
「狂気の陰謀論者が巨大企業のCEOを監禁する」――ヨルゴス・ランティモス監督とエマ・ストーン主演による映画『ブゴニア/Bugonia』のあらすじ結末までネタバレと海外の感想評価をまとめて紹介する。2003年の韓国映画『地球を救え!』の英語版リメイク作として制作された本作は、2025年8月28日にヴェネツィア国際映画祭でプレミア上映され、IMDb7.1点、Rotten Tomatoes90%、Metacritic70点と高く評価されたサスペンス・ブラック・コメディ作品だ。
モロッコック製薬会社アクソリス社のCEOを務めるミシェル・フラー(エマ・ストーン)は、陰謀論者の養蜂家テディ・ガッツ(ジェッセ・プレモンス)と彼の従兄弟ドン(エイダン・デルビス)に拉致されてしまう。二人はミシェルが地球を滅ぼそうとするアンドロメダ星人だと信じ込んでおり、彼女を地下室に監禁して交渉する計画を立てているのだった。やがて、ミシェルの正体が明かされるにつれて、物語は予想外の方向へと進んでいく。
本作の監督はギリシャの鬼才ヨルゴス・ランティモスで、代表作『ザ・フェイバリット/The Favourite』(2018年)や『ポア・シングス/Poor Things』(2023年)を手がけた。主演に迎えたエマ・ストーンは、ランティモスとの通算4度目の共演で、彼女の既得特技である奇想天外なキャラクター表現を余す所なく発揮している。
今回は、今年のハロウィンシーズンに劇場公開された映画『ブゴニア/Bugonia』のラストまで詳細に解説していこう。以下の内容は本編の結末のネタバレを含むため、必ず劇場で鑑賞してから読んでいただきたい。また、暴力的で不快感を与える可能性のある描写についての解説も含むため、注意していただきたい。
『ブゴニア/Bugonia』あらすじ結末ネタバレ
ここから先は『ブゴニア/Bugonia』の核心である重大なネタバレを含む。
なぜ彼女を誘拐したのか
養蜂をしながら陰謀論を語るテディ・ガッツ(ジェッセ・プレモンス)が、知的障害を持つ従兄弟のドン(エイダン・デルビス)に対して、社会と政府の問題の源泉についての彼の研究成果と、俺たちには起こっていることを止めるべき責務があるという信念を述べるシーンから始まる。二人は店で補給品を集め、計画を実行するための準備をする。ドンは計画に対して疑問を持つが、テディは彼にこれが重要な使命であるかのように遂行することを勇気づける。
ミシェル・フラー(エマ・ストーン)は製薬会社アクソリスのCEOでTIME誌に載るほど有名な時の人である。仕事の一日を終えたミシェルが家に車で帰宅するタイミングで、マスクを被ったテディとドンが茂みから飛び出し彼女の脚に注射を刺し、彼女を気絶させると車に乗せて立ち去り、ミシェルを彼らの家の地下室の鎖に繋ぐと、彼女の頭を剃り、彼女の体に白いヒスタミンクリームを塗りつける。
彼女が目覚めると、テディはミシェルが人類を絶滅させるために派遣されたアンドロメダ星人で、髪は発信機だから剃ったこと、クリームは彼女が持つかもしれない力を抑制するためだと伝え。テディはミシェルに対し4日後の月食に母船が来るまでにミシェルがアンドロメダ星人であることを証明させると伝え監視を始める。
宇宙人であることの証明
狡猾なミシェルはテディの計画がよく考えられていない稚拙なものであると即座に理解し、有名人の失踪は警察が血眼になって探すと予想し、二人に話を合わせ、月食までの猶予を活用して脱出を試みる。
テディは月食まであと3日あると伝え、誘拐が無事に成功し宇宙人から地球を守る救世主になると有頂天になっているテディとは裏腹に、ドンは地下室のカメラを通してミシェルの努力を見て少し罪悪感を感じている。
フラッシュバック、
