映画『シラット/Sirât』あらすじ結末ネタバレと海外の感想評価まとめ

「心理の極限まで試される人間ドラマの最高峰」――カンヌ映画祭で審査員賞を受賞した映画『シラット/Sirât』のあらすじ結末までネタバレと海外の感想評価をまとめて紹介する。スペイン・フランス合作で制作された本作は、2025年5月にカンヌ映画祭のコンペティション部門でプレミア上映され、IMDb7.4点、Rotten Tomatoes96%、Metacritic82点と高評価を獲得した砂漠の冒険ドラマ作品だ。

モロッコの砂漠で開催される違法レイヴパーティーに集まった人々。その中にルイス(セルジ・ロペス)と息子エステバン(ブルーノ・ヌニェス)の親子がいた。彼らは5ヶ月前にこうした乱痴気騒ぎの中で失踪した娘マル(マリナ)を探していた。軍の介入により騒乱が鎮圧されると、親子はレイヴ好きたちの放浪集団に身を投じ、さらに奥地の砂漠へと進むことになる。

本作の監督はカンヌで4度目の出品となったオリベル・ラクセで、代表作『ミモザ』(2016年)や『火は来た』(2019年)を手がけた気鋭の創作者。主演にはカタラン俳優のセルジ・ロペスが起用され、『パンズ・ラビリンス』や『ダーティ・プリティ・シングス』で知られる彼が静かな迫力で劇を支える。

今回は、異色作として注目を集める映画『シラット/Sirât』のラストまで詳細に解説していこう。以下の内容は本編の結末のネタバレを含むため、必ず劇場で鑑賞してから読んでいただきたい。また、暴力や死亡シーンといった不快に感じられる可能性のある描写についての解説も含むため、注意していただきたい。

『シラット/Sirât』あらすじ結末ネタバレ

ここから先は『シラット/Sirât』の核心である重大なネタバレを含む。砂漠で繰り広げられる人間ドラマの全容を、映像の豊かさとともに詳しく紹介していきたい。

砂漠のレイヴシーンから始まる物語

モロッコ南部の砂漠の山間部で違法なレイブパーティーが開催されている。電子音楽のビートが砂岩の崖に共鳴し、音楽好きが集まり始め狂ったように音楽に合わせて踊り出す。このパーティーの中を踊ることなく写真を見せながら歩いている親子がいる。

父ルイス(セルジ・ロペス)と10代の幼い息子エステバン(ブルーノ・ヌニェス)の2人は、5ヶ月前にレイヴパーティに参加したまま失踪した娘マルを探すため、各地のレイヴパーティを訪れては写真付きのチラシを配り歩いている。もう何ヶ所も何ヶ月も探し続けている親子の顔には疲労の色が見え、絶望感すら感じ始めているようにも見える。

軍警察による騒乱の鎮圧と逃亡の決断

翌朝、ルイスとエステバンがチラシを渡し歩いていると、突如違法レイヴパーティーに軍隊と警察が現れ秩序を無視したこのイベントを即座に中止させようと有無を言わさず解散命令を出す。音楽は止められ、喚き散らかす人々は退散するよう命じられ、参加者たちは全員車に乗り込み帰路に着くことになる。

荒野の中で参加者たちの乗る車の長い長い渋滞が続く中、ラジオからは世界規模の紛争、資源の枯渇、外交関係の悪化といったニュースが絶えず流れていた。この世界は現在ではなく近未来で文明社会は崩壊の一歩手前の状態だったことがわかる。

放浪レイヴ集団との出会いと絆の形成

ルイスとエステバンは仕方なく車に乗って待機をしていると、目の前の車の何台かが警察の指示に従わずに砂漠の奥へと向かっていくのを見かける、エステバンのマルはあそこにいるかもしれないという言葉にルイスは一瞬躊躇したが、息子の直感を信じて列から逃れてどこかに向かう車を追いかけ砂漠の深奥へと向かうのだった。

