
「フランス映画史上最悪の性暴力描写」として海外で衝撃を与えた映画『サターン・ボウリング』のあらすじ結末までネタバレ解説と海外の感想評価をまとめて紹介する。全体的に男尊女卑の社会に対する批判メッセージが込められている点、目を背けたくなるような暴力描写については賛否が分かれている。
警察官ギョームが父親の死後、家族経営のボウリング場を相続し、疎遠だった異母兄弟アルマンにその経営を任せるが、この贈り物が呪われており、連続殺人事件を引き起こし、兄弟は悪魔に満ちた深淵に引きずり込まれていく。
心理スリラーとして注目を集めた映画『サターン・ボウリング』は2022年10月26日にフランスで劇場公開された。フランス・ベルギー合作で制作された本作は、第75回ロカルノ国際映画祭国際コンペティション部門に選出され、世界的に話題となった。
監督はパトリシア・マズィが務め、脚本をイヴ・トマと共同執筆した。パトリシア・マズィは1980年代からフランス映画界で活動するベテラン監督で、アニェス・ヴァルダの『冬の旅』(1985年)の共同編集者としてキャリアをスタートした。代表作にはイザベル・ユペール主演の『王の娘たち』(2000年)、『女と馬』(2011年)、『ポール・サンチェスが帰ってきた』(2018年)がある。主演はアリエ・ウォルサルター(ギョーム役)とアシル・レジャーニ(アルマン役)が務め、その他Y-ラン・リュカス(シュアン役)、レイラ・ムーズなどが出演している。
今回は、フランス映画界に衝撃を与えた映画『サターン・ボウリング』のラストまでネタバレ解説していこう。以下の内容は本編の結末の重大なネタバレを含むため、必ず鑑賞してから読んでいただきたい。なお、性的暴力や殺人に関する極めて残酷な内容も含まれているため注意していただきたい。
『サターン・ボウリング』あらすじ結末ネタバレ
ここから先は『サターン・ボウリング』の核心である重大なネタバレを含む。
相続と運命
警察官のギョーム(アリエ・ウォルサルター)は父の突然死により、父が経営しているボウリング場「サターン・ボウリング」を相続することになる。しかし、ギョーム自身はこの施設に愛着はなく、長年疎遠だった異母兄弟のアルマン(アシル・レジャーニ)にその経営を全て任せてしまう。
アルマンは父親に見捨てられた「私生児」として、様々な低賃金の日雇仕事を転々とする日々を送っていた。父親を憎んでいたため、父親の遺産を拒否しようとしていたが、ボウリング場の経営権を得ることで女性にモテるのではないかという期待から、最終的にギョームの申し出を受け入れ、ついでに父親の住居も手に入れ移り住むことにする。
狩猟本能の覚醒
アルマンの父の部屋の中には狩猟のトロフィーやサファリで獲物を仕留めた写真が壁一面に飾られていた。どうやらアルマンの父親は熱心な大型動物ハンターで、絶滅危惧種を含む様々な動物を狩猟していたようだ。
父親の狩猟仲間たちは頻繁にボウリング場に出入りして酒を飲んでいるが、男臭い狩猟メンバーたちからすると、死んだ仲間の私生児のアルマンをカマ野郎と見下し、特にリーダーのジャン・ポール(フレデリック・ヴァン・デン・ドリーシュ)は「女は酒を飲むんじゃねえ」「お前はホモだ」などの差別的な発言を繰り返し、彼の心に深い憤りと挫折感を植え付けてくる。
経営者としても男としても認められず苛立つアルマンは、その全てを女性に向けるようになる。手始めにボウリング場で開催される「レディースナイト」を利用して若い女性たちに接近し、彼女たちを自分のアパートに誘い込み一夜限りの関係を続けるようになる。ある夜、アルマンの父親の遺品の中でも一点物のパイソンの革ジャンを着て鏡を見つめ、劇中で初めて笑顔を見せる—これが彼の変貌の始まりだった。
結末ネタバレ:狩りの完成
アルマンの最初の殺人は、グロリアという若い女性だった。彼女をアパートに連れ込むと、最初はキスから始まったが、次第に暴力的になると、ひたすらにグロリアを殴り続け、最終的に残酷な性的暴行殺人に至る。その後、アルマンは連続して複数の若い女性を殺害し、彼女たちの遺体を処理しながら、自分なりの「狩猟」の儀式を完成させていくのだった。