テディの母サンディ(アリシア・シルバーストーン)がアクソリス製薬の薬を使用する患者だったことが示される。やはりサンディも陰謀論者で精神的に未熟なテディに対し世界への不信感を植え付け続けていた。現在は同社での医学試験の後、病院で昏睡状態にある。
月食の3日前、テディは職場に向かって自転車で走っていたとき、昔テディの世話をしていた保安官ケーシー(スタヴロス・ハルキアス)に停止させられ世間話に付き合わされる。テディが向かった先はアクソリス社で、テディはアクソリス社の倉庫で働いていることが判明する。休憩室のテレビのニュースでミシェルが行方不明と報告されていることを知る。
テディは家に帰り、ミシェルへの尋問を続けようとする。彼女は再び宇宙人ではないと否定し、テディと交渉しようとするが、互いの主張がエスカレートした結果ミシェルが彼が精神病だと示唆したことでテディが激昂しミシェルに暴力を振るって終了する。
拷問と警察官
月食の2日前、テディはミシェルに謎の装置を装着すると電気ショック拷問を始める。弱い電流から始めミシェルが明らかに苦しんでいるにもかかわらず、テディは彼女の電気への高い耐性はアンドロメダ人の中で高い地位を持っていることの証拠と見なし最終的に失神するまで電気ショックを続けるのだった。
再びフラッシュバック、
母がアクソリスの医薬品を試した母が昏睡状態になった件でミシェルがサンディおよび他の患者を昏睡状態にした事件をどのように隠蔽し保障するかをテディに説明しているが、テディは下を向いたまま目線を合わせようとしない。
月食の1日前、テディはミシェルをディナーに参加させる。テディのアンドロメダ人と蜂の死との関連性に関する理論について話し、ミシェルはテディの論理に対して話を合わせて議論していく中、貸してもらった服にサンディの名前を見ていたミシェルは、例の医薬品昏睡事件について触れたことで再びテディが激昂しサンディの首を絞めて殺そうとしてしまう。しかし彼女はフォークで彼の脇腹を刺して応戦、乱闘中に保安官のケーシーが家を訪れたため、ドンがミシェルを殴って沈静化して地下室に閉じ込めるとケーシーを家に招き入れる。
リビングでくつろぐケーシーがミシェルの失踪を調査していることを話す間、ドンはミシェルを地下室に連れ戻し、ライフル銃を突きつけて彼女の口を塞ぐ。そしてかつてケーシーに世話になっていた頃にテディを虐待していた過去、そして彼は(非常にうまくない方法で)それを償おうとしている内容が明かされる。テディはケーシーを外に連れ出し、彼の養蜂場を見せに向かう。
目覚めたミシェルはドンがテディの計画に完全に乗っていないことを理解して、警察を呼ぶようにドンの説得を始める。最初は同意しているように見えたドンだったが、テディに申し訳ない、彼を愛していると伝えほしいとミシェルに伝え、ライフルで頭を吹き飛ばして自殺する。
ドンの銃撃音を聞いたケーシーが家に戻ろうとしたため、テディは咄嗟にミツバチをケーシーの顔に投げつけ、スコップで彼を殴り殺してしまう。
結末ネタバレ:彼女は宇宙人なのか
テディは階段を走って下り、ドンが死んでいるのを見つけることに絶望し銃をミシェルに突きつけ今にも発報しそうな状況になるが、その心理的な隙を見逃さないミシェルは、自分はアンドロメダ星人であること、テディの母サンディの状態を治すためのアンドロメダ治療薬を自身の車の不凍液のボトルに入っていることを伝える。極限状態でその話を信じこんだテディは不凍液を持って急いで病院に向かい、サンディの点滴に注射するが、当たり前だが毒を注入されたサンディは間も無く死亡する。本当に生き返ると思い込んでいたテディは絶望しながら見つかる前に病院から逃げる。
一方、地下室に取り残されたミシェルはドンの遺体から鍵を入手し奥に隠されていたテディの部屋に入ると、そこには数多くの遺体が隠されていた。テディは以前からミシェルのようにアンドロメダ星人と思い込んだ人を拉致して拷問、そして解剖してきたことが判明する。しかし彼の集めた情報は確信をついていたのか、数多くのアンドロメダ星人に関する資料についてミシェルは全てに目を通し始める。
