映画『ザ・ホエール』結末ネタバレ!なぜ過食になるほど自分を追い込んだのか?




「完璧な映画だ」映画『ザ・ホエール』物語結末までネタバレ紹介。彼はなぜそこまで太ってしまったのか?何から逃げているのか?何が起きたのか?そして最後には何が起きるのか?劇場で涙を流す人が続出したという見事な作品の内容とは?お楽しみに。

この映画には体重が300キロ近く太った男性の裸体などが描かれ人によっては不快に思うことがあるようです。映画を最後まで見れば涙を流すぐらいの見事な作品なのですが、海外ではこの映画に対し「太った人を見せ物にしている」「外見差別」とか斜め上の意見も出ているのも事実です。

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映画『ザ・ホエール』物語ネタバレ

イギリスの大学教授チャーリー(ブレンダン・フレイザー)はオンライン講義を行なっているが自分の姿が見えないようにカメラはオフにしている。

チャーリーは恋人を失ったことが原因で過食症に陥り体重が600ポンド(272キロ)に達する病的な肥満体質になっていた。ある夜、自慰行為(男性同士のプレイを見ていることから彼はゲイであることがわかる)をしている途中に激しい胸の痛みに襲われる。

胸の痛みに悶え苦しんでいると部屋をノックしてきた宣教師のトーマス(タイ・シンプキンス)を家の中に招き入れると、自分が死ぬ前に聞く最後の言葉にしたいからと、「モビーディック」を読んでくれるように頼み手渡し読ませると痛みが徐々に薄れていく。

チャーリーは看護師で唯一の友人のリズ(ホン・チャウ)に来てもらい診察を受け心不全が悪化していること、もうかなり危険な状態で死にたくなければ入院すべきと勧められるがチャーリーは”保険に入っていないしお金がない”と頑なに拒否をする。

かつて見捨てた娘のエリー

翌朝、チャーリーは疎遠になっていた娘のエリー(サディ・シンク)を家に呼ぶが、エリーは当時8歳のエリーと母のメアリー(サマンサ・モートン)を捨てて男性のアランと駆け落ちして出て行ったことを恨んでる。

エリーとの関係を修復する努力をするためこの家に訪れてくれたら財産を譲渡すること、さらにエリーは品行が悪いため低下気味な学業の手助けをしたいと伝え了承を得る。

夜にリズの診察を受けた後、チャーリーはサンドイッチを喉に詰まらせて窒息しかけリズに助けてもらい命拾いする。リズはだから病院に行くべきだとチャーリーを非難するがチャーリーは落としたサンドイッチを受け取ると食べずに見つめる。

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チャーリーが太った理由は?

翌日、オンライン講師を終えたチャーリーの家にトーマスが訪ね宣教しているとリズが訪れトーマスを追い出そうとする。リズは考え直しトーマスを外に連れ出すと、リズの父がニューライフの牧師だったこと、リズの弟でチャーリーの恋人のアランはゲイであることに罪悪感を抱き橋から飛び降り自殺してしまったこと、それがきっかけでチャーリーは過食症になったこと、リズも教会を憎悪するようになったことを話す。しかし話を聞いた後でもトーマスは、チャーリーの人生に神をもたらすために自分が存在すると信じきっていたためリズは怒って追い出すのだった。

チャーリーはガンビーノという店でピザを注文し、配達員のダン(サティア・スリダラン)が訪れいつも通り郵便受けにお金を入れいなくなってからピザを取り出すのだが、今回はダンが自分の名前を伝えた後、チャーリーの名前を聞いて立ち去る。

エリーが訪れるがチャーリーが距離を詰めようとするも変わらず冷たくはねつける。それでもチャーリーはエリーを素晴らしい子供だと言い続ける。エリーはチャーリーを眠らせるため睡眠薬を砕いたサンドイッチを与え眠らせるく家の中を散策。

すると再びトーマスが訪れ彼が宣教師だと知った彼女は目の前でわざとマリファナを吸い、トーマスに少し吸わせ、わざと下品な発言をして彼を不愉快にさせる。マリファナの効果なのかトーマスは、以前マリファナを吸っていたこと、アイオワの実家のお金を盗んで家出したためにニューライフを去ったことを白状する。しかもその告白をスマホで録音し、トーマスとチャーリーの写真も撮っていた。