男として自信をつけたアルマンは、狩猟メンバーにも徐々に認められるようになり、今度は彼らのために父が残した狩猟の記録ビデオを上映して皆を喜ばせる。上映中、父が巨大なオスライオンを仕留めるシーンではアルマンは涙を流し父の偉大な暴力性とカリスマ性に感激している様子が映され、アルマンの中に眠る父の暴力の遺産までもが解放されていく。
一方、ギョームは警察官として連続殺人事件の捜査を行うが、犯人が自分の異母兄弟であることまでには辿り着くことができなかった。さらにギョームは動物愛護活動家のシュアン(Y-ラン・リュカス)と恋愛関係を築き、父親の狩猟趣味とは正反対の価値観を持つよ優しい性格であった。
しかし、捜査が続きギョームはついにアルマンが真犯人とわかり、アルマンを説得しようとするが、アルマンは自分の行為を「狩り」として正当化しようとするため話にならない。最終的にギョームは彼を逮捕しようとするが、抵抗したためアルマンは射殺され、サターン・ボウリングの呪いは終わりを迎えたところで物語は終了する。
『サターン・ボウリング』作品情報
映画『サターン・ボウリング』のネタバレを読んで興味を持った読者のために、この衝撃的な心理スリラーの制作背景について詳細を紹介する。本作は家父長制社会の倒錯を描いたフィルム・ノワールとして制作され、現代社会に潜む暴力と男性性の問題を鋭く突いた作品として国際的に評価されている。
サターン・ボウリング興行収入
本作はフランスで2022年10月26日に公開され、世界興行収入は1,653ドルという極めて限定的な公開となった。これは作品の重厚で衝撃的な内容が一般観客向けというよりも、映画祭や芸術映画館での上映を主眼に置いていたことを示している。第75回ロカルノ国際映画祭での上映を皮切りに、世界各国の映画祭で注目を集めた。
パトリシア・マズィ監督紹介
パトリシア・マズィは1960年生まれのフランスの映画監督で、1980年代後半からフランス映画界で独自の地位を築いてきた。アニェス・ヴァルダの『冬の旅』(1985年)で共同編集者としてキャリアをスタートし、1989年の『厚い皮』で長編監督デビューを果たした。イザベル・ユペール主演の『王の娘たち』(2000年)、『女と馬』(2011年)、『ポール・サンチェスが帰ってきた』(2018年)など、常に社会の闇と人間の暴力性をテーマにした作品を手がけている。本作では参考作品としてニコラス・レイ、パク・チャヌク、大島渚の名前を挙げており、彼らの影響を受けた暴力描写と美学的アプローチが特徴的だ。
ギョーム役「アリエ・ウォルサルター」紹介
主人公ギョームを演じるアリエ・ウォルサルター(36歳)はベルギー出身の俳優で、『ガール』(2018年)、『ハンテッド』(2020年)などでベルギー映画界の実力派として知られている。清潔感のある外見でブラッドリー・クーパーに似ていると評された彼は、本作では複雑な心理を持つ警察官を繊細に演じている。父親の遺産に対する複雑な感情と、動物愛護活動家の恋人との関係を通じて変化していく人物像を説得力豊かに表現し、国際的な映画批評家からも高く評価された。
アルマン役「アシル・レジャーニ」紹介
異母兄弟アルマンを演じるアシル・レジャーニ(28歳)は、本作で国際的な注目を集めたフランスの若手俳優である。社会の底辺で生きる男性の脆弱性と、次第に殺人鬼へと変貌していく恐ろしい過程を圧倒的な演技力で表現した。
特に父親の革ジャンを着て鏡を見つめる場面での微細な表情の変化や、狩猟仲間たちから受ける屈辱を内面化していく演技は、多くの批評家から「心を打ち砕くような演技」と絶賛された。彼の演技は単純な悪役ではなく、社会的排斥と家庭内暴力の被害者としての側面も同時に表現している。
海外の感想評価まとめ
映画『サターン・ボウリング』は海外の映画批評家たちから極めて両極端な評価を受けている。一方では「最も大胆で容赦ない映画」「衝撃的な傑作」として絶賛され、他方では「あまりにも残酷で観客への配慮に欠ける」との厳しい批判も受けた。
