映画『ヴィレッジ 声帯切村(コエキリムラ)』あらすじ結末ネタバレと海外の感想評価まとめ

無言の世界で繰り広げられるサバイバルホラーという大胆な挑戦作、映画『ヴィレッジ 声帯切村(コエキリムラ)』のあらすじ結末までネタバレと海外の感想評価をまとめて紹介する。アメリカ・エストニアで制作された本作は原題『Azrael』で2024年9月27日に公開され、IMDb5.3点、RT批評家71%、Metacritic52点と評価された黙示録後の世界を描くホラー作品だ。

声帯を外科手術で切除し、沈黙のうちに神の再臨を待つ異様な宗教集団と、森に潜む焼け焦げた人喰いクリーチャー「バーンド・ワン」が支配する世界が舞台となる。

本作の監督はカルト映画『チープ・スリル』を作ったE.L.カッツ、凶悪なカルト集団に立ち向かうアザレルを『レディ・オア・ノット』のサマラ・ウィーヴィングが演じた。

今回は、異色作として注目を集める映画『ヴィレッジ 声帯切村(コエキリムラ)』のラストまで詳細に解説�&考察と、海外ではどのような評価を受けているのか?を紹介していきたい。以下の内容は本編の結末のネタバレを含むため、必ず劇場で鑑賞してから読んでいただきたい。

『ヴィレッジ 声帯切村(コエキリムラ)』あらすじ結末ネタバレ

ここから先は『ヴィレッジ 声帯切村(コエキリムラ)』の核心である重大なネタバレを含む。人類の終末「携挙」後の世界で繰り広げられる凄絶なサバイバルと、宗教的狂信が生み出す悪夢の物語が描かれるため、鑑賞前の閲覧は避けることを強く推奨する。

声帯切村(コエキリムラ)の信者たち

森の中、美しい女性のアズラエル(サマラ・ウィーヴィング)と恋人ケナン(ネイサン・スチュワート=ジャレット)は何かに怯えるように森の中を彷徨っている。小休止の際にケナンが焚火をしようとすると、アズラエルは慌ててそれを止める。この世界では音も光も危険なのだ。しかし間もなく、彼らはカルト集団の追手に発見されてしまう。

そんな二人の前に立ち塞がるように現れたのはアントン、ルーサー、セヴリン、そしてジョセフィンだった。彼らは宗教的な理由で声帯を外科的に切除し意図的に声を出せないようにしている、喉に十字架の傷跡を持つ沈黙の信者たちなのである。アザレルとケナンも同じように喉に十字の傷跡があり、二人が喋らないようにしているのは追手から逃れるためだと思われていたが、彼らも同じように喉の十字傷があることからかつては信者であったが、何かしらの理由で逃亡を企てたが、見つかって二人は引き離されたということだ。

アズラエルが連れて行かれたのは、森の開けた場所にある木の切り株に彫られた椅子だった。そこで彼女は鎖で拘束され身動きが取れない状態で座らされると、ジョセフィンがカミソリで彼女のすねを切り裂いて血を流れるのを確認する。すると自然では吹かないような強い風が吹き出すのを確認した、信者たちはアズラエルから一歩離れた場所まで下がると、アズラエルに背を向けて何かを待ち続ける。

すると遠くから何かヒトガタの何かが歩いて近づいてくる。近づいてくるにつれて全貌が明らかになる。近寄っていくるそのナニカは全身を炎で燃やされた後のように全身焼け焦げた人型の怪物「バーント・マン(黒焦げの人)」だった。

怪物を見たアズラエルは必死に手足を動かし拘束を外すが、アズラエルを盗み見していた信者のアントンがアズラエルを取り押さえようとしてくるが、反抗したはずみで折れた木片でアントンの首を突き刺してしまう。すると近づいてきたバーント・マンはアズラエルではなく、血まみれのアントンに襲いかかるる目の前で肉を貪り食い始める。その隙にアズラエルは森の中へと走って逃げ出すのだった。。

背を向けていた信者たちが風が止んだタイミングで振り返るとそこにはもぬけの殻となった木の椅子と、バーント・マンに引きずられ連れ去られていくアントンの姿だった。

カルト集落への潜入

アズラエルが森の廃墟の近くの川で傷を洗い傷口を破った布で包んでいると、突如バーント・マンが現れる。彼女は咄嗟に影に隠れ傷口を強く押さえつけると、怪物は彼女を見失いその場を立ち去る。その様子から怪物たちは血の匂いと痕跡に集まる習性があるようだ。

