映画『ボンヘッファー ヒトラーを暗殺しようとした牧師』あらすじ結末ネタバレと海外の感想評価まとめ

「なぜ牧師がヒトラー暗殺を企てたのか?」映画『ボンヘッファー ヒトラーを暗殺しようとした牧師』の結末あらすじのネタバレと海外の感想評価をまとめて紹介する。本作は2024年11月22日にアメリカで公開されたドイツの歴史から題材を得た映画で、第二次世界大戦中にナチスに立ち向かった実在の神学者ディートリヒ・ボンヘッファーの人生を描いている。監督・脚本を手がけたのはトッド・コマルニッキで、クリント・イーストウッド監督作『ハドソン川の奇跡』の脚本家として知られた人物だ。主演はジョナス・ダスラーが務め、支援キャストにはアウグスト・ディール、ダヴィド・ジョンソン、フルラ・ボルグ、モーリッツ・ブライブトロイ、クラーク・ピーターズらが参加している。

本作のあらすじをネタバレなしで紹介すると、ナチス・ドイツの支配下で良心に従い、ヒトラーと教会の妥協に抵抗した牧師ボンヘッファーが、信仰と運命の間で葛藤しながら、独裁者を倒すための秘密計画に参加するしかないと判断するまでの道のりを示す。パシフィストの牧師がどのように暴力と殺人の選択肢まで考えるようになったのかが物語の主軸であり、道徳と信仰の衝突を深く掘り下げた作品である。

基本情報:ジャンルは歴史ドラマ・サスペンス、制作国はベルギー・アイルランド・フランス、制作会社はエンジェル・スタジオ。上映時間は2時間13分でレーティングはPG-13である。第二次世界大戦中のドイツを舞台に実際に起きた出来事を基に製作されており、ボンヘッファーがナチスに対抗するために何をしたのかを通じて、信仰と勇気の問題を問い直す構成となっている。

監督のトッド・コマルニッキは映画『サリー ハドソン川の奇跡』の脚本を手がけた人物で、本作『ボンヘッファー』では初めて監督・脚本・製作を同時に手がけた。主演のジョナス・ダスラーはドイツの舞台・映画俳優で『ゴールデン・グローブ』や『絶対に見てはいけない』などの作品に出演している。また、オーガスト・ディール(『イングロリアス・バスターズ』)がマルティン・ニーメラー牧師、ダヴィッド・ジョンソン(『ライ・レーン』『インダストリー』)が親友フランク・フィッシャーを演じている。

記事目的と重要警告:本記事は映画『ボンヘッファー』の結末に関する完全ネタバレを含むため、必ず劇場で鑑賞してから読むことを強く推奨する。以下の内容には作品の核心的な展開、キャラクター関係、人物の死が含まれる。また、本作には暴力的内容、宗教的テーマ、ナチスによる迫害シーンが描かれるため、これらに注意が必要である。


『ボンヘッファー ヒトラーを暗殺しようとした牧師』物語結末ネタバレ

ここから先は『ボンヘッファー』の核心である重大なネタバレを含む。本作は1914年の幼少期から1945年の死に至るまで、ボンヘッファーの人生全体を時間軸を行ったり来たりしながら描く構成になっているため、理解するためには複雑な時代背景と登場人物関係を把握する必要がある。

幼少期と兄の死

1914年、ドイツ・ブレスラウ

ボンヘッファー家で8歳のディートリヒ・ボンヘッファー(ジョナス・ダスラー)と兄ヴァルター(フィリエス・ハイブロム)と隠れん坊をしている最中に、兄ヴァルターは一家にその後出征することを告げられる。しかし第一次世界大戦に向かったディートリヒが心から信頼し尊敬していた兄ヴァルターは1918年に戦死する。

1945年4月9日の朝、ボンヘッファーはフロッセンビュルク強制収容所に送り込まれる。持ち込んだ手帳を開いたボンヘッファーは過去を思い出していく。

青年期の信仰と差別

ボンヘッファーは神学の学位を求めてニューヨークのユニオン神学校に留学中、黒人学生フランク・フィッシャー(ダヴィッド・ジョンソン)との出会いが彼の信仰に対する考え方を大きく変える。フランクに導かれてハーレムのナイトクラブで黒人ジャズミュージシャンたちと音楽を共に愉しみ奏でる喜びを体験し、ハーレムにあるアビシニアン・バプテスト教会を訪れたボンヘッファーは、教会ではゴスペル音楽が響き、信仰者たちは心の底から神を讃美し楽しみ生きている信徒たちの朗らかな表情から宗教の厳格さではなく喜びに満ちた信仰という貴重な経験をする。