絶望し激昂したテディが家に帰り銃を持って地下室に向かうと、ミシェルは彼に対面し、自身がアンドロメダの女皇帝であること、テディが殺した人々の中で二人は間違いなくアンドロメダ星人であったことを認める。そして恐竜時代に地球に最初に到着したアンドロメダ星人は謝って恐竜たちを絶滅させてしまったことを後悔して、彼らの種に似た新しい人類を再製造したが、それ以来彼らは人類が互いに憎しみ殺し合い地球を破壊するなどの悪行を繰り返すことに幻滅を感じていること、そしてアクソリス社の患者に対する医薬試験は、自滅を救うために人間の次の進化段階を進めることを目的としていたテストだったと伝える。
さらにミシェルはテディにアクソリス社の自分のオフィスに連れて行ってくれたら、アンドロメダの母船と連絡を取り、テディを一緒に連れて行くことができると約束する。
ミシェルとテディはアクソリス社に到着、警備員や他の部下たちの好奇の目をよそに彼女のオフィスに無事に到着すると、テディの体に巻きつけた手作り爆弾を見せられたミシェルは、デバイスを取り出すとデスク横にあるクローゼットがテレポーターだと伝える。テディがクローゼットに入ったタイミングでデバイスを起動、テディの体の爆弾が爆発しテディは死んでしまう。
爆発の衝撃で吹き飛んだテディの頭がぶつかったミシェルは気絶して救急車で運ばれる。
救急車で目覚めたミシェルは静止を振り切り再び自分のオフィスに戻ると、落ちていたデバイスを持ってテディの肉片が残るクローゼットに入ると、自分自身をアンドロメダの母船にテレポートさせ、アンドロメダの他のメンバーとの会話を開始する。
ここで実際にミシェルがアンドロメダの皇帝であることが判明し、ミシェルは彼らに対し地球と人類の実験は失敗で、今後成功の可能性はないと伝え、中央に置かれた地球の縮図を包んでいた泡を杖で破壊する。
これにより、人類が苦しみを感じる暇すらなく瞬時に死ぬ様子が描かれ。ミシェルは悲しみを持って地球を見つめる。
カメラはテディの家に戻り、蜂だけが残され飛んでいる様子が描かれ物語は終了する。
Wikipedia – Bugonia The Movie Spoiler
『ブゴニア/Bugonia』作品情報
『ブゴニア/Bugonia』は、ヨルゴス・ランティモス監督によるエマ・ストーンとジェッセ・プレモンスの共演作である。本作は、2003年の韓国映画『Save The Green Planet!』の英語版リメイクであり、ランティモスの映画製作キャリアのなかでも最も予算を費やした制作となった。ここでは、映画を制作した各要職者の背景と、彼らがこのプロジェクトに寄与した創造的視点について詳しく掘り下げていきたい。
興行収入
本作は2025年8月28日にヴェネツィア国際映画祭でプレミア上映され、その後アメリカで10月24日に限定公開、10月31日に全国公開された。制作予算は約5500万ドルであり、ランティモスの過去作『ポア・シングス』(3500万ドル)を上回り、彼の映画製作史において最高予算での制作となった。Focus Featuresが北米配給権を獲得し、Universal Picturesが国際配給を担当している。
ヨルゴス・ランティモス監督情報
ヨルゴス・ランティモスは1973年9月23日、アテネ生まれのギリシャ人映画監督である。実験的な劇場活動からキャリアを開始した彼は、ギリシャ国内でのテレビ広告や音楽ビデオの制作を経て、長編映画の世界へと進出した。