危機を乗り切ったアズラエルは森の中を歩き続けカルト集団の拠点である柵に囲まれた小さい集落に辿り着きケナンを探す。拠点とは名ばかりのホームレスの集団のような簡易なテントだけの質素な集落は穴だらけでアズラエルはあっさりとボロの壁を取り除いて侵入する。

集落の人々は皆中心にある教会で祈りを捧げていた。信者たちを煽動しているしている教祖はミリアム(ヴィク・カルメン・ソンネ)という女性で、ミリアムは真っ白な衣装を身にまとい、妊娠しているのかお腹が大きく膨らんでいる。ミリアムは教会の壁の穴から聞こえる風の音を神の言葉として信者たちに指示を与え、祈りを終えると信者たちは黙って外に出ていく。

アズラエルは建物の下の這いつくばって隠れながら移動し、ケナンを探すが、拘束具の近くに落ちていたケナンのブレスレットを見つけたアズラエルは焦り始め、周囲の探索を続けるが幹部の女性ジョセフィンに見つかり村中に警報を鳴らされてしまい、村中総出でアズラエルとの鬼ごっこが始まる。アズラエルはなんとか集落から逃げるが、夜になってしまう。

一時の希望

走り続けるうちに夜になりアズラエルが一息吐こうとするが、集落のバリケードを無理やり出たため手足に傷を負っており血を流していたことに気が付く。その瞬間バーント・マンが血の匂いに引き寄せられアズラエルに襲いかかるが、間抜けな怪物は丸太に足を取られて転倒、その隙に道路にまでたどり着くと車が通りかかり運転手のデミアン(ヨハン・ローゼンベルク)は怪我をしていたアズラエルを助け出してくれるのだった。デミアンは聞いたことのない言語(エスペラント語)で話しかけるが、話せないアズラエルは喉の傷跡を見せ、自分が話せないことを伝えると、察したデミアンは彼女に食べ物を差し出し、安全な場所へと車を走らせる。ラジオの音楽を流すと聞いたことのない電子音にアズラエルは驚くが、音楽に合わせて体を動かし始め、つかの間ではあるが二人の間の緊張が解ける。

しかしその瞬間、カルト集団の一人セヴリンが放ったライフルの弾丸がデミアンの頭を貫いた。トラックは制御を失い、間抜け男セヴリンは避けきれず激突し吹っ飛び、車は横転してしまう。傷ついたアズラエルはなんとかトラックから這い出すが、生き延びていたセヴリンに襲われ殺されかける。(なぜかここで場違いなBGMが流れる)アズラエルは最終的にセヴリンの銃を奪って頭を撃ち抜き勝利する。

ケナンの運命

銃を奪ったアズラエルは傷だらけの状態で森の奥の光に向かって歩いていくと、そこに傷だらけのケナンを発見する。アズラエルが慌ててケナンに駆け寄ろうとするが、アズラエルは仕掛けられていた罠にハマり宙吊りにされてしまう。罠を仕掛けたルーサーがその場に現れ二人を確認するが、突如強い風が吹き荒れる。バーント・マンだ。

この場所にはアズラエル、ケナンの大量の出血で血の匂いに溢れかえっている。アズラエルがなんとか脱出しようともがいていると突如大量のバーント・マンがルーサーを取り囲むと怪力で彼の体を引きちぎると体を貪り始める。ルーサーの体を食べ終わると次の標的は隣に倒れていたケナンに向く、アズラエルはなんとか縄から脱出するが、怪物を前に何もできずケナンが引き裂かれるのを見守ることしかできなかった。

怪物たちは二体の食糧を持って立ち去るが、その中の一体がアズラエルに気づき木に登ってくる。アズラエルは足に絡まっていたロープをバーント・マンの首に引っ掛けて落下してなんとか撃退に成功するが、満身創痍の彼女は歩くのが精一杯という状態だった。

復讐の開始

集落にたどり着いたアズラエルは教会の中でミリアムに向けて銃を向けるが、ミリアムの妊娠した腹部を見て一瞬躊躇した隙にミリアムはフライパンでアズラエルをぶん殴っって気絶させられてしまう。アズラエルが気絶して倒れる際に爪がミリアムの腹部を引っ掻き、その血が彼女の手に付着する。