この時期、ボンヘッファーはフランクとホテルを取ろうとするが、黒人のフランクには部屋は貸さないと強固な態度に出る受付に対し避難すると、男はショットガンを取り出しボンヘッファーを殴りつけ出て行けと人種差別を体感する。

この経験はボンヘッファーに深い衝撃を与え、彼の信仰観をより広く、より社会的な視点へと向かわせアメリカでの経験を通じて、単なる個人の救済ではなく、抑圧された者たちとの連帯こそが真のキリスト教の実践であるという結論に辿り着く。

ナチスの台頭

ボンヘッファーはドイツに帰国するが1930年代初頭はナチス党が勢力を増していた時代である。多くのドイツ教会指導者たちはナチスに傾倒しドイツ教会の上層部はナチスの要求に従い、ユダヤ教の影響を除くため旧約聖書をカリキュラムから削除し、ユダヤ系の人々を聖職者から排除する「アーリア条項」を受け入れていた。

さらに、ナチス版聖書ではイエスが純血のアーリア人として描かれ、ヒトラーを神の使者として描く異様な宗教的再解釈が行われているのも見て見ぬ振りをする。

ボンヘッファーはこうした教会の堕落に激怒し、同じく聖書の完全性を守ろうとするマルティン・ニーメラー牧師(アウグスト・ディール)と協力して既存のドイツ福音主義教会に対抗して「宣言教会」(告白教会)を設立する。
この新しい教会はナチスの要求を拒否し、聖書の権威とキリスト教の本質を守ることを宣言。さらにボンヘッファーはフィンケンヴァルデに地下神学校を設立し、告白教会の牧師志願者たちを秘密裏に教育する。のちにゲシュタポ(ナチス秘密警察)によって突然閉鎖されるまでの間、ボンヘッファーは若き牧師たちの信仰心を育続けるのだった。

次にボンヘッファーはカイザー・ウィルヘルム記念教会でキリスト教を歪めるナチスを非難する説教を行い、ラジオ放送ではヒトラーを神の代理人としてはならないと警告し、ナチスのイデオロギーに対抗する神学的立場を明確にした。しかし、ナチスはそのような言論を許すはずもなく熱を帯びて語るボンヘッファーのラジオ放送はナチスによって断線させられ、途中で遮断されてしまう。

ボンヘッファーの逮捕

1943年4月、ボンヘッファーはユダヤ人の救出計画に関与したこと、軍隊の兵役を逃れるため牧師たちを助けたこと、そしてドイツ軍の情報機関アプヴェーアで勤務していたことへの嫌疑でゲシュタポに逮捕される。

テーゲル監獄に投獄されたボンヘッファーだったが、獄中でも彼の人格と信仰の力は周囲に影響と希望を与え、他の囚人たちはボンヘッファーの穏やかさと善意と知識、そして信仰心に引き寄せられた。そんな中、ボンヘッファーの思いやりと勇気に感銘を受けた獄卒コルポラル・クノプラウフ(ウィリアム・ロビンソン)から脱獄の計画を提案される。
計画はメカニックの制服を手配し、ボンヘッファーが労働者に化けて獄外に脱出することができるという内容だ。ボンヘッファーはこの計画を検討し、脱獄用の身分証とお金を用意する準備まで進みかけるが、最終的にボンヘッファーは自分の脱獄がきっかけで家族が報復を受けることになるかもしれないという懸念から、家族を守るため、自らの自由と生命まで差し出すことを決断するのである。

それでも、ボンヘッファーが本当に投獄されるきっかけになった事件は後に発覚する。アプヴェーアでの勤務中、ボンヘッファーは表向きは軍の利益のために動いていると見せかけながら、実はボンヘッファーの兄弟ハンス・フォン・ドナニ(フルラ・ボルグ)が率いる抵抗勢力反ナチス陰謀団と深く関わりユダヤ人脱出の手伝いをしていたのだ。

ヒトラー暗殺計画

1943年3月、映画で描かれる爆弾計画が実行される。ルドルフ・クリストフ・フォン・ゲルスドルフがゼウクハウス・ベルリンに爆発物を持ち込み、ヒトラーの暗殺を試みるのだ。しかし、ヒトラーは予定より早く会場を後にしたため未遂に終わってしまう。