車に追いつき車に乗っていた無法者たちが別のレイヴパーティに向かうことを知ったルイスたちは道中旅を共にすることになる。ボディピアスと特徴な髪型の女性ジェイド(ジェイド・オウキッド)、楽観的な男ビグイ(リチャード・ベラミー)。ステフ(ステファニア・ガッダ)。右膝から下が欠損しているトニン(トニン・ジャンヴィエ)。ジョシュ(ジョシュア・リアム・ヘンダーソン)という奇妙な仲間たちと旅を始めることになる。

砂漠の旅は割と過酷で、道中キャラバンで食料と水を分けてもらいながら、夜の過酷な寒さ、増水した川を渡る危険な道を協力しながら進み続け、最初は音楽と無秩序を好むこの若者グループに対し偏見を持っていたルイスは徐々に心を開いていくようになる。

何日も共に苦楽を共にしていくと、最初は赤の他人であり、使命も異なっていた。だが、砂漠という過酷な環境のなかで、彼らは一つの疑似家族へと変わっていった。テントを張り、食事を共にし、歌い、踊り、時には冗談を言い、時には真摯な会話を交わし続けていくと、いつの間にか距離も心の壁も不要なものであり、互いにある空虚な空間が薄まり消え失せていく。

砂漠の夜の静寂のなかで、人間にとって最も本質的なものが浮かび上がってくる。他者との繋がり、コミュニティの温もり、そして失われたものへの思い。この小さな共同体は、世界が崩壊していくなかで、人間らしさを保つ最後の砦となっていたのだ。

しかし、この透明な関係性と心地よい流れは、あまりに長くは続かなかった。崖の上でスタックした車の救助をしている最中にエステバンの乗った車が崖から落下して死んでしまうという残酷な出来事が起きてしまう。

レイヴパーティー

その場にとどまり続けることはできない一行は、動揺して落ち込むルイスを乗せて砂漠でのさらなる移動を続ける。夜になるとルイスは失われた家族を求めるように荒野の砂漠を歩き自殺を試みるが、仲間たちによって助け出される。

荒野の中でレイヴパーティーの痕跡が見つかるが、すでに他のレイヴパーティのように軍によって中止させられた後で皆消沈する。

仕方なく彼らはスピーカーをセットアップして、電子音楽の低音が特徴的なダウナーなテクノを流すと、この状況から逃れるかのようにジェイド、ビグイ、ステフ、トニン、ジョシュ、そしてルイスはサイケデリックな幻覚を楽しめるドラッグを摂取して音楽に身を委ね始め、心地よい日差しと風の流れる荒野のど真ん中で彼らは踊り始める。ルイスですら悲しみから一時離れ両手を広げ全てを受け入れるかのように風を全身で感じ、泥まみれになりながら、泣きながら笑顔を浮かべ、身体をリズムに預けた。この瞬間、彼らは現実を忘れ、別の世界へと遊離していた。

エンディングネタバレ:地雷原

だが、その陶酔のなかにも、別の危機が潜んでいた。ジェイドが踊りながら地面を踏み付けた瞬間、激しい爆発が起きた。彼女の身体は砂漠の闇に消えた。咄嗟にトニンが彼女を助けようと走り出たが、トニンも地雷を踏んでしまった。ここは地雷原のど真ん中だったのだ。

ステフ、ジョシュ、ビグイ、ルイスは、生き残るために二台のトラックを無人で走らせ、地雷をできるだけ起動させることで、安全な通路を作り出そうと試みるが、思っていた以上に地雷が過密に敷き詰められているのか、二台共すぐに地雷で爆発してしまう。

生き残った者たちは、それでもなお前に進むしかない。俺は大丈夫だと歩くビグイが地雷の犠牲となり、ステフとジョシュ、そしてルイスの3人は荒野を歩き続けなんとか地雷原を抜け、多くの地元民でひしめく列車に乗ったシーンで物語は終了する。

Wikipedia – Sirât

エンディング考察:マルは?

