などの主要作品に出演。映像作品では『プリズン・ブレイク』でのAgent Haleの継続的な役割や、ネットフリックスドラマ『The Ballad of Buster Scruggs』での出演で知られる。
本作でのマット役は、自分の不貞行為により家族を失いかけている中年男性を演じ、クリスとの関係におけるパワーダイナミクスの下位的立場を示す。マッカーシーは、台詞よりも沈黙と表情で複雑な感情を伝える演技スタイルで、本作の世界観に完璧に同化している。ブロードウェイでの高い評価と映像での深い表現力により、今後の映画出演機会の増加が予想される。
海外の感想評価まとめ
『グッドワン/Good One』は、映画批評家から圧倒的な支持を獲得した2024年の傑作として国際的に認識されている。ロッテントマトでは98%(批評家スコア)、メタスコアでは87/100という極めて高い評価を記録。ニューヨークタイムズの2024年ベスト映画リストでは8位にランクイン、ナショナル・ボード・オブ・レビューの2024年トップ10独立系映画に選出されるなど、映画批評界での評価は一致している。なぜこの評価になったのか。海外の主要なレビュー媒体からの評価を見ていこう。
IMDb(総合評価:6.7/10)
①本作は一見すると退屈な映画と誤認される可能性を持つ。派手なアクションも、劇的な対立も、わかりやすい結論もない。ただし、この映画の真の力は、そうした「ないもの」の中にこそ存在する。リリー・コリアスが演じるサムは、ほぼ沈黙のうちに、父親と彼の友人がいかに未熟で自己中心的であるかを学んでいく。彼女の表情の微妙な変化が、映画全体の感情的な重さを担っている。この映画は、少女がいかに静かに傷つくかについての映画である。そしてその傷つきが、彼女を成長させるのだ。
②インディア・ドナルソンのデビュー長編は、見る者に深い思考を強いる。キャンプトリップという一見単純なシナリオの中で、世代間の力学がどのように機能するかが、一言一句の会話とその間の沈黙を通じて明かされていく。リリー・コリアスの演技は、まさに映画史上の偉大な若き女優デビューの一つとして記録されるべき傑作である。ジェームス・レ・グロスとダニー・マッカーシーの二人の男性陣も完璧で、彼らの「父親性」の複雑さと脆さが完全に捉えられている。
③本作は、映画という媒体がいかに微細な心理的変化を映し取ることができるかを証明する。シネマトグラフィーは美しく、ただし自然の景色が人間の心理の荒廃を隠蔽することはない。むしろ、美しい自然が背景にあるからこそ、その中で起こる人間関係の破綻がより深刻に見える。この映画が「何も起こらない映画」と言われるなら、その批評家たちは、毎秒毎秒で起こっている心理的な殺傷に気付いていないのだ。
④本作を見終わった後、私は友人と延々と話し続けた。何について?映画の「意味」について。でも実は、この映画の力は、その「意味」があまり明示されないところにある。ドナルソンは観客に考えさせることを強要する。サムが何を感じているのか、なぜ彼女は沈黙し続けるのか、彼女の今後はどうなるのか。その答えは映画の中にはない。でもだからこそ、この映画は観客の中で生き続けるのだ。
Rotten Tomatoes(批評家:98% / 観客:72%)
①ロッテントマト98%という数字は、この映画がいかに映画批評家たちから賞賛されているかを示している。本作は、それぞれのキャラクターが完璧に演じられ、ダイアログが自然で、カメラワークが美しく、編集が的確であり、音響設計が秀逸である。ドナルソンは第一作とは思えないほど完全なコントロール下で、この映画を製作している。新進映画人による傑作として、本作は映画史上に記録されるべき作品である。
②「被害者ぶることなく、被害を描く」それが本作の最大の美学である。サムは決して哀れを乞わない。彼女はただ観察し、学び、深く傷つく。その傷つきが、彼女を大人へと導く。批評家たちがこの映画を高く評価するのは、そのクローズドな心理描写のゆえである。言葉にならない何かが、沈黙とサムの表情を通じて、完全に伝わってくるのだ。