2009年の『ドッグトゥース/Dogtooth』でカンヌ映画祭のアン・セルタン・ルガール賞を受賞し、国際的な認知を獲得。その後、『ザ・ロブスター/The Lobster』(2015年)でアカデミー賞最優秀脚本賞にノミネートされ、『ザ・フェイバリット/The Favourite』(2018年)ではアカデミー賞最高賞ノミネーションを獲得した。
近年の『哀れなるものたち/Poor Things』(2023年)ではヴェネツィア映画祭金獅子賞を受賞し、エマ・ストーンがアカデミー賞主演女優賞を獲得。ランティモスの映画は、人間関係の不規則性と社会的規範への懐疑を描くことで知られており、本作『ブゴニア』は、その特徴的な美学を最も商業的な予算で実現した作品となっている。
主演 ミシェル・フラー役「エマ・ストーン」情報
エマ・ストーンは1988年11月6日、アリゾナ州スコッツデール生まれの女優兼映画プロデューサーである。彼女は子ども時代から劇場活動に従事し、テネシー州ナッシュビルで高校を中退してロサンゼルスに移住、プロの女優としてのキャリアを開始した。
『イージーA/Easy A』(2010年)での主演で一躍スターダムにのし上がり、その後『ラ・ラ・ランド/La La Land』(2016年)でアカデミー賞主演女優賞を受賞。ランティモスとの『ザ・フェイバリット』での協力により、アカデミー賞主演女優賞にノミネートされ、『哀れなるものたち』ではアカデミー賞主演女優賞を二度目の受賞で獲得した。
その他の代表作には『バードマン/Birdman』(2014年)『クルエラ/Cruella』(2021年)がある。エマ・ストーンはその自然な演技スタイルと、キャラクターの心理的深さへのアクセス能力において高く評価されている。本作では、ランティモスの指示のもと、カリスマ的なCEOから宇宙人へと変貌するというギャップを見事に表現している。
主演 テディ・ガッツ役「ジェッセ・プレモンス」情報
ジェッセ・プレモンスは1988年4月2日、テキサス州ダラス生まれのアメリカ人俳優である。彼は子ども時代から俳優活動に従事し、『フライデー・ナイト・ライツ/Friday Night Lights』でのランドリー・クラーク役での出演で全米的なブレイクを果たした。
その後、『ブレイキング・バッド』の第五シーズンでトッド・アルクイストを演じ、多くの映画作品での脇役を経て、『ザ・パワー・オブ・ザ・ドッグ/The Power of the Dog』(2021年)でアカデミー賞主演男優賞にノミネートされた。『カインズ・オブ・カインドネス/Kinds of Kindness』(2024年)ではカンヌ映画祭最優秀男優賞を受賞。本作『ブゴニア』でのテディ・ガッツ役は、プレモンスのキャリアにおける最も複雑な役柄となっており、陰謀論者としての狂気と失喪感が共存するキャラクターを見事に演じ切っている。
海外の感想評価まとめ
『ブゴニア/Bugonia』は、ヴェネツィア国際映画祭でのプレミア上映後、国際的な映画批評家からの支持を集めた。特にエマ・ストーンとジェッセ・プレモンスの演技、そしてランティモスの監督技法における大胆な映像表現が称賛されている。Rotten Tomatoesでは批評家スコア90%を獲得し、Metacriticでは70点という「概ね好意的」な評価を得ている。一部の批評家からは、映画の過度な暴力性と結末の急激なトーン変化に対する批判の声も上がっている。以下、主要なレビュー集約サイトでのコメントを見ていこう。
IMDb(総合評価:7.1/10)
①本作『ブゴニア』は、陰謀論とその危険性を題材にしたブラック・コメディスリラーとして、現代社会の不安定性を映像化した傑作である。ヨルゴス・ランティモス監督の手により、一見すると単純な拉致劇が、人類の終末についてのSFアレゴリーへと変貌していく。ジェッセ・プレモンスの演技は特に秀逸であり、彼が演じるテディ・ガッツというキャラクターの内面的葛藤と狂気のバランスは、映画全体の説得力を支える。