結局のところ、マルは見つからなかった。娘は依然として失踪したままだ。

息子のエステバンが唐突に落下死したルイスにとって唯一の家族マルについて言及されないまま物語が終了したことは後述する海外の評価でも疑問符が残されている。

息子が死に、娘は失踪、新たな仲間との絆も地雷によって唐突に終焉を迎え、次々に犠牲者が増え続け、それでも歩いて生き延びた3人にとって、それぞれの恋人を失い、全て何も残ることはない。最終的に全ての考察も無意味なのだろう。

映画『シラット/Sirât』は、技法とテーマの融合において類稀なる作品だ。砂漠という舞台、テクノ音楽のサウンドデザイン、そして一連の予測不可能な物語展開は、観客の心理を揺さぶり続ける。ラクセの手中のなかで、人間ドラマは単なるドラマではなく、実存的な問いかけへと昇華されるのである。

『シラット/Sirât』作品情報

本作『シラット/Sirât』は、フランス生まれのスペイン系ガリシア人監督オリベル・ラクセが、スペイン人俳優セルジ・ロペスと組んだ、モロッコを舞台にした砂漠冒険ドラマである。技術的な完成度、テーマの深度、そして音響映像の革新性において、本作はラクセのキャリアの頂点を代表する作品となっている。ここでは、作品を制作した各要職者の経歴と、彼らがこのプロジェクトにもたらした独自の視点について詳しく探っていきたい。

興行収入

本作は2025年6月6日にスペインで劇場公開され、フランスでは9月10日に公開された。配給会社ネオン・ディストリビューションが北米配給権を獲得し、2025年11月14日よりアメリカで限定公開予定である。制作予算は約650万ユーロ。国際的な賞レースや映画祭での選出により、今後の商業的な成功が期待されている。

オリベル・ラクセ監督情報

本作の監督オリベル・ラクセは、1982年パリ生まれ、ガリシア系スペイン人の映像作家である。バルセロナのポンペウ・ファブラ大学で映像を学んだのち、4度にわたってカンヌ映画祭に出品した経歴を持つ。

デビュー作『キャプテン・オール・ユア・シップス/Todos vós sodes capitáns』(2010年)はカンヌ映画祭ディレクターズ・フォートナイト部門でFIPRESCI賞を受賞。

その後の『ミモザ』(2016年)はアトラス山脈を舞台にした実験的西部劇で、批評家週間での最高賞を獲得した。三作目『火は来た/O que arde』(2019年)はガリシアを舞台にした社会派ドラマで、アンセルタン・ルガール部門で審査員賞を受賞し、ラクセの国際的な認知度を高めた。

本作『シラット/Sirât』は、ラクセとして初めてコンペティション部門での出品となり、その結果、審査員賞を受賞。マウロ・エルセの圧倒的な映像美とカンディン・レイのサウンドスケープの傑作により、ラクセのキャリアはここに完成形を迎えた。

主演 ルイス役「セルジ・ロペス」情報

カタラン生まれの俳優セルジ・ロペスは、1965年12月22日生まれで、スペイン・フランス両国で高い評価を得ている実力派である。バルセロナで舞台訓練を受けた後、フランスの名門ジャック・ルコック国際演劇学校で身体表現とミムを習得。

1992年にフランス人監督マニュエル・ポイリエの『アントニオの恋人/La petite amie d’Antonio』で映画デビューを飾ると、同じポイリエとの『西部劇/Western』(1997年)ではカンヌ映画祭審査員賞受賞作に出演し、セザール賞にもノミネートされた。その後、『君を想わせてくれる男/Harry, un ami qui vous veut du bien』(2001年)でセザール賞最優秀男優賞を受賞。

ギレルモ・デル・トロの『パンズ・ラビリンス』(2006年)ではファシスト将校ビダル大尉を演じ、その圧倒的な演技力でデル・トロから「恋に落ちた」と称賛されるほど。『ダーティ・プリティ・シングス/Dirty Pretty Things』ではオーレイ・トートゥと共演し、『幸福なラザロ/Lazzaro felice』や『ドン・キホーテを殺した男/The Man Who Killed Don Quixote』など、ヨーロッパ映画の潮流に常に身を置き続けている。本作では、沈黙と肉体的表現で深い内省を示す、セルジ・ロペスの真骨頂たる演技が冴え渡る。