1944年7月20日、「ヴァルキューレ作戦」として知られた別の暗殺計画が実行される。この計画ではボンヘッファーの関係者も深く関与していたのである。爆弾は爆発し、ヒトラーは負傷するが、生き延びてしまう。この失敗がボンヘッファーの最終的な運命を決定することになるのだ。

テーゲル監獄での2年の獄中生活の後、ボンヘッファーはフロッセンビュルク強制収容所に移送される。獄舎の中でもボンヘッファーは獄卒や他の囚人たちと信仰について語り合い、聖書の一節を共有する。ボンヘッファーが自分の聖書(ナチスに改ざんされていない本物の聖書)を大切に持ち続けていることからは、彼の信仰の不動性が伝わってくる。

別の牧師が「神は私たちを許してくれるでしょうか?」と問いかけると、ボンヘッファーは「神は私たちを許してくれるか?ではなく、神は私たちを許さないかもしれない。しかし、私たちが何もしなければ神は間違いなく私たちを許さないだろう」と答える。このシーンはボンヘッファーの究極的な決断を象徴している。

結末ネタバレ、彼はなぜ暗殺を認めたのか

1945年、戦争は終わりに向かっている。ナチス体制の崩壊も秒読み段階だ。にもかかわらず、ナチス指導部はボンヘッファーを含む多くの政治犯と抵抗勢力のメンバーを処刑することにした。

1945年4月9日の朝、ボンヘッファーはフロッセンビュルク強制収容所で絞首刑に処せられた。39歳だった。最後の瞬間、ボンヘッファーは聖職者や獄卒に聖餐を行い、囚人仲間と祈りを捧げる。彼の信仰心と慈愛は兵士たちにも伝わっている。刑を執行するために参加した多くの兵は誰一人自ら進んで処刑を執行しようとはしていないことを表情から読み取れる。

それでも命令に背くことはできない。ボンヘッファーを絞首刑台まで連れていく。

「私にとってこれは終わりではなく、人生の始まりだ」がボンヘッファーの最後の言葉だったと伝えられている。

エンドロール前のナレーションで、後日ユダヤ人弾圧に協力したことに対しドイツ教会は非を認める。

ボンヘッファーの著作は現代も多くの人たちに影響を与えている。

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映画ではボンヘッファーが絞首台へ向かう場面が描かれるが、実際の歴史によると、ボンヘッファーは裸の状態で処刑されたと記録されている。
戦争終結まであと数週間という時点での処刑であった。ボンヘッファーが信仰に基づいて下した決断と行動は、彼の肉体の死とともに終わったわけではなく、その後の世代に影響を与え続けることになる。ウェストミンスター寺院の外には、マルティン・ルーサー・キング・ジュニアとともにボンヘッファーの銅像が立てられている。パシフィストであり、神学者であり、殉教者であったボンヘッファーの人生は、権力に対する信仰に基づいた抵抗とは何かを問い続ける象徴となったのである。

[https://www.wikipedia.org/wiki/Bonhoeffer_(film))]

『ボンヘッファー ヒトラーを暗殺しようとした牧師』作品情報

本作『ボンヘッファー』は、ドイツの実在の神学者ディートリヒ・ボンヘッファーの人生を描いた歴史ドラマである。本作のメガホンを握ったトッド・コマルニッキは、単なる映画化ではなく、彼自身がボンヘッファーの著作を深く読み込み、その思想に感銘を受けた結果としてこの作品を世に送り出している。

興行収入

本作は2024年11月22日にアメリカで公開され、初日は1,900館で上映された。初日の興収は230万ドル、オープニングウィークエンドで550万ドルを記録し、興収ランキングではベスト4に位置した。シネマスコア(観客投票)ではA評価を獲得し、キリスト教系の観客層から強い支持を受けたことが分かる。エンジェル・スタジオ制作作として『キャブリーニ』に次ぐ商業的成功を収めている。

トッド・コマルニッキ監督情報

トッド・コマルニッキはペンシルベニア州フィラデルフィア生まれの映画制作者である。脚本家として最初に注目を集めたのは、クリント・イーストウッド監督の『ハドソン川の奇跡』(2016)であり、その脚本は多くの映画賞にノミネートされた。