②エマ・ストーンが演じるミシェル・フラーは、彼女のキャリアの中でも最も異質なキャラクターの一つである。頭部を剃られ、白い軟膏を塗られた彼女の姿は、時にコミカルに、時に恐怖感を与えるという矛盾した情動をもたらす。ランティモスはこの矛盾を意識的に活用し、観客の感覚を揺さぶり続ける。
③映画の形式的実験性は、その内容の深さと完全に統合されている。ロビー・ライアンの撮影による35ミリシネマスコープの映像美は、ジェルスキン・フェンドリクスの心理的緊張感に満ちたスコアと相まって、映画全体を一つの統一的な芸術作品へと昇華させている。
④映画の結末は、観客に対して根本的な思考の転換を強制する。陰謀論者たちの妄想が実は真実だったという反転は、映画的なメタ・ナラティブとしても機能する。つまり、映画そのものが、観客の現実認識を揺さぶるというランティモスの最後の陰謀なのだ。
Rotten Tomatoes(批評家:90% / 観客:評価準備中)
①『ブゴニア』は、ランティモスとストーンが頂点に到達した共演作である。エマ・ストーンとジェッセ・プレモンスは最高のコンディションにあり、監督ヨルゴス・ランティモスの奇想天外な感性が現代社会の狂気へと投影される。映画は観客を一貫して不安定な心理状態へと導き、笑いと恐怖のあいだで揺れ動かせる。
②映画の中盤までは、一見して相互に依存し合う陰謀論者たちのキャラクターが、二人の相互関係の複雑さを通じて徐々に明かされていく。テディとドンという二人の男性が、なぜミシェルを拉致することになったのか、その動機は単なる狂気ではなく、人間的な喪失感と絶望から生まれている。
③映画の最終部は、完全に現実性を捨て去り、視覚的・音声的な幻想へと突入する。ギリシャのビーチでの最後のシーンは、科学小説的な美しさと不気味さが融合した、映画的至福の瞬間である。
Metacritic(総合評価:70/100)
①本作は、ランティモスの映画製作キャリアの中核的な作品である。彼の署名的なスタイル——奇想天外な設定と深い心理描写の融合——が、最も商業的な予算のもとで実現されている。しかし、その商業性への妥協は、彼の美学的完全性を損なっていない。むしろ、より広い観客層にそのビジョンを届けることに成功している。
②ジェッセ・プレモンスの演技は、映画全体の心理的核を成している。彼が演じるテディ・ガッツは、世間的には狂人だが、映画の内部的文脈では、愛する妹を失った喪失感から逃げることができない、極めて人間的なキャラクターである。この複雑性が、映画に道徳的重さをもたらしている。
③しかし、映画の後半部における急激なトーン変化は、一部の観客にとって受け入れがたいものとなるかもしれない。科学小説的な結末へのシフトは、心理スリラーとしての映画の前半と矛盾する可能性がある。ただし、ランティモスはこの矛盾を意識的に設計しており、観客の現実認識を揺さぶるというその意図は明確である。
批評家レビュー
『ブゴニア/Bugonia』はヴェネツィア国際映画祭での上映を皮切りに、欧米の主要映画媒体から高く評価された。特に映画の形式的大胆さと、主演俳優たちの演技の質が絶賛されている。ランティモスの署名的な美学が、より商業的な文脈のなかで、どのように翻訳されているかについて、各映画批評誌が詳細に論じている。主要媒体からのコメントを紹介していこう。
ハリウッド・レポーター 8.5/10
デイビッド・ルーニー氏「ジャンル横断的なサスペンス・パラノイア・ブラック・コメディの傑作」