ジョセフィンの指示で、アズラエルは絶対に逃げられないように木製の棺に入れて地中に埋められてしまう。しかし棺の底にはなぜかランタンがあり、灯りをつけると棺の脇に地下トンネルへ通じる扉があり、アズラエルは導かれるようにそこを這い進む。

しかしその先にいたのはバーント・マンで、アズラエルは逃げ場のないトンネルで追い込まれて殺されそうになるが、怪物はアズラエルの爪に付いたミリアムの血の匂いを嗅ぐと、攻撃をやめてどこかに立ち去ってしまうのだった。

アズラエルは再びトンネルを進み無事に外に脱出するが、その表情は憤怒に満ちた表情で集落を見つめ、歩き出すのだった。

結末ネタバレ:反キリストの誕生

ミリアムとジョセフィンが異変に気がつき外に出ると、テントに火がつけられ中の住民が燃え死んでいた。住民たちが集まり消化活動をしていると、遠くからアズラエルが銃で住民を次々を撃ち抜き殺し、オイルに火をつけ周囲を燃やしまくる、炎から逃れようと逃げる住民は次々とアズラエルに撃ち殺されていく。

邪魔者がいなくなったところで教会にたどり着いたアズラエルはミリアムと最後の対決が始まる。激しい格闘戦の中、アザレルはミリアムの首に噛みつき、彼女に重傷を負わせる。とどめを刺そうとするが負傷したジョセフィンがショットガンを持って襲いかかるが、ミリアムの陣痛が始まり叫び声をあげたのを見た隙にアズラエルはジョセフィンの首に斧を叩き込む。

そして、新生児の泣き声が響き渡った。ミリアムは自分が産んだ赤ん坊を見届けると、例の壁の穴に向かって自らを捧げるかのように喉を掻き切って命を絶つ。

その時、大量のバーント・マンが教会に入ってきた。アズラエルも当たり前のようにミリアムの産んだ子供を抱き抱えると、まるで怪物たちの王女かのような立ち振る舞いをして彼らの前に立つ。彼女の腕に抱かれた赤子の布が取り除かれるとそこにいたのは、人間の赤ん坊ではなかった。それは山羊と人間のハーフのような、反キリストを思わせる悪魔的な生物だった。

怪物たちは生まれた化物を見ると、一斉に咆哮を上げ始め、アズラエルは笑みを浮かべて物語は終了する。

Azrael – IMDb

『ヴィレッジ 声帯切村(コエキリムラ)』作品情報

『ヴィレッジ 声帯切村(コエキリムラ)』の制作を手がけた監督と出演俳優、作品の基本情報について紹介する。

興行収入

本作は2024年9月27日にアメリカで劇場公開され、限定公開ながら注目を集めた。その後10月25日からShudderでストリーミング配信が開始され、ホラーファンの間で高い評価を得ている。興行収入の詳細は公表されていないが、IFCフィルムズとShudderによる戦略的な配信で、確実なファン層へのリーチに成功した作品だ。

E.L.カッツ監督情報

IMDb

本作の監督を務めたE.L.カッツは、独立系ホラー映画界で異彩を放つ鬼才として知られる。2013年の長編デビュー作『チープ・スリル』で、ブラックコメディとスリラーを融合させた独特の作風を確立した。同作は貧困にあえぐ男が金のために恥辱的なゲームに参加するという物語で、社会的な風刺とグロテスクな暴力描写が評価された。その後『Small Crimes』では犯罪ドラマを手がけ、俳優の心理描写に重点を置いた演出力を見せつけた。本作『ヴィレッジ 声帯切村』では、台詞をほぼ排除するという大胆な挑戦に乗り出し、視覚的ストーリーテリングの限界に挑んだ。宗教的なモチーフと黙示録的世界観を組み合わせ、観客に多くの解釈の余地を残す作品を完成させている。

アザレル役「サマラ・ウィーヴィング」情報

アザレルを演じたサマラ・ウィーヴィングは、現代ホラー映画界を代表するスクリームクイーンとして確固たる地位を築いている。オーストラリア出身の彼女は、ヒューゴ・ウィーヴィングの姪という血筋を持つ。