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元妻メアリーとの会話

そこにリズがチャーリーの元妻メアリーを連れて現れる。エリーはチャーリーがお金を払うと言ったことに触れ、リズはチャーリーはお金を持っていないと言うがリズはチャーリーがエリーのためにお金を貯めていることを知らなかっただけだったことが判明する。リズはそのお金で治療を受けられるのにと兄の死と重ね怒り立ち去る。エリーもチャーリーを非難し立ち去ってしまう。

残ったチャーリーとメアリーは、最初はまだ結婚していた頃のことを思い出し、エリーと一緒にビーチにいた思い出を話す。メアリーはエリーは常に自分よりもチャーリーのことを気にかけていたこと、かつてアランと遭遇してチャーリーの浮気の件で彼と対決しようとしたが、自分の正体を知らせずに食料品の買い出しを手伝ったことを話す。互いの思いを話した後、チャーリーは涙ながらに”自分の人生において一つでも正しいことをしたと分かればいい”と告げる。

チャーリーは再びピザを注文しダンが立ち去ってから外にピザを取りに出ると、ダンは離れた場所でチャーリーを見ていた。チャーリーの姿を初めて見たダンは驚きと嫌悪感をこもった表情を浮かべると足早に立ち去る。その姿を見て傷ついたチャーリーは全ての感情を吐き出すように狂ったように手当たり次第に食べ物を口に詰め込み食べ始める。その勢いでオンライン講座の学生全員に教師らしからぬ表現で、正直に好きなことを書く宿題をするようにとメールを送る。食べ過ぎてゴミ箱に嘔吐しているタイミングでトーマスが現れる。

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エンディングネタバレ「ホエール」

トーマスは興奮気味に彼が寝ている時に、エリーが彼の告白を録音した内容をアイオワの家族に送ったこと、家族は怒るどころかトーマスを許し家に戻るよう誘ってきたことを話す。

この奇跡のような展開はチャーリーを改心させようとするサインと思い込みここに現れたことを話す。しかしチャーリーはその考えを拒否すると、わざと彼が嫌悪感を示すまで恋人のアランとの関係や性癖を話し(キリスト教では同性愛は嫌悪されている)彼の表情を曇らせると聖書を手渡して家に帰った方が良いと促す。

チャーリーは最後のオンライン講義を行うと、事前にメールで伝えた指示通りに生徒たちが書いた文章を読み上げ、自らの考えや想いこそが重要であることを伝えるとカメラをオンにして自分自身を見せる。ディスプレイに映った生徒たちの困惑や驚愕の表情を見たチャーリーはパソコンを投げ捨てて講義を終了させる。

リズが無言で訪れ診察を行なっていると。エリーが現れチャーリーが勝手に彼女が8歳の頃に書いたモーディックのエッセイとすり替えられたことに対して怒る。するとリズはオンライン講義以降呼吸も荒くなっているチャーリーの命が残りわずかだとわかっているのか涙を浮かべ”下で待っている”と伝える。

なぜこんなことをするのかと怒るエリーに対しチャーリーはエリーがどんなに素晴らしい存在で完璧なのかと言い、胸の痛みに苦しみながらエリーに”一度エッセイを読んでほしい”と伝える。