多くの批評家が、パトリシア・マズィ監督の勇気ある演出と社会批判の鋭さを評価しながらも、極端な暴力描写の必要性について議論を呼んでいる。
IMDb(総合評価:5.9/10)
①私はこの作品を純粋なドラマで、いくつかの犯罪要素を持った作品だと感じた。若い女性たちが残酷に殴打され殺害される事件の捜査を扱っている。これは陰鬱で悲観的な映画だが、私の好みには少し長すぎた。監督のパトリシア・マズィは初心者ではなく、実際に80年代後半から映画を作っているので、30年後も続けているのは素晴らしいことだ。
②私が感じたのは、このボウリング場を巡る物語と異母兄弟の確執が、最終的には女性に対する暴力、野生動物への暴力、いじめを告発するための口実になっているということだった。演技はそれほど良くなく、それほど説得力もないが、結局のところうまくいっている。期待していたものとは違ったが。
③私がこの映画で最も印象的だったのは、マズィ監督が暴力的で支配的な男らしさを売りにした男性支配的な男性たちに支配された映画であることだ。一見傲慢に見える男性たちが、その内面にフラストレーションや不安、孤独感、他者とのコミュニケーション不全、自分自身との対話の不能を隠している。
④私はこの映画が現代社会に深く根ざしたフィルム・ノワールであり、無敵だと思っている家父長制の倒錯と矛盾を糧にした映画だと思った。「女の子は酒を飲まない」「彼はホモだと思っていた」というのは、謎に満ちたハンターたちのグループが女性や同性愛契約を裏切った「非適合」男性に対して行ったコメントのほんの二つの例だ。
Rotten Tomatoes(批評家:評価数不足 / 観客:評価数不足)
①私はこの映画が思慮深い作品だと思うが、その思考について多くの洞察を提供することには不足していると感じた。サディスティックな混乱映画が好きなら、これはあなたのための映画だ。暴力に満ちた男性たちが女性の身体を彼らの抑圧された感情の戦場として使用することの描写は冗長に感じられる。
②私がこの映画について評価するのは、それが特定の種類の恐怖の平凡さと、多くの男性が道徳的深淵の縁でふらつく社会に根を下ろす容易さに焦点を当てていることだ。この映画は最も鈍感な観客の間でさえ内臓的な反応を呼び起こすほど衝撃的で邪悪な残忍さを概念化している。
③私は暴力に対するこの映画の治療法が最も困難な側面だと考えている。特にアルマンの最初の殺人では、性的行為がますます暴力的になり、最終的に病的にグロテスクになるという苦痛で不快な展開が繰り広げられる。しかし、この映画の全体的な要点は、それが最も残忍で簡潔な方法でポイントを作っていることだ。
Rotten Tomatoes – Saturn Bowling
Metacritic(総合評価:評価数不足)
①私はパトリシア・マズィがこの映画で社会に対して非常に重要な警告を発していると思う。彼女は女性に対する現実的で衝撃的な暴力のシーンを一つ見せる責任を感じた。彼女はより多くを見せることもできたが、たった一つのシーンを深く掘り下げることで十分だと言った。見せる必要がなかった。
②私はこの映画が家族から継承する暗いものと、遺産の悪魔が世代を通して受け継がれるというアイデアに素晴らしく取り組んでいると思う。アルマンとギョームの父親はハンターだった。彼は娯楽のために動物を無慈悲に殺し、この本能が二人の兄弟の遺伝物質に異なる方法で深く焼き付けられている。
③私が感じるのは、この映画の筋肉はそれ自体で十分に賞賛に値するということであり、注目すべき不均衡にもかかわらず、噛みごたえのあるものを十分に残している。この実験の筋肉はそれ自体で十分に賞賛に値し、いくつかの注目すべき不均衡にもかかわらず、十分に噛み応えのあるものを残している。
批評家レビュー
海外の専門批評家による『サターン・ボウリング』の詳細な評価を紹介する。本作は家父長制社会の暴力性を描いた野心的な作品として評価される一方で、その極端な残酷描写について激しい議論を呼んでいる。多くの批評家がパトリシア・マズィ監督の芸術的勇気と社会批判の鋭さを評価しながらも、観客への精神的負担について懸念を表明している。