③本作は、ケリー・ライヒャルトやクレア・ドニの影響を強く受けつつも、全く独自の映像言語を確立している。山脈の風景、キャラクターたちの身体の配置、カメラが捉える顔のディテール、すべてが計算し尽くされている。新進映画人とは思えないほどの映画的成熟度が、この作品から放射されている。
Metacritic(総合評価:87/100)
①メタスコア87は「ユニバーサル・アクレーム(ほぼ全員からの賞賛)」を意味する。『グッドワン』は、映画批評家たちから「傑作」として認識されている数少ない2024年の映画の一つである。映像の美しさ、脚本の周密さ、演技の完璧性、そして映画的な成熟度が、あらゆる側面で高い水準にある。本作はインディペンデント映画の枠を超えて、映画芸術としての普遍的な価値を有している。
②「最小限の材料で、最大限の効果を生み出す」。それが本作の本質である。予算は低く、ロケーションは限定され、出演者は三人に近い。しかし、その制約の中で、ドナルソンは映画的な完璧性を達成している。本作は、映画制作において「大きさ」や「派手さ」がいかに不必要であるかを証明する傑作である。
③映画批評家たちが本作に与えるコメントの一貫性は顕著である。ほぼ全員が「成長」「傷つき」「沈黙」「観察」といったキーワードを使用して本作を評価している。つまり、本作が伝えようとしていることが、完全に観客に伝わっているということである。それは映画として、究極の成功である。
批評家レビュー
『グッドワン/Good One』は、海外の主要映画批評媒体からも圧倒的な支持を獲得している。ニューヨークタイムズ、ローリング・ストーン、インディワイア、NPRなど、映画批評界の重鎮たちが本作を称賛。以下、各批評媒体による詳細な評論を紹介する。
Variety 最高評価
デイヴィッド・ルーニー氏「『グッドワン』は、親娘関係の複雑さを新しい高みへ導く傑作である」
デイヴィッド・ルーニーのレビューは、本作がいかに「微妙な力学」を映像化したか、その成功を強調する。サムが「いい子」の役割を担う一方で、実はそのいい子ぶりが彼女自身の抑圧につながっていること、その矛盾を完璧に捕捉している。ドナルソンの脚本と演出は、その矛盾を説教的にならずに表現する。親たちを「悪人」として描くのではなく、彼らもまた未熟で、無力で、自分たちの過ちに気付いていない人間として描く。それが本作の深さである。リリー・コリアスの演技は「言葉にならない何かを表現する女優としての稀有な才能」を示す。彼女の顔、姿勢、呼吸の一つ一つが、サムの内面的な苦悩を伝えている。ジェームス・レ・グロスの父親役も「父親としての責任感と自己中心性の矛盾」を完璧に表現。ダニー・マッカーシーの友人マット役も「社会的階級から見下される男の脆弱性」を見事に演技している。
評価点 ドナルソンが新進監督とは思えない映画的完成度を達成していること。カメラワーク、編集、音響設計、美術すべてが調和し、山の自然景観と人間関係の微妙な力学が相互に作用。シネマトグラフィーは単なる美しさではなく、物語の重みを支える役割を果たす。
批判点 一部の観客にとっては「何も起こらない映画」として機能する可能性。ドナルソンが明示的な説明を拒否することで、観客に考える負荷を与える。その負荷を受け入れられない人には、退屈な映画に見えるかもしれない。
Rolling Stone 最高評価
デイヴィッド・フィアー氏「『グッドワン』は、謙虚に見えて、壊滅的である」