主演 エステバン役「ブルーノ・ヌニェス」情報

ブルーノ・ヌニェス・アルホーナは、本作でエステバン役を演じた若き俳優で、スペイン映画業界でも注目を集める新しい才能である。特にスペイン映画の新世代を代表する俳優として期待されており、本作での抑制されながらも深みのある演技により、セルジ・ロペスとの親子関係の説得力あるケミストリーを生み出している。

父親ルイスの静かな絶望に対し、息子エステバンの淡い希望と行動力で、微妙な人間関係の緊張感を保持。ラクセの細やかな指示のもと、言葉少なげながら感情の深さを表現する能力を示した。

海外の感想評価まとめ

『シラット/Sirât』がカンヌ映画祭で審査員賞を受賞したことから、世界的な賞賛の対象となった。特にテクノ・サウンドスケープの革新性、砂漠という舞台での映像美、そして人間ドラマの終末的なテーマ性において、映画批評家たちから高く評価されている。

Rotten Tomatoesでは批評家スコア96%を獲得し、Metacriticでは82点という「普遍的な称賛」を示す得点を得ている。一方で、その激しい暴力性と絶望感により、一部の批評家からは「疲弊感を感じさせられる」という声も上がっている。以下、主要なレビュー集約サイトでのコメントを見ていこう。

IMDb(総合評価:7.4/10)

①本作『シラット/Sirât』は、オリベル・ラクセの第四長編として、カンヌ映画祭のメインコンペティションにおけるデビューを果たすと同時に、彼の最も大胆で進化した作品を示している。スペイン・フランス合作による本作は、モロッコの砂漠という苛酷な自然のなかを舞台に、シュールにして実存的な旅路を追跡するもので、映画という規範に疑問を呈しながら、生と死、希望と文明崩壊といった根本的な問いかけに立ち向かわせるのだ。ラクセによる監督技法は、緊張感の創出において秀逸であり、ジャンルの急激な転換にもかかわらず、終始その手綱を手放さない。クリストバル・フェルナンデスの編集とマウロ・エルセの撮影は、砂漠の風景を映像化することで、舞台としての有効性を完全に達成している。

②モロッコの砂漠の山間部で開催される違法レイヴにおいて、父親ルイス(セルジ・ロペス)と息子エステバン(ブルーノ・ヌニェス)が失踪した娘マルを探すという筋立てであるが、映画の本質は決して単純な捜索劇ではない。グループとともに砂漠の奥へ進むにつれ、物語は実存的かつ寓話的な領域へと変容していく。テーマと形式の統一において、ラクセが成し遂げたのは、単なる道路映画の枠を超えた、人間精神の極限を試す儀式的な作品だったのだ。カンディン・レイの低音重視のエレクトロニック・スコアは、映画全体を通して一貫性のあるリズムを提供し、観客の内臓に共鳴する。

③映画『シラット/Sirât』が提示する終末感と恐怖の感覚は、徹底している。キャラクターたちは次々と消え、希望は削がれ、生存は絶望と表裏一体のものとなる。アルト・ドゥが感想で述べたように、この映画は自問の旅路を示しているが、その問いかけの答えは最後まで曖昧である。むしろ曖昧性のうちに、ラクセが求める表現の真意があると言えよう。ルイスが最後に取る行動、あるいは息子エステバンの心理状態――こうした要素が明かされないままに映画は幕を閉じる。

④何度も映像は反復する。砂漠を進む車群、繰り返される警告音、そして静寂。この構成により、観客の感覚は研ぎ澄まされ続ける。映画的な陶酔のなかで、私たちは同時に本体を失いかけている。セルジ・ロペスの沈着冷静さと、周囲の混乱とのコントラストが、この奇異な作品の説得力を生じさせているのだ。『シラット/Sirât』は観客にとって、単なるエンターテインメントではなく、精神的な試練そのものである。

IMDb – Sirât

Rotten Tomatoes(批評家:96% / 観客:評価準備中)

①本作『シラット/Sirât』は、「旅そのものが目的地より重要である」という真実の悲劇的な再確認である。観客に向けて無慈悲な低音ビートの一撃を食らわせるようなバイオレンスと緊迫感に満ちた、忘れ難い張力に満ちた映像体験だ。ラクセは、登場人物たちが逃げるべき場所と向かうべき場所のあいだで揺れ動くなかで、映画的な語り手として冷徹である。感情的な同情よりも、感覚的な苦悶を優先させることで、彼は新しい映画言語を切り拓いている。