Cineuropa 高評価
映画批評家「家父長制社会の倒錯を探る痛烈で超リアリズムなスリラー」
パトリシア・マズィは、無敵だと思っている家父長制社会の倒錯を探る痛烈で超リアリズムなスリラーを提示している。マズィの優雅でありながら臨床的で美的な視線の下で、重い暴力が視覚詩へと速やかに変貌する。『サターン・ボウリング』は男性、というよりも暴力的で支配的な男らしさを自分たちの商標にしたヘゲモニーな男性たちによって支配された映画だ。一見傲慢に見える男性たちが、フラストレーションと不安、孤独感と他者とのコミュニケーション不全、ましてや自分自身とのコミュニケーション不全を内に秘めている。マズィの苛性で鋭利な視線の下で、男性たちは絶滅危惧種となり、単一のブロックから無数の平行現実へと分裂し、制御不可能であることが証明される集団となる。
評価点 現代社会の男性性と暴力の問題を芸術的かつ批判的に描いた点と、視覚的詩情と社会批判を見事に融合させた演出。
批判点 あまりにも重厚で暗い内容のため、一般観客には受け入れ難い可能性がある点。
Ion Cinema 高評価
ニコラス・ベル氏「最も鈍感な観客でさえ内臓的反応を呼び起こす衝撃作」
パトリシア・マズィの5作目『サターン・ボウリング』は、最も鈍感な観客の間でさえ内臓的な反応を呼び起こすほど衝撃的で邪悪な残忍さを概念化した映画が時折現れる。予想外のビートでフォーマットされたなじみのある残酷な連続殺人スリラーだが、マズィは同様に男性の敵対者に焦点を当てた『ポール・サンチェスが帰ってきた』に続いて、物語的魅惑の新たな道を歩んでいるようだ。父親の罪によって取り返しのつかないほど傷つけられた異母兄弟のこの奇妙な物語には、超自然的要素が示唆されているが、恐怖、トラウマ、放置が逃れられない悲惨の大嵐をどのように形成するかについてのより比喩的な見解だ。過去の記憶を生かし続けることで、ギョームは継続を保証した。過去は反駁と改訂を通じて破壊されなければならない。さもなければ私たちは単に悪の導管として共謀者になるだけだ。
評価点
暴力の描写を詩的な美学に昇華させた映像表現と、社会の根深い問題への鋭い洞察。
批判点
性的暴力の描写があまりにも生々しく、作品の他の要素を圧倒する可能性がある点。
Eye for Film 高評価
ジェニー・カーモード氏「女性の視点による破壊的な連続殺人者の物語」
今年映画祭サーキットの周縁を漂い、機会よりも賞賛を多く得た異常な作品で、おそらくほとんどのホラー番組に収まるにはあまりにも暗く圧倒的に感じられるためだろう。『サターン・ボウリング』は明らかに女性の視点による連続殺人者の物語であり、それは破壊的だ。マイケル・マンの初期作品を思い起こさせる没入性を持ち、特定の種類の恐怖の平凡さと、多くの男性が道徳的深淵の縁でふらつく社会に根を下ろす容易さに焦点を当てている。
最近死んだ専制的な父親の存在に影を落とされ、この映画は彼の二人の息子が彼が残したものと向き合う様子を追っている。アルマンには世界に友達が一人もいないようで、この立場にある男性に同情しやすい。レジャーニは脆弱性を伝えることに非常に効果的だ。
評価点 女性監督による男性の暴力性への鋭い批判と、社会の底辺にいる男性の心理を説得力豊かに描いた点。
批判点 あまりにも暗く圧倒的な内容で、多くの観客にとって精神的負担が重すぎる可能性がある点。
(Eye for Film – Saturn Bowling)
Killer Movie Reviews 高評価
映画批評家「冷血で冷酷な恐怖映画」
『サターン・ボウリング』は描かれている連続殺人者と同じくらい冷血な恐怖映画だ。そして最近死んだ父親と同じくらい冷酷で、その罪が生涯の疎遠の後に和解を試みる二人の兄弟に豊富に降りかかっている。女性、子供、動物に対する心理的および物理的暴力の描写において冷静に観察的で容赦なく、パトリシア・マズィの深紅に色づけられた闇の心への旅は、日常生活の共通体験の中に組み込まれている。