ローリング・ストーンの映画批評家デイヴィッド・フィアーは、本作を「謙虚さを装いながら、実は壊滅的な力を持つ映画」と評価する。ドナルソンは一見、小さなスケールの映画を作っているように見える。予算は限定的、俳優は主要な三人のみ、ロケーションはカッツキル山脈。しかし、その制約の中で、彼女は映画という媒体が持つ最高度の力を行使している。本作はハリウッドの大作映画が数百億円をかけて成し遂げられない何かを、限定的な予算で成し遂げている。それは「人間の心理の微細な変化を映像化すること」である。フィアーは、リリー・コリアスの演技を「映画史上の偉大なデビュー・パフォーマンス」の一つとして位置づけ、彼女が今後どのような女優に成長するのかについて、映画界全体が注視すべきだと述べている。本作はまた「父親たちの人間らしさ」を描く貴重な映画である。父親たちは決して悪人ではなく、ただ無力で、自分たちの行為の影響を理解していない普通の人間であることが、より一層の複雑さを生み出す。
評価点 ドナルソンの映像的完璧性。何度も見直したくなるほどの細部への配慮。キャスティングの完璧性。三人の俳優が、会話のない瞬間にいかに豊かな表現を行うか。音響設計の秀逸性。野外での音(風、水、鳥)の使用方法。
批判点 ランタイムが短いこともあり、一部の観客には「物足りない」と感じられるかもしれない。映画的な「起伏」がないため、映画の流れに乗り遅れると、全体像を見失う可能性。
NPR 肯定的評価
「『グッドワン』は、派手さなく複雑さを表現する傑作」
NPRの映画評論家は、本作が「複雑な家族関係を映し取る」映画としての成功に注目。多くの映画が、家族関係の複雑さを「劇的な対立」や「感情的な爆発」を通じて表現しようとする。しかし本作は全く異なるアプローチを取る。複雑さは、むしろ「言葉にならない何か」の中に存在する。サムが父親に異議を唱える手段は、大声での反抗ではなく、沈黙と観察である。それが、より深い反抗の表現になっている。本作はまた、ケリー・ライヒャルトのような「映画的な沈黙の美学」を体得した新世代映画人として、インディア・ドナルソンを位置づける。彼女は、話さないことの力を理解している。また本作は「思春期から大人への移行」を描く際に、一般的な映画のように「成長」や「自己発見」といったポジティブな軸で描かない。むしろ、その移行は「傷つき」そして「失望」によってのみ達成されることを示す。それは、より現実的で、より誠実な描写である。
評価点 シネマトグラフィーの素晴らしさ。ウィルソン・キャメロンのカメラワークが、登場人物たちの心理状態を物理的な距離や配置によって表現していること。演技の自然さ。何度も見直したくなるほどの細部への配慮。
批判点 ドナルソンが説明を拒否することで、一部の観客にとっては「理解しがたい」映画になる可能性。映画的な「手引き」が少ないため、観客が自分で意味を構築する必要がある。その負荷が、観客によってはフラストレーションになるかもしれない。
Roger Ebert(レガシー・サイト) 高評価
「『グッドワン』は、映画的な完璧さを示す傑作」
ロジャー・エバート・ドットコムの評論は、本作が「映像の力」をいかに完璧に使用しているかを強調。ドナルソンは、会話よりも沈黙を、説明よりも観察を、劇的な瞬間よりも日常的なディテールを優先する。その選択が、映画全体の力を生み出している。シネマトグラフィスト・ウィルソン・キャメロンのカメラは、登場人物たちを自然の中にどのように配置するか、その光の当たり方がいかに心理状態を反映するか、それらすべてが計算し尽くされている。本作はまた「映画における沈黙の力」を実証する教科書的な作品として認識される。多くの映画人が習うべき、映像表現の完璧性がここに存在する。
評価点 映像的な完璧性。ドナルソンが一世代前のケリー・ライヒャルトやクレア・ドニを参考にしながらも、独自の映像言語を確立していること。編集の精密性。グラハム・メイソンの編集が、映画のペーシングと感情的な流れを完璧にコントロール。
批判点 特筆すべき批判点はない。むしろ、ドナルソンがやろうとしたことを、完璧に成し遂げた稀有な例として認識される。
個人的な感想評価