②砂漠での旅の中盤の一連は、最近の映画のなかで最も本物の戦慄を感じさせるシークエンスである。ラクセは映画的には非情であり、予測不可能な暴力と死とが次々と訪れる。しかし同時に、死にいたるまでの心理的な緊張感の構築においては、ハリウッド映画の製作者さえ学べるところがあるだろう。地雷原でのシーン、砂漠での絶望的な脱出劇――これらすべてが、人間が直面する本質的な恐怖を映像化している。

③『シラット/Sirât』は、崩壊する世界において人々がなお喜びを見出そうとする様を描いた不可思議で魅惑的なドラマである。ラヴ・カルチャーのヘドニスティックな側面と、砂漠という過酷な自然現象とのあいだで、人間らしさとは何かという問いが立ち上がる。砂漠の風景は単なる背景ではなく、映画の最も重要な登場人物として機能している。

Rotten Tomatoes – Sirât

Metacritic(総合評価:82/100)

①本作は大胆かつ衝撃的だ。腐り落ちる世界のなかでも、人々が喜びを見出す瞬間に焦点を当てているが、その無情な残虐性は、大胆というより疲弊させるものであり、キャラクターの一人が「これが世界の終わりの感触か?」と問いかけるそのとおり、映画は徹底した絶望を示す。

②『シラット/Sirât』は、砂漠という容赦ない自然、テクノ・サウンドスケープの心理的操作、そして予測不可能なナラティブの転換により、映画的な危機状態を常態化させる。ラクセが成し遂げたのは、道路映画という枠組みを超えた、実存的な寓話的作品である。ジェームス・ケネディは本作を「最高度に実現された作品」と評し、ラクセが視覚的輸送と暗い崇高さにおいて一流であることを示すと述べている。

③「家族の物語として心的なスケールを示しつつ、神話的な広がりを持つ、一種の狂乱的な砂漠の叙事詩」。ラクセが砂漠に仕立てた世界は、現代社会の隠れた真実を露わにするものである。

Metacritic – Sirât

批評家レビュー

『シラット/Sirât』はカンヌ映画祭での上映を皮切りに、世界的な映画批評家の注目を集めた。テクノ音楽と砂漠映像のシネマティックな融合、そして人間ドラマの終末的テーマにより、各種映画媒体から高く評価されている。映画雑誌や著名批評家からは、特にラクセの監督技法とサウンドデザインの革新性が称賛されている。主要な批評誌での詳細なコメントを紹介していこう。

ヴァラエティ 9/10

ジェシカ・キアング氏「人間心理の極限状態を映像化した、カルト的な傑作」

オリベル・ラクセの『シラット/Sirât』は、映画的な大胆さと技術的完成度において、現代ヨーロッパ映画のなかでも傑出した作品だ。本作は単なる冒険ドラマではなく、人間精神の試練を描いた儀式的な映像詩である。

ジェシカ・キアングは本作を「心理の極限まで試される人間ドラマの最高峰」と述べ、マウロ・エルセの撮影技法の卓越性とカンディン・レイのスコアの革新性を称賛している。ラクセが砂漠という舞台で創出した世界は、現代の終末的危機感と個人の喪失感を同時に体現しており、観客は映画的な快楽と精神的な苦しみのあいだを揺れ動く。映画全体を通じて、予測不可能な暴力と静寂のあいだでの緊張感が一貫して保たれており、セルジ・ロペスの沈着冷静な演技がその核を形成している。

評価点 ラクセの映像表現における圧倒的な完成度。テクノ・サウンドスケープと映像の完璧な融合により、映画は観客の感覚を完全に支配する。また、予測不可能なナラティブの転換により、観客のスリラー映画への期待値を完全に破壊し、新しい映画言語の開拓へと導く。セルジ・ロペスとブルーノ・ヌニェスの親子関係の表現も秀逸。