2019年の『レディ・オア・ノット』で主演を務め、血まみれになりながらサバイバルする花嫁役で一躍脚光を浴びた。同作での肉体的にもハードな演技と、恐怖と怒りを見事に表現する演技力が高く評価された。その後『ナイブズ・アウト 名探偵と刃の館の秘密』ではアンサンブルキャストの一員として存在感を放ち、『バビロン』ではダミアン・チャゼル監督のもとで1920年代ハリウッドの女優を演じた。

本作『ヴィレッジ 声帯切村』では、台詞なしで全ての感情を表情と身体表現だけで伝えるという至難の役どころに挑み、彼女のキャリアの中でも特に過酷で印象的な演技を見せている。

ケナン役「ネイサン・スチュワート=ジャレット」情報

ケナン役を演じたネイサン・スチュワート=ジャレットは、イギリス出身の実力派俳優だ。彼は舞台とスクリーンの両方で活躍しており、特にイギリスの人気ドラマシリーズ『ミスフィッツ 俺たちエスパー!』でのカーティス役で広く知られるようになった。

映画では2021年の『キャンディマン』でヤング・アンソニー役を演じ、ホラージャンルでの存在感を示した。また『ハリー・パーマー 国際諜報局』などのスパイスリラーにも出演し、幅広い役柄をこなす器用さを持つ。本作では、アザレルの恋人として限られた出番ながら、言葉を使わずに二人の絆を表現する繊細な演技を披露している。彼の哀愁漂う表情と、最期に見せる絶望的な状況での無力さが、アザレルの怒りと復讐心を駆り立てる原動力となった。

海外の感想評価まとめ

本作は海外でどのような評価を受けているのか。IMDbでは5.3点、Rotten Tomatoesでは批評家支持率71%・観客支持率59%、Metacriticでは52点と、批評家と一般観客の間で評価が分かれる結果となった。ダイアログのない実験的な手法とサマラ・ウィーヴィングの身体的な演技は高く評価される一方で、ストーリーの不明瞭さや世界観の説明不足が批判の対象となっている。それでは具体的なレビューを見ていこう。

IMDb(総合評価:5.3/10)

①この映画は典型的なホラーというより、暴力的なサバイバルアクションに近い。サマラ・ウィーヴィングの演技は素晴らしく、台詞なしでここまで感情を表現できるのは驚異的だ。彼女の表情だけで恐怖、怒り、決意が伝わってくる。ただしストーリーには明確な説明がなく、観客が自分で解釈しなければならない部分が多すぎる。映画の雰囲気とペース配分は良好で、ゴア描写も充実している。全体として堅実なホラー体験だが、傑作とは言えない。

②最ャンルとしてのアイデンティティが曖昧だ。超自然的ホラーなのか、スラッシャーなのか、心理スリラーなのか、サバイバル映画なのか。あれこれ詰め込みすぎて、結局どれも中途半端になっている。『クワイエット・プレイス』や『バード・ボックス』のような無音映画と比較されるが、あれらの作品ほど緊張感を維持できていない。台詞が3行しかないという設定は大胆だが、物語の方向性が見えにくく、多くの疑問が未解決のまま終わる。

③アザレルは何度も捕まっては逃げ、また捕まるという繰り返しで、その不運ぶりは見ていて疲れてくる。しかし最後の大立ち回りは見応えがあり、ゴア満載の虐殺シーンは期待を裏切らない。台詞が一切ないため、物語の意味は俳優の演技力と観客の解釈次第だ。結末が何を意味するのか、おそらくアザレル本人にも分からないだろう。演技は完璧ではないが、雰囲気とストーリーは素晴らしい。ゴアエンターテインメントとして堅実な6点を付ける。

④これは挑戦的な映画だが、その挑戦が常に成功しているわけではない。台詞がないという設定は興味深いが、同時にキャラクターの深みと世界観の構築を犠牲にしている。カルト集団がなぜアザレルを犠牲にしたいのか、バーンド・ワンとは何者なのか、ミリアムが産んだ化物は何を意味するのか、これらの疑問に対する答えは曖昧なままだ。サマラ・ウィーヴィングは見事に役をこなしているが、脚本がもっと彼女を輝かせる余地を与えるべきだった。

IMDb – Azrael

Rotten Tomatoes(批評家:71% / 観客:59%)