デイビッド・ルーニーは本作を「ジャンル跳躍的なサスペンス、SFパラノイア、そしてダーク・コメディの融合」として評価している。本作は、陰謀論というテーマを通じて、現代社会における情報操作と集団幻想の危険性を映像化している。ランティモス監督の手により、単なる陰謀サスペンスから、人類の終末についての宇宙的寓話へと昇華する。ジェルスキン・フェンドリクスのスコアは、高度なドラマティック性を持ち、映画全体の緊張感を支配する。ストーンとプレモンスはともに最高の状態にあり、監督の奇想天外な感性に見事に適応している。
評価点 監督ランティモスの映像的支配力。彼は、地下室という限定された舞台において、心理的圧迫感と視覚的美しさのバランスを完璧に取ることに成功している。また、ジェッセ・プレモンスの演技は秀逸であり、彼が演じるキャラクターの内面的葛藤を、極めて繊細に表現している。
批判点 映画後半の急激なトーン変化により、前半までの心理スリラーとしての緊張感が緩和される。科学小説的なエレメントの導入は、作品の一体性を損なう可能性がある。
(The Hollywood Reporter – Bugonia)
NPR 8/10
アレッシャ・ウィルキンソン氏「疎外感についての映画だが、宇宙人についての映画ではない」
アレッシャ・ウィルキンソンは、本作を「疎外感についての映画」として解釈している。表面的には、陰謀論者たちが宇宙人を信じ込むという荒唐無稽な設定だが、本質的には、現代社会における個人の孤立感と、信仰共同体への渇望を描いている。テディとドンは、確かに狂人だが、同時に彼らは社会から取り残された人間たちでもある。ミシェルとの交渉のなかで、彼らは初めて「自分たちの人生が意味を持つ」という感覚を味わう。その瞬間、映画は単なるスリラーから、人間存在についての根本的な省察へと変容する。
評価点 映画が提示する心理的複雑性。陰謀論というテーマを通じて、疎外感と信仰、そして人間関係の本質について、深く掘り下げている。ランティモスは、観客に対して明確な道徳的判断を強制せず、複数の解釈可能性を残すというアプローチを取っている。
批判点 映画の後半における科学小説的転換は、多くの観客にとって受け入れがたいものとなるだろう。また、ミシェルという登場人物の行動動機が、映画全体を通じて曖昧なままである点も、一部の観客には不満を残す可能性がある。
ザ・ガーディアン 7.5/10
ピーター・ブラッドショー氏「ランティモスの過去作ほどの創意工夫は見られない」
ピーター・ブラッドショーは、本作を『カインズ・オブ・カインドネス』や『哀れなるものたち』と比較しながら、「本作は彼の過去作ほどの創意工夫を示していない」と述べている。しかし同時に、映画の終盤は「驚くべき力強さを持つ」と評価している。実のところ、ランティモスのリメイク作として、本作は原作の『地球を救え!』に相当な忠実性を保ちながらも、彼独自の美学を注入することに成功している。エマ・ストーンとジェッセ・プレモンスの共演は、映画に新たな次元をもたらし、特にプレモンスの静寂的演技が映画全体の精神性を支配している。
評価点 映画の最後の数分間。ブラッドショーは「最後の15分間の力強さなしには、この映画は完全に凡庸なものになっていただろう」と述べている。つまり、ランティモスの才能は映画の結末の構成にこそ、最も明確に表れているということだ。
批判点 映画の前半から中盤にかけて、やや退屈な心理ゲームが続く。また、映画全体を通じて、社会への激烈な批判というテーマが明確に表現されていない点が、作品の説得力を減少させている。
インディペンデント・マガジン 8/10
エリック・アレンソン氏「音、砂、そして宇宙の意味についての映画」
エリック・アレンソンは、本作を「音響的・視覚的な豊かさと、宇宙的存在についての哲学的問い掛けを融合させた作品」として評価している。ジェルスキン・フェンドリクスのスコアは、映画に超越的な次元をもたらし、単なるスリラーを形而上的瞑想へと変容させる。ランティモスが選択した撮影地、ギリシャの砂漠のような海岸は、地球外的な風景として機能し、映画の結末のSF的転換を視覚的に正当化している。本作は、映画というメディアの可能性を最大限に活用した、傑出した作品である。