ダッシュボードの石。この物語の終わり方は、映画的な「解決」を拒否する。サムはキャンプから戻る。彼女の人生は続く。しかし彼女が見ていた「いい子」としての自分の人生は終わった。クリスはダッシュボードにマットのバックパックから出した石を置く。その行動の意味は曖昧だ。サムへの謝罪なのか、単なる確認なのか。いずれにせよ、その一つの石は、クリスがサムの怒りに気付いたことを示す。
だが、その気付きが、彼らの関係を本当の意味で修復するかは不明だ。サムが今後どのような人間に成長するのか、その答えは映画の外にある。ただ確かなのは、この週末のキャンプトリップが、彼女の人生における分岐点であり、彼女が「いい子」から「良い人間」へと成長するために、誰もが通る必要不可欠な痛みのある経験だったのだ。人は脆い、大人は不完璧だ。子供心に完璧な存在だと思っていた「大人」がこうも醜く、下心を隠し、争いを拒み偽りの平穏を享受しているだろうか、やっと気がついたサムは大人になる階段を一歩だけ進んだのだ。
大人たちの複雑さと無力さを知ったサムは、もはや無条件に親や年長者を信頼することはできない。その知識は、決して後戻りすることはない。親が欠陥のある人間であることを認識する瞬間、それは普遍的な失望だ。だが、その失望を通じてのみ、真の大人への道が開かれるのだ。
『グッドワン/Good One』を視聴した後に感じるのは、映画という媒体がいかに複雑な心理状態を映し取ることができるかという驚嘆である。本作は、一見すると「何も起こらない映画」に分類されるかもしれない。派手なアクションもなく、劇的な対立もなく、明確な結末もない。しかし、その「何もなさ」の中にこそ、映画の最高度の力が存在する。インディア・ドナルソンは、父親と娘の関係、そして大人への移行期における少女の心理的変化を、説教的にならずに、かつ曖昧性を損なわずに表現することに成功している。リリー・コリアスの演技は、沈黙と表情のみで複雑な感情を伝える稀有な才能を示す。彼女は「映画的な女優」として完全に機能している。ジェームス・レ・グロスとダニー・マッカーシーの二人の男性陣も、それぞれのキャラクターの複雑さを完璧に表現。彼らは決して「悪人」ではなく、ただ無力で、自分たちの行為の影響を理解していない普通の人間である。その「普通さ」が、より一層深刻な問題を浮き彫りにする。本作は、映画批評家たちが高く評価する理由が明白である。それは、映画人としての完全な成熟を、新進監督がすでに達成していることの証左である。
まとめ
本記事では、『グッドワン/Good One』の完全なネタバレ解説、作品情報、海外の詳細な批評を紹介してきた。映画の期待値としては、サンダンス映画祭での初演後、カンヌ映画祭でのディレクターズ・フォートナイト部門への選出、そして国際的な映画祭での高い評価により、すでに高い地位を確保していた。しかし実際に映画を見終わった後、その期待値がいかに的確であったかが明らかになる。インディア・ドナルソンはデビュー長編で、映画人としての完全な成熟を示した。彼女は、父親のロジャー・ドナルソンとは全く異なる映像言語を開発しながらも、映画制作の本質的な完全性を達成している。ロッテントマト98%、メタスコア87/100という数字は、映画批評家たちから「傑作」として認識されていることを示す。ニューヨークタイムズの2024年ベスト映画リストにおいて8位にランクインされたことも、その評価の普遍性を示す。海外での注目度は、インディペンデント映画としては極めて高く、多くの映画人がドナルソンとコリアスの今後の活動に注視している。本作が観客に与えるものは、単なる「素晴らしい映画体験」ではなく、「映画という媒体の可能性」の再発見である。派手さも、説教性も、明確な答えも提供しない映画が、なぜここまで深い感動を与えるのか。その問いに対する答えは、本作を見た観客の心の中にこそ存在する。映画は、沈黙と観察を通じて、最も深い真実に到達することができるのだ。








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