①サマラ・ウィーヴィングが血まみれになってキレるという彼女の得意分野が炸裂している。宗教をベースにした世界観と伝承は創造的で独特だが、ダイアログのないアプローチが効果を制限してしまっている。彼女の表情演技は一級品で、恐怖と怒りを見事に表現しているが、物語の背景がもっと明確であれば、さらに感情移入できただろう。それでも、ホラーファンなら十分楽しめる作品だ。

②この映画は86分という短い上映時間を、ノンストップの暴力的アクションで埋め尽くす。ウィーヴィングの肉体的な演技と、包囲戦のような緊迫したホラー演出が、この実験的な試みを成功させている。ただし、物語の深みを犠牲にしているため、単なるアクション・ホラーとしての娯楽に留まっている。それでも、真夜中の映画館で観る作品としては十分満足できる出来栄えだ。

③制作陣は新たな悪夢を生み出した。可能性に満ち溢れていると同時に、意図的に答えを残さない多くの疑問がある。これは血みどろの爆発的エンターテインメントだ。結末に関しては解釈が分かれるだろうが、そこが面白い部分でもある。宗教的モチーフと黙示録的世界観の融合は見事だが、もう少し説明があってもよかった。

Rotten Tomatoes – Azrael

Metacritic(総合評価:52/100)

①サマラ・ウィーヴィングのスターパワーがこの映画を支えている。慣れ親しんだジャンルの要素と大胆なアイデアを融合させ、大きな賭けに出た作品だ。幸いなことに、それはほぼ成功している。ウィーヴィングの表現力豊かな顔と無限のエネルギーが、魅力的なヒロインを作り上げている。彼女のサバイバルへの意志は止めることができない。

②沈黙は映画の最大の武器であると同時に、最大の制約でもある。サスペンスの瞬間を作り出す一方で、観客を暗闇の中に放置しすぎており、実質的なギミックのように感じられる。もう少し情報があれば、キャラクターへの感情移入が深まっただろう。視覚的には素晴らしいが、ストーリーテリングとしては不完全だ。

③状況の特異性の欠如と、未発達なキャラクター造形が、この作品を単なる面白い前提を持ったホラー映画に留めている。サマラ・ウィーヴィングは全力で演じているが、脚本が彼女に与えた材料は不十分だった。ビジュアルと雰囲気は一流だが、深みのある物語体験を求める観客には物足りないだろう。

Metacritic – Azrael

批評家レビュー

海外批評家の詳細な評価を見ていこう。

The Hollywood Reporter 評価不明

ジョーダン・ミンツァー氏「成功した黙示録後の物語の要素を鍋に放り込み、悪魔への曖昧な言及と大量の血を加えれば、『ヴィレッジ 声帯切村』のような奇妙な調合物が出来上がる」

『ラスト・オブ・アス』や『クワイエット・プレイス』といった成功作の要素を取り入れながらも、本作は独自の道を歩もうとする。パラマウント・グローバルの復活した配給部門リパブリック・ピクチャーズが配給を手がけ、SXSWのミッドナイターズ部門でプレミア上映された。馴染みのある題材ではあるが、しっかりと作り込まれたジャンル映画として、ストリーミングで一定の視聴者を獲得できる血みどろのスリルを提供している。

評価点
サマラ・ウィーヴィングの身体的な演技力が光っており、台詞なしでキャラクターの感情を伝える技術は見事だ。撮影監督マルト・タニエルによる映像美も特筆すべきで、エストニアの森を舞台にした荒涼とした雰囲気が作品世界を効果的に構築している。

批判点
沈黙という設定が映画の強みであると同時に制約にもなっている。サスペンスの瞬間を作り出す一方で、観客を暗闇の中に置きすぎており、実質的なギミックのように感じられる部分がある。物語の説明不足により、最終的には疲労感を覚える作品となった。

(The Hollywood Reporter – Azrael)

RogerEbert.com 2.5/5

モニカ・カスティーヨ氏「恐怖は少なく、説明はさらに少ない」

E.L.カッツ監督のホラースリラー『ヴィレッジ 声帯切村』で感じられる恐怖は限定的だ。森の中で愛し合う若い男女が、お互いに言葉を交わせないという設定から物語は始まる。二人の関係は視線と愛情深いジェスチャーだけで語られる。しかし彼らの世界には何かがおかしい。騒音と動きが危険を引き寄せるため、沈黙と静止が生存に不可欠なのだ。牧歌的な森の静けさは、他の人間たちによって破られる。彼らもまた話すことができない。脅威が四方八方から迫る中、アザレルは自らの手で生き延びるために戦わなければならない。