エリーは助けを呼びに行こうとするがチャーリーはそれを静止し、覚悟を決めたエリーがエッセイを読み始めると、チャーリーは歩行器なしで立ち上がる。

エリーは涙ながらにエッセイを読み続け、立ち上がった父と目を合わせ笑顔を浮かべる。チャーリーは満足そうな笑顔を浮かべると魂が空に飛び息を引き取る。

チャーリーの最後の記憶はエリーとメアリーと三人で海辺にいた風景だった。

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海外の感想評価メタスコア:60

8/10
愛すべきブレンダン・フレイザーのカムバックを歓迎する。

フレイザーのファンであり、この男はずっと私のお気に入りの一人である、とまず言っておこう。
この10年間、彼がどういうわけかハリウッドから放り出され、ほとんどキャスティングされないのを見て、私はとても悔しい思いをしました。アロノフスキーとA24は彼にもう一度チャンスを与えるべきであり、ブレンダンの献身的で感情的な演技によって、この映画は成功を収めた。
この作品は、これまでのA24の作品に比べ、気取ったところがなく、より正直な作品です。また、アロノフスキーの不可解な作品の多くよりも、地に足の着いたストレートな表現がなされている。正直なところ、この題材はそうである必要があり、フレイザーが見事に示した純粋な感情と闘争にほとんど依存しているのです。
フレイザーが太ったスーツを着ている、あるいは病的な肥満の人のように見せるために補綴物をつけているという事実に基づいて、多くの先入観に基づく怒りの過剰反応やばかげた思い込みがあるようだ。私は、これがなぜ問題なのかわかりません。これは、楽しませるために作られた映画であり、そうするために、見た目を変えるために何かを着たり、化粧をしたりすることがあるという事実が主な理由です。実在の人物を起用し、その人物の本当の感情をスクリーンに映し出すことは難しいでしょう。それは簡単なことではありません。
また、これは映画の中のフレイザーの外見よりもずっと深いもので、それこそがこの作品の真意であり力なのです。このブレンダンの生々しい演技は、必ずや人々の心を揺さぶることでしょう。これはフレイザー氏のルネッサンスであり、カムバックである。オスカーも狙えるはず。

8/10
この映画で、私は

この映画を批判するのには、それなりの理由があると思います。この映画は、戯曲のかなり舞台化された映画化です。それは必ずしも悪いことではありません。
多くの場合、戯曲の演出に非常に近い形で映画を演出することで、戯曲の良いところが強調されるのです。しかし、この作品ではそうなっていませんし、映画の構成が繰り返されることで、いくつかのデッドパッチが生じています。また、この映画には力強いメロドラマ的なトーンがありますが、正直言って、ちょっと自信がありません。
また、この映画を批判するには極めて悪い理由があると思うし、その理由は主要メディアの批評家のコンセンサスとして現れ始めている。この映画は、とても太っている人の映画ではありません。
悲しみや後悔、そして時にそれに伴う自己価値の完全な欠如によって引き起こされる、極めて破壊的な摂食中毒の人についての映画なのです。
私はこの映画から、フレイザーを最も深い共感を得るに値する人間以外の何ものでもないと見なすべきだという考えを持ってはいなかった。この映画では、特に序盤でショッキングな映像が登場しますが、一度それに直面すると、最初の反応はおさまり、フレイザーのありのままの姿を見ることができるのです。『リービング・ラスベガス』でニコラス・ケイジが漫画のようにバカげた暴飲暴食にふけるのを見て、素晴らしいと宣言できるのに、この映画でフラジールが非常にはっきりと自己消滅的な食事にふけるのを見て、ある種の見世物としてしか処理できないと思うのは、並外れたダブルスタンダードであると思います。
この映画がすごいとは思いませんし、アロノフスキーのベストの中に入ることもないでしょう。フレイザーの演技は見事だし、この映画は、私たちが滅多に直面しない一種の中毒について、欠点はあるが、しばしば素晴らしいキャラクターを描いた作品であると思う。

5/10
演技は素晴らしいのですが・・・。

妻や幼い娘を捨てて別の女と結婚し、その女が自殺したために自己嫌悪に陥って引きこもる痩せこけた異性愛者…劇場を満員にするような内容ではないだろう。しかし、グロテスクな肥満児がゲイ・ポルノを見て、吐くまで食べまくる…これこそドラマだ!」。でも、私はこの作品を何一つ買っていない。演技は素晴らしく、それだけで「5」を付けたいところだが、最初の1時間が過ぎるずっと前に、私は時計を見ていた。基本的な前提は一見の価値があるが、映画はすぐに引き込まれない地点に到達し、繰り返される見世物小屋のような性質が延々と続くだけである。

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まとめと感想

これが、完璧な映画なのだろう

恋人の早すぎる死によって、自分を食い殺す病的な肥満の男を演じているフレイザーに拍手を。周囲はなぜか太った男の見せ物映画と批判するが、不快なシーンもあるがそれ以上に自分自身を傷付ける贖罪のような過食と自傷行為、そして正直に生きる心、絆、辛い。ラストは涙が文字通り噴き出してしまった。

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