彼はまた、映画『エルフ』のプロデューサーとしても関わりを持つ。監督経験は少なく、『抵抗』(2003年)という映画の脚本・監督を経験している。『ボンヘッファー』は彼が脚本、監督、プロデューサーの三役を同時に務めた初めての主要作品である。

コマルニッキは本作について「もし字幕を付けるなら『私のボンヘッファー』としたい。ボンヘッファーの著作を読んで感じた感動を映画化したのであり、歴史的に完全に正確な伝記をめざしたわけではない」とインタビューで述べている。彼のボンヘッファーに対する尊敬と畏怖は映像全体に浸透しており、信仰の力強さと道徳的葛藤を深く掘り下げるアプローチとなっている。

主演ディートリヒ・ボンヘッファー役「ジョナス・ダスラー」情報

ジョナス・ダスラーはドイツの舞台俳優・映画俳優で、1996年生まれの28歳である。ドイツ演劇界では既に名高い存在だったが、映画界での認知度はそれほど高くなかった。

ダスラーはボンヘッファー役を獲得する前に、ドイツ映画『ゴールデン・グローブ』(2019)で新人賞を受賞し、その後『絶対に見てはいけない』(2022)に出演して国際的認知を広げていた。本作では、パシフィスト神学者から暴力への道へと進むボンヘッファーの複雑な心理状態を丁寧に表現している。ダスラーは英語で台詞を話しており、時折のドイツ系アクセントが逆にボンヘッファーのドイツ人としての背景を強調する効果をもたらしている。映画評論家の間でもダスラーの演技は高く評価され、彼の細微な表情の変化がボンヘッファーの信仰的葛藤を表現することに成功しているとの見方が支配的である。

海外の感想評価まとめ

『ボンヘッファー』はアメリカで公開後、賛否両論の評価を受けた。

映画のテーマの重要性と倫理的な問題提起については認識されているが、歴史的正確性の欠落と映像化の手法については批評家から疑問の声が上がっている。特に映画がボンヘッファーのヒトラー暗殺計画への直接的関与を大きく誇張していることが問題となり、ドイツのボンヘッファー研究者やボンヘッファー家の親族からも異議が唱えられている。一方で、キリスト教系観客からは作品の信仰的メッセージが高く評価されている。以下、三大映画評価サイトでの海外レビュアーたちの評価を見ていこう。

IMDb(総合評価:6.2/10)

① 本作を見た観客からは「50年以上ボンヘッファーについて読んできたが、この映画は劇場で見やすく理解しやすい作品である。一方で、初心者にはボンヘッファーの人生に多くの隙間があるため、ウィキペディアを先に読んでから鑑賞することを勧める。映画はボンヘッファーが獄中で過ごした1年半やヒトラー暗殺計画での彼の役割についての詳細を十分に伝えていない」というコメントがある。

② 別の観客は「ボンヘッファーは重要で必要なメッセージを提示する映画だ。悪、抑圧、差別、ファシズムに立ち向かうことの重要性が何度も強調される。映画は歴史的自由を多く取っているが、ボンヘッファーの深い信仰と反ナチス闘争への献身を信じられるまでに十分に描いている。唯一の欠点は、ボンヘッファーの個人的関係と宗教的・政治的コミットメントの深刻な葛藤と劇的緊張を捉えていなかったことだ」と述べている。

③ 映画に批判的な観客からは「映画館を出た後、私たちはボンヘッファーについて妻とかなり話した。正直なところ、ウィキペディアの1段落で彼がヒトラー暗殺計画で何をしたのかより多くの情報を得ることができた」という辛辣なレビューがある。

④ ポジティブな評価を加えると「この映画を見た後、ボンヘッファーについてさらに深く学ぶモチベーションが高まった。とはいえ、ボンヘッファー像の映画化には成功しており、彼の強い信仰と反ナチス闘争への献身をうまく示している」という声もある。

[https://www.imdb.com]

Rotten Tomatoes(批評家:65% / 観客:84%)

① ロッテン・トマトに集約されたレビューの中で「映画はそれなりに成功している。だが歴史への紋様な扱いはこの重要な真実の物語を式典的な作品にしてしまい、ボンヘッファーがヒトラー暗殺計画にどう関わったのかについてはぼんやりしている。しかし、彼がドイツで最も尊敬される戦争英雄の一人であることは間違いなく、映画はそれを示している」と結論づけられている。

② 別のレビュアーは「スリラーとしては十分にスリリングではなく、伝記作品としても人物の本質を十分に表現していない。だが堅実な映画であり、特に流行的ではないにせよ、十分に鑑賞に値する」と書いている。