評価点
ウィーヴィングは『レディ・オア・ノット』での素晴らしい演技に続き、本作でも「私 対 世界」という窮地に置かれ、安全への道を爪で這い上がる姿を見せる。音響デザインは効果的で、静寂と突然の暴力音のコントラストが緊張感を高めている。

批判点
脚本家でありプロデューサーでもあるサイモン・バレットの脚本は、彼女に怯えた表情と苦闘以外のほとんど何も与えていない。延々と続く追跡シーンの連続で、文脈のヒントがちらほらあるものの、すべてを完全に説明するには不十分だ。最終的に、本作は観客を恐怖させるエネルギーや戦慄を欠いている。

(RogerEbert.com – Azrael)

The Daily Beast 評価不明

コールマン・スパイルド氏「ホラーアイコンになる度胸を持つ女優」

サマラ・ウィーヴィングは、ホラーアイコンになる度胸を持った女優であることを再確認させる。邪悪で荒々しい演技を披露し、言葉なしで恐怖と怒りのニュアンスを信じられるほど伝えなければならない映画の要求に応えている。宗教的に抑圧的な環境で育ったバレットにとって、この作品は個人的な意味を持つプロジェクトであり、彼が見た夢が基になっている。

評価点
ウィーヴィングの演技は圧巻で、表情だけで複雑な感情を伝える能力は並外れている。宗教的なモチーフと黙示録的世界観の融合は大胆で、観客に多くの解釈の余地を残している。ゴア描写は容赦なく、ホラーファンの期待に応えている。

批判点
台詞のない設定が常に効果的とは限らず、キャラクターの背景や動機が不明瞭なままだ。カルト集団の信念体系や、バーンド・ワンの正体についての説明が不足しており、観客は推測で補わなければならない。物語構造がシンプルすぎて、深みのあるホラー体験を求める観客には物足りない。

(The Daily Beast – Azrael Review)

Screen Rant 評価不明

フェルドサ・アブディ氏「興味深い前提だが、それ以上ではない」

本作は状況の特異性の欠如と、未発達なキャラクター造形によって、興味深い前提を持つだけのホラー映画に留まっている。黙示録後の設定で、言葉を話さないカルトに追われる女性という設定は魅力的だが、その世界観を十分に構築できていない。

評価点
サマラ・ウィーヴィングは本作でも全力投球で、限られた表現手段の中で最大限の演技を見せている。撮影と雰囲気作りは一流で、エストニアの森が持つ不気味な美しさを効果的に捉えている。アクションシーンは激しく、ゴア描写も十分だ。

批判点
脚本が最大の弱点だ。キャラクター発展がほとんどなく、世界観の説明も不十分。なぜカルトは声を罪と見なすのか、バーンド・ワンはどこから来たのか、ミリアムの妊娠とその結果が持つ意味は何なのか。これらの疑問に対する答えがないまま、映画は終わってしまう。視覚的には美しいが、物語としては空虚だ。

(Screen Rant – Azrael Review)

個人的な感想評価

全ての試みが空回りしたような映画だった。予告編との期待値が高いだけにこの荒さが目立つ内容に冷めてしまった。

さまざまなアイディアや演出が盛り込まれているが、全てにおいて機能していないのだ。

例えば予告編でも登場する黒いやつ、バーンド・ワン。やつの見た目がただの全身やけどの人でインパクトが無く、しかも弱い。走れば転ぶし、力が強そうだけど頭が悪いためあっさりと首を吊られてしまったり、日本版の予告で「血の痕跡を残してはならない」と血を出すと彼らに襲われる!タブー!みたいに言ってたのに血に敏感という割には手で押さえるだけで簡単に居場所を見失うぐらい嗅覚が人間程度なんだよね、そんなポンコツっぷりが露呈していくし、いく先々にたまにいるだけで、数キロ先から血の匂いを追うジョーズのような追跡もしてくれなかったりする。最終的に彼らはただのモブ扱い。カアイソカアイソ。

