映画『オオカミの家』物語ネタバレ「今夜絶対に悪夢を見る自信がある。狂った作品」




「私は一体何を観た?」世界が驚愕した映画『オオカミの家』物語ネタバレ。ミッド・サマーのアリ・アスター監督が惚れ込んだのも納得のあなたの精神の根幹をぶっ壊してくる、奇抜で無限で不穏で不安な表現力の嵐に精神力が耐えれない可能性すらある作品です。考えるべきか考えてはいけないのか、さぁ日本の映画通の皆さん、この映画をぜひ観てほしい。そしてこの映画はなんんだったのかを教えてほしい。

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映画『オオカミの家』物語ネタバレ

注意、アリ・アスター監督が惚れ込んだこの作品は、全体を通して脈絡のない映像やナレーション、セリフが続き、視聴者の不安を掻き立てるような演出が続く”だけ”の作品でした。この先ネタバレを読んで「?」となったあなたは、それが正解。
わけわからないと思いますが、本当にこの映画作品は訳がわかりません。気になる人はDVDが販売されているのでそれ観た方が早いし、私の言っている意味に納得してくれるはずです。

とあるコロニー。
美しい少女マリアは働くことを放棄して、日々夢に思いを馳せながら動物たちと過ごすことを選択した怠惰な少女だった。ある日、皆の言うことを聞かず勝手に三匹の豚を逃したことを咎められ、「自分のしたことを反省するため、100日間誰とも会わず話すな」と罰を言い渡される。

しかし夢見がちな少女マリアは人から指図など受けたくない、とコロニーから抜け出し森に逃げるが、オオカミから逃れるため廃屋に避難する。

ドアをノックして中に入ると、最初は廃墟だと思われたがマリアが周囲を見渡すと次々にかぐや食料が浮かび上がり始める。最初は絵画のような存在だったマリアだったが、徐々に人形のように輪郭を手に入れ、周囲も立体感を帯び始める。

周辺を散策すると足元に逃した二匹の豚がいた。手から水を生み出し豚たちに水を飲まし一緒に過ごすことになる。不思議なことに夢見がちな妄想ばかりをしているマリアが思う通り家の中の空間がマリアの理想の住まいへと変化し快適な日々を過ごす。

ある日、マリアが二匹の豚に服をプレゼントしたことで人間に変化する。マリアは二人の元豚にアナとペドロと名付け幸せに暮らしていたが、ある日、マリアの不注意でろうそくのを倒してしまいろうそくのを倒してしまいペドロは大火傷を負ってしまう。

マリアは深く悲しみ後悔する。突如マリアの前にオオカミが出現しマリアに対し、コロニーもこの新しい家もどちらも変わらず檻だと教えるが、マリアは無視をする。

そして、時は流れる。

マリアはペドロに蜂蜜を与え続け大火傷で黒くなった皮膚を復活させ三人で再び幸せな日々を過ごす。しかしついに食料が尽きてしまい、マリアだけが我が物顔で食べ物を食べることを非難するようになり、マリアに対する態度が変化していく。マリアは家を出て森でリンゴを採ろうとするが、アナとペドロは外にはオオカミがいるから危険だし、家には”十分な食料”があるから大丈夫だとマリアを家に閉じ込める。

ここでマリアは初めてコロニーを懐かしく思い、オオカミの言葉を肯定的にとらえるようになる。

アナとペドロは、マリアがコロニーに帰らないようにベッドに縛り付ける。空腹を訴えるマリアへの表情から、二人は自分を食べるつもりであることに気がつき絶望する。そこでマリアは、オオカミに自分では何もできないから、助けてくれ、自分を救ってくれと頼む。すると狼は家に入り、アナとペドロを食べてしまう。

マリアは鳥に変身し、コロニーに飛んで帰る。

オオカミのナレーションで、マリアはコロニーに帰ると、助け合いや働き者の精神を取り戻したと言って物語は終了する。

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まとめと感想「何を見た?」

予告も何も知らずに見て後悔した。とあるコミュニティから逃げ出した少女が廃屋で空想と妄想?らしき何かと一緒に暮らすだけのダークファンタジー作品。脚本はシンプルだが、表現力がやばい。(悪い意味で)

脚本、
どこかから逃げたマリア、魔法の力を持っているのか?豚を人間にしたと思ったら、支離滅裂なことを言い始め、妄想のようにもみえる狼の甘言、燃えるペドロ、復活するペドロ、食べられそうになり、鳥になって逃げる。・・・わけわからん。狼のナレーションも入るがそれも空想なのか妄想なのか、思い込みなのか真実なのか、罠なのか?全く理解できず最小限。スッゲェ脳みそが動くんだけど考えるのをやめてしまった。

表現力が奇抜すぎてやばい。
この映画は勝手にクレイアニメストップモーションだと思っていたが、そんな一般視聴者の度肝を抜かす表現に溢れている。映画の表現がなぜ一つだと決めるんだ?と監督がこっちに問いかけるかのように、この作品では、人形、紙、絵の具、パスタ、本物の家、炎、とりあえず目につく全ての物をこの作品の表現の種として扱い、無限の想像力を爆発させたかのような作品になっている。しかもその表現は問題だらけで、とにかく不穏で、人の心をかき乱すようなグロテスクな表現の嵐。最後のオオカミが食べたとは言うが、実際にペドロとアナはなぜか木に変化したり、、と考えるのが辛い。

冒頭、ナレーションが始まったと思ったら、突如ポスターのような人形が現れ始める、しかし人形は完成品ではなく、土台の粘土だけ、え?と思っていると、徐々に徐々に人の手が入っていき立体感を出すためにテープでぐるぐる巻きにして、再び粘土で肉付け、そして絵の具で色をつけ、髪の毛を。。。このように彼らや誰かが喋っている最中に彼らは何者かによって一から作られる工程も描かれていく、、、、信じられないような演出に、、言葉を失う。さらに、監督が人形劇に飽きると部屋に直接絵を描いてアニメーションが流れたり、しかもその絵の具の垂れ具合とかも見せ方も不気味でさ。

彼女の精神世界を具現化するためになんとも面倒な表現方法で演出してくるので驚いた。そして、、、なんとも常に不安で、気持ちの悪い演出と描写が続くのでアリアスター監督が惚れたと言うのも納得の”常軌を逸した”作品だった。

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