③ クリティカルな見方からは「映画はボンヘッファーの道徳的葛藤に陥った部分に最も強みを持つ。パシフィスト牧師から暗殺計画者への転換という劇的な物語になるにつれて、映画は勢いを増す。ボンヘッファーが冒険劇になるまでは、映画は良心と勇気の祝典であるだけでなく、スリラーとしても力強く成長する」とのコメントがある。

[https://www.rottentomatoes.com]

Metacritic(総合評価:43/100)

① メタクリティックの批評家スコアは「混合的」を示す43/100で、4人の批評家に基づいている。一人のレビュアーは「ボンヘッファーへの描き方はあくまでも聖人のようであり、英語で台詞を話す際のハンディキャップがあり、ボンヘッファーが何を立ち上がったのかのメッセージが希薄化されている」と述べている。

② 別の批評家は「映画は過剰に制作されているという感覚があるが、同時に緊急テーマにあふれたくらんとした物語である。視覚的には美しく、音楽も効果的だが、ボンヘッファーの複雑さと道徳的葛藤が完全には表現されていない」とコメントしている。

③ 正統的な見方からは「信仰に基づいて自分の人生を犠牲にしたボンヘッファーは疑いなくロールモデルである。映画は映画的な完成度は完全ではないが、ボンヘッファーという人物の名前を国際的に普及させ、彼の勇気に光を当てることに成功している」と評価されている。

[https://www.metacritic.com]

批評家レビュー

映画批評界の各媒体からもボンヘッファーの映画化について様々な見方が提示されている。作品の映像的完成度、歴史的正確性、倫理的メッセージングについて、業界の専門家たちが深い議論を展開している。以下は主要な映画評論媒体からのレビューである。

Variety 肯定的評価

ジョー・レイドン氏「現在の米国政治情勢を考えると、タイムリーな警告となっている」

ヴァラエティ誌の映画批評家ジョー・レイドンは本作について好意的に評価している。レイドンによれば、もし本作が2年前に公開されていたなら、ナチスに抵抗した勇敢なドイツ人たちについての予測可能なピリオドドラマとして受け取られていたかもしれない。
しかし、2024年の現在、映画は現在の政治状況に対する不気味な警告として機能しているというのが彼の見立てである。特に、ヒトラーはユダヤ人と共産主義者を悪の根源として政治的不満をコントロールしていったこと、ナチスが聖書をナチス化し、イエスをアーリア民族の救世主として描いたこと、こうした歴史的事実がそのまま現在の米国における政治状況に警告を与えるものだと指摘している。

レイドン氏はまた、トッド・コマルニッキが時間的な構成を巧妙に操り、ボンヘッファーの進化を若い特権階級の子どもから権力囚に至るまで丹念に追跡していることを評価している。ジョナス・ダスラーの演技については「熱意、誠実さ、大胆さ、そして時折の恐怖のバランスの取れた表現」と高く評価しており、また支援キャストも完璧にキャスティングされていると述べている。

評価点

映画は現在の政治的危機に対する有力なメタファーとして機能し、信仰に基づいた良心的反抗の重要性を現代に問い直している。撮影と美術設計は1930年代ドイツの雰囲気を見事に再現しており、暗いテーマをも美しく映像化している。ダスラーの微妙な演技とコマルニッキの演出が、ボンヘッファーの複雑な心理状態を表現している。

批判点

映画の対話のいくつかは厚ぼったく感じられ、表面的なシーンも存在する。最大の問題はボンヘッファーと1943年のゲシュタポ逮捕との間の時系列の混同であり、ボンヘッファーの逮捕はヒトラー暗殺計画よりも1年以上前であることが正確に表現されていない。

([https://variety.com/2024/film/reviews])

Rogers Movie Nation 批判的評価

ロジャー・ムーア氏「複雑な人物としてのボンヘッファーを失わせている」

元々映画批評家ロジャー・ムーア氏は本作について批判的見方を示している。ムーア氏は観客にボンヘッファーに関するウィキペディアを先に読むことを強く勧めており、映画単独で理解するには情報が不十分だと指摘している。