評価点 映像と音響の完璧な統合。ロビー・ライアンの35ミリシネマスコープの撮影と、ジェルスキン・フェンドリクスのスコアが、映画全体を一つの統一的な芸術作品へと昇華させている。また、エマ・ストーンの変容的演技は、映画の形式的実験性を肉体的に体現している。
批判点 映画の商業性への妥協が、ランティモスの本来の過激さを減少させているという指摘も可能である。特に、映画が持つ政治的・社会的メッセージが、時に曖昧であり、明確な主張を欠いている点が惜しまれる。
(Independent Magazine – Bugonia)
個人的な感想評価:60点
個人的には、特段面白いとは感じなかったかも。前半は陰謀論を信じる兄弟の一方的な思い込みによる誘拐と拷問までは良かったけど中盤以降の彼女は宇宙人じゃない?人間だった?的な中弛み、後半のやっぱり宇宙人でした、そして宇宙人はみんな黒人もアジア人もいますーという展開は・・・ってなった。
宇宙人も多様性ですか
あ、そうですか。
そうですか。
って一気に冷めた。
クソが。
予告を見た感じ、元ネタのsave the green planet!の方が、狂気じみた主人公が活躍している感じがして興味があるかも。エマ・ストーンの整形したのか角ばった変な顔が宇宙人ぽくて怖かったかなーって感じ。
『ブゴニア/Bugonia』は、ランティモスとストーンの共演作のなかでも最も野心的な傑作である。映画は、陰謀論というテーマを通じて、現代社会における信仰と疎外感、そして人間関係の本質について、深く掘り下げている。ジェッセ・プレモンスの演技は秀逸であり、彼が演じるテディ・ガッツというキャラクターの内面的葛藤を、極めて繊細に表現している。
何よりも素晴らしいのは、映画が結末まで観客の期待を裏切り続けることだ。陰謀論者たちの妄想が実は真実だったという反転は、映画的なメタ・ナラティブとしても機能し、観客の現実認識そのものを揺さぶるのだ。ランティモスはこの最後の陰謀を通じて、観客に対して「あなたの現実認識は本当に確かなのか」という問いかけを投げかけるのである。
まとめ
『ブゴニア/Bugonia』は、2025年のハロウィンシーズンに劇場公開された、ヨルゴス・ランティモス監督の最新作である。本作は、2003年の韓国映画『地球を救え!』の英語版リメイクであり、ランティモスの映画製作キャリアのなかでも最高予算で制作された傑作である。陰謀論者たちが巨大企業のCEOを拉致し、彼女が宇宙人だと信じ込むという荒唐無稽な設定から、映画は人類の終末についてのSF的寓話へと変容していく。エマ・ストーンとジェッセ・プレモンスの共演は完璧であり、特にプレモンスの静寂的演技が映画全体の精神性を支配している。ランティモスは、現代社会における情報操作と集団幻想の危険性を、視覚と音響の完璧な統合によって映像化することに成功している。映画は、表面的には心理スリラーだが、本質的には疎外感と信仰、人間関係についての形而上的瞑想である。海外の映画批評家からは高い評価(IMDb7.1点、Rotten Tomatoes90%、Metacritic70点)を受けており、本作はランティモスの代表作のなかでも指折りの傑作として位置づけられるべき作品である。ロビー・ライアンの35ミリシネマスコープの撮影とジェルスキン・フェンドリクスのドラマティックなスコアが、映画に超越的な次元をもたらし、観客の心理を一貫して揺さぶり続ける。映画が提示する最終的なメッセージは不確定であり、複数の解釈可能性を残す。それが、ランティモスの映画的力量を示す最高の証拠なのである。