全体的なポンコツ演出、ホラーなのに怖いシーンがない。ジャンプスケアもない。驚くほど怖がらせるシーンがない。演技もダイコンで雑、死に様も雑。恐怖演出かと思ったらただの雑な演出なだけだったり、え?今の怖がらせるつもりだったの?と言ったシーンも多い。声が出せない環境=無音の恐怖もなく、風の音もただの雑音で、急に場違いなBGM鳴らしてコメディ色出してきたり、笑っていいのか困る英語で話しかけられた日本人の微笑みぐらい変な顔になってしまう。

ああ、あと話せないようにするために喉の声帯を切除した人たちが大勢いるんだけどさ、声を出さないことが大事なら声を出さないことを禁じるだけで良いのに、なぜか喉を手術するというね。

その映画に登場する「神に声帯を捧げるため、教団の全員が自ら喉を切り裂き、十字架の後のような傷跡を持つ」という設定は、医学的・生理学的に見ると極めて非現実的である。

まず前提として、喉を切り裂く行為は声帯のみを選択的に破壊することができない。声帯は喉頭内部の深部に位置しており、皮膚・筋肉・血管・神経を通過しなければ到達できない。喉の前面には頸動脈、静脈、迷走神経など生命維持に直結する構造が密集しており、外部から刃物で切開した場合、声帯損傷以前に致死的出血や窒息が起こる可能性が極めて高い

可能性が高いだけで万が一奇跡的に致命傷を避けつつ傷が治癒したとしても、声を完全に失う保証はないのだ。声は声帯だけでなく、咽頭、口腔、舌、呼気の制御によって形成されるため、声帯に損傷があっても、かすれ声・漏気音・うめき声のような発声は残り得る。つまり、「喉を切れば沈黙する」という因果関係自体が成立しない。

日本語版の残りの掟である「音を出してはならない」も、みんな銃撃ちまくってるし、叫ぶし、なんのために音を控えているのかも説明ないし、「喉を切り裂いて神へ捧げよ」だけがかろうじて手術したって痕跡だけでOKって解釈すればまぁ。。ん?なんだこの掟。アホか。

主人公サマラ・ウィーヴィングの身体的演技は確かに圧巻で、台詞なしでここまで感情を伝えられる俳優は稀だ。とやたら誉められているが、正直別に彼女の演技に脱帽するシーンはない。というか監督の演出のせいで、間抜けなB級映画に出演した無名の女優レベルにしか見えないのだ。しかし、その演技力をもってしても埋められない脚本の穴が多すぎる。世界観の説明不足は意図的な余白なのか、単なる手抜きなのか判断に迷う。

宗教的モチーフと黙示録的設定は魅力的だが、それを深掘りせず表面的に扱っているため、哲学的な深みには到達していない。ゴア描写は見事だが、それだけでは優れたホラー映画とは言えない。結末の反キリスト誕生という衝撃的な展開も、それまでの積み重ねが不足しているため、唐突に感じられる。全体として、野心的だが未完成な印象を受ける作品だ。

まとめ

本記事では、映画『ヴィレッジ 声帯切村(コエキリムラ)』のあらすじから結末までの完全ネタバレ、そして海外での評価をまとめて紹介した。

台詞をほぼ排除するという大胆な実験に挑んだ本作は、当初から賛否両論を呼ぶことが予想されていた。実際の評価は、批評家と一般観客の間で大きく分かれる結果となった。サマラ・ウィーヴィングの身体的な演技力とゴア描写の凄惨さは高く評価される一方で、ストーリーの不明瞭さと世界観の説明不足が大きな批判の的となっている。

海外では、本作を「視覚的ストーリーテリングの勝利」と称賛する声と、「ギミックに頼りすぎた空虚な作品」と酷評する声が拮抗している。特にIMDbやMetacriticでの一般観客の評価は厳しく、多くの視聴者が物語の不完全さに不満を表明している。一方で、Rotten Tomatoesの批評家スコア71%が示すように、映画評論家の間では実験的な試みとして一定の評価を得ている。

本作が提示する黙示録後の世界観、沈黙を強いられたカルト集団、そして反キリストの誕生という衝撃的な結末は、確かに観客の記憶に残るインパクトを持っている。しかし同時に、その設定を十分に活かしきれなかったという印象も拭えない。サマラ・ウィーヴィングという才能ある女優の力を借りても、脚本の弱さは隠しきれなかったと言えるだろう。

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