特に問題視されているのは映画の時系列構成であり、ムーア氏は「獄卒が『ロシア戦線』について語っているのに、私たちはクリスタルナハトの直後を見たばかりだ。戦争はまだ始まっていないのか?」という困惑を表現している。また、時間的背景の不明確さのため、チャーチルが抵抗勢力の支援を拒絶する理由も理解しがたいとしている。さらに、映画がボンヘッファーの複雑な思想的遺産をナチスに立ち向かう英雄への単純化に陥っていることに懸念を表明している。マッカーシー・トリビューン通信社の元映画批評家ムーア氏は「これはつまらない退屈な映画だ」と評価し、期待値からの大きな落差を表現している。

評価点

映像的には高い制作価値を備えており、キャスティングと演技は水準以上である。ジョナス・ダスラーの性能は説得力があり、映画全体の視覚的美しさは肯定できる。

批判点

映画の年代順の混乱は物語理解を著しく阻害する。初心者観客にとって、ボンヘッファーの実際の役割と映画での描写の差異が理解しがたい。また、映画は単なる英雄物語に堕し、ボンヘッファーの実在する道徳的複雑さを失わせている。信仰者向けメッセージは明確だが、一般観客に向けての説得力に欠ける。

([https://rogersmovienation.com])

America Magazine 中立的評価

ロバート・ピック氏「信仰と暴力の究極的葛藤を掘り下げた」

ケトリック系出版物アメリカ・マガジンの評論家ロバート・ピック氏は、本作を第三次世界大戦下でのドイツプロテスタント教会の妥協に対する真正な批判としている。ピック氏は映画の構成的複雑性を認めた上で、ボンヘッファーの道徳的進化が説得力を持つと述べている。

特に、牧師が「聖書によると人は愛することで敵を倒すべきだ」という信条を掲げながら、ゴリアテとダビデの物語を援用してヒトラー暗殺の正当性を論じる場面を高く評価している。ピック氏は、本作が「究極の道徳的問題:キリスト教徒は独裁者暗殺に参与すべきか」という問題をストレートに提示していることが映画の強みだと指摘している。一方で、映画がボンヘッファーの著作『弟子への代価』の思想的深さを十分に表現していないことを惜しんでいる。

評価点

映画は信仰と暴力の究極的矛盾を直視する勇気を備えており、単純な善悪二元論を超えた倫理的問題提起がなされている。美しい映像と音楽がドイツの歴史的悲劇を効果的に表現している。ボンヘッファーの人物的魅力と献身がダスラーの演技により説得力を持つ。

批判点

映画は歴史的正確性において多くの創作を行っており、実際の歴史的事実とは乖離している。特にボンヘッファーのスイスへのユダヤ人脱出計画への関与を大きく強調しすぎている。また、年代不明のシーンが多く、初心者観客にとって理解しがたい構成が問題である。ボンヘッファーの獄中での2年間の経験が十分に描かれていない。

([https://www.americamagazine.org])

個人的な感想評価

海外レビューを統合して映画を評価すると、『ボンヘッファー』は野心的だが不完全な作品という結論に至る。

映像的美しさと俳優陣の演技は映画通が納得する水準であり、特にジョナス・ダスラーのボンヘッファー像は慎重かつ誠実に描かれている。文系で仏教徒である私でも彼のキリスト信仰と暴力の道徳的葛藤を逃げることなく真っ向から問い続ける姿勢、最後の最後まで彼はキリストの敬虔な信者としてどう過ごしていたかがよく伝わってきて胸が熱くなった。

しかし、歴史的正確性については不明だが、時系列が曖昧で行ったり来たりするせいで、青年期のどのボンヘッファーなのかがわからず、なんとなく想像で補完する他なく、多少映画の流れを理解することができずにいた。

こんな人がいた。それだけ。

まとめ

『ボンヘッファー ヒトラーを暗殺しようとした牧師』は、ナチス・ドイツへの抵抗を描いた真摯な映画作品である。記事を通じて、映画は若き神学者がハーレムでのジャズとゴスペルの経験から始まり、ドイツの教会堕落への怒り、秘密神学校の設立、やがて暗殺計画への参与、そして獄中での殉教に至るまでのボンヘッファーの道程を描いていることが明らかになった。

海外レビューの総括から、映画は映像的には優秀だが、歴史的複雑さの単純化という課題を抱えていることが判明した。評価は賛否両論だが、現代の米国においてファシズム警告としての映画の意義は高い。ボンヘッファーの最後の言葉「これは終わりではなく、人生の始まりだ」という台詞は、映画を通じて多くの観客に新たな問いを投げかけるのである。

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