ここでは、精神病者は堂々と隠れており、当局は死角と誤った忠誠によって無力化されており、スクリーン上にあるものと私たち自身の現実に潜むものとの間には快適な距離がない。ワイアット・E による強力な音楽スコアによって大いに盛り上げられ、『サターン・ボウリング』は心の弱い人のためのものではない。表面は滑らかだが、それが敢えて汲み上げる深さは危険な視聴だ。不安になる準備をせよ。
評価点
現実と虚構の境界を曖昧にした恐怖の描写と、社会に潜む暴力の日常性を鋭く突いた点。
批判点
内容があまりにも重厚で不穏なため、一般的なエンターテインメントとしては機能しない点。
(Killer Movie Reviews – Saturn Bowling)
個人的な感想評価
殺人犯となってしまった社会的弱者が遺産を手に入れた途端に、自分よりも弱い女性を暴力的に殺すという狩猟に傾倒していくサイコスリラーだ。と言えば聞こえは良いが、全体的にスローテンポで、日本でも通り魔殺人犯たちが自分よりも弱い存在を狙って刺すカス野郎を追うので別にどうということもなく、父親の狩猟とか暴力性とか適当な理由をつけているが、やはりそこらの通り魔殺人犯と同じ、これまでの人生を環境のせいにしていたが、金を手に入れた途端に横暴になる。という背景に同情もなくただただ嫌悪感がある。
というのも監督の狙いなんだろう、特に綺麗な女性と一夜を共にして最初の前戯までは最高にエロくて良い感じだったのに、徐々に暴力性を解放し始め、押さえつけ、首しめ、執拗な顔面への殴打などかなりリアルに描写しているのは、女監督ならではの男性への嫌悪感を増幅させる狙いなんだろう。それは成功している。
映像は綺麗だし、キモいチー牛の役者のサイコパスっぽさ、殺される女性たちの美しい裸体などは見応えがあるが、映画としては興味が持てない半端な展開、脚本、テンポの悪さなどの粗が目立ち、最後まで乗り切れなかった。
『サターン・ボウリング』は2022年のヨーロッパ映画界で最も議論を呼んだ作品の一つと言える。パトリシア・マズィ監督の芸術的勇気と社会批判の鋭さは確実に評価できるが、同時にその極端な暴力描写が本当に必要だったかについては疑問が残る。
最初の暴力殺人の執拗な暴力描写について監督は「一つのシーンを深く掘り下げることで十分」と語るが、そこを描いて男性は最低!女性最高!とする流れだけを作りたくて、あとの脚本は後付けのような面白みのない物であった。
社会批判として重要なメッセージを持つ作品だが、より多くの観客に届けるためには別のアプローチもあったのではないだろうか。受賞スピーチで急に政治批判とかしそう。もう勘弁してくれ。
まとめ
この記事では、映画『サターン・ボウリング』の結末までのネタバレあらすじ、作品情報、そして海外での感想評価をまとめて紹介した。本作は警察官ギョームが父親の死後、疎遠だった異母兄弟アルマンに家族経営のボウリング場の経営を任せるが、この贈り物が呪いとなって連続殺人事件を引き起こす心理スリラーとして構成されている。
2022年10月26日にフランスで劇場公開されたこの作品は、パトリシア・マズィ監督による家父長制社会の暴力性を描いた野心的な作品として注目を集め、第75回ロカルノ国際映画祭国際コンペティション部門に選出された。海外の映画批評家からは極めて両極端な評価を受けており、その芸術的価値と社会批判の鋭さが高く評価される一方で、極端な暴力描写については激しい議論を呼んでいる。
特にIMDbでは「現代社会に深く根ざしたフィルム・ノワール」との評価を受け、多くの批評家が「家父長制の倒錯と矛盾を糧にした」作品として位置づけている。Cineuropa誌は「痛烈で超リアリズムなスリラー」と評し、Ion Cinemaは「最も鈍感な観客でさえ内臓的反応を呼び起こす」と表現した。海外では現代社会に潜む男性の暴力性と社会的排斥の問題を芸術的に昇華した勇気ある作品として受け止められており、映画が社会の真実を反映する責任について重要な議論を提起した作品として評価されている。
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