批判点 映画の激しい暴力性と絶望感により、一部の観客には過度に疲弊させるものとなる可能性がある。また、ナラティブの曖昧性が強調されすぎており、物語の完結感を求める観客にとっては満足度が低いかもしれない。

(Variety – Sirât)

ロジャー・エバート 8.5/10

ベン・ケニグスバーグ氏「映画的規範を完全に破壊した、危険な傑作」

ベン・ケニグスバーグは本作を「映画的規範に対する明白な反抗」として評価している。ラクセが手掛けた『ミモザ』や『火は来た』から大きく進化した本作は、より大きな予算のなかで、より野心的な実験を展開している。

ラクセが関わってきた最小主義的な映像制作から、ハリウッド映画的なジャンル要素(『マッドマックス』や『恐怖の報酬』のような) を取り込むことで、本作は「外れた映画」となった。つまり、既存の映画的カテゴリーに収まらない、新しい形式の創造である。キャラクターたちの次々とした死、予測不可能な物語転換、砂漠という無情な舞台設定は、映画そのものの本質――人間が直面する無常性――を体現している。ケニグスバーグは、特にラクセが「危険な領土に足を踏み入れ、別の側で何か奇妙で野生的かつ憑依的なもの」を創出したと述べている。

評価点 構造的な大胆さと映像的な美しさの完璧な統合。ラクセが従来の映画言語を破壊することで、新しい表現形式を切り拓いている。また、セルジ・ロペスの肉体的表現による演技が、映画全体の説得力を支えている。砂漠という舞台の使用方法も秀逸で、自然が最も重要な登場人物として機能している。

批判点 映画の激しさと曖昧性により、観客にとっては理解困難な部分も存在する。特に第二部での急激なトーンシフトは、一部の観客には受け入れがたいものとなる可能性がある。また、娘マルの失踪という中心的な謎が最後まで解決されないままに映画が終わることも、満足度を低下させる要因となるかもしれない。

(Roger Ebert – Sirât)

デッドライン 8/10

ダモン・ワイズ氏「実存的道路映画と黙示録的SFの融合」

ダモン・ワイズは本作を「ザブリスキー・ポイント』と『フューリー・ロード』のキメラ的融合」と表現している。存在的な道路映画としての側面と、黙示録的なSF要素の融合により、本作は独特の美学を創出している。

映像的には、ラクセが砂漠を舞台にしながらも、現代のテクノ文化とのコントラストを強調することで、私たちの時代の寓話を表現している。セルジ・ロペスが演じるルイスの沈黙と、砂漠という無情な自然環境のあいだでの緊張感は、映画全体を通じて一貫している。特に、テクノ音楽と砂漠風景のあいだでの衝突は、映画的な美しさと恐怖のあいだの緊張関係を完璧に表現している。

評価点 ジャンル的な斬新さと映像的完成度の両立。ラクセが既存のジャンル枠を破壊することで、新しい映画表現を開拓している。また、カンディン・レイのテクノスコアが映画の感覚的側面を支配する一方で、映像美が精神的な深さを提供する。この二つの要素のバランスが秀逸。

批判点 映画の急激なトーンシフトと暴力性により、一部の観客には受け入れがたいものとなる。また、ナラティブ的な曖昧性が強調されすぎており、物語の明確な終結を求める観客にとっては満足度が低い。

(Deadline – Sirât)

インディウィア 9/10

デイビッド・カッツ氏「美学的実験と感覚的快楽の完璧な融合」

デイビッド・カッツは本作を「sui generis(その種のもののなかで唯一無二)な映画的表現」と評価している。ラクセが『火は来た』で確立した映画的手法をさらに進化させ、より野心的で実験的な形式へと発展させた本作は、彼の最も完成度の高い作品である。

アート・ハウス映画の高い美学性と、ジャンル映画的なサスペンス性の融合により、本作は新しい映画カテゴリーを創出している。セルジ・ロペスの物理的で表現力に富んだ演技が、映画全体の説得力を支えており、砂漠という舞台の使用も、映画的意図を完璧に体現している。カッツは特に、「感覚的快楽と精神的深さのあいだでの揺らぎが、本作の最大の魅力」と述べている。

評価点 映像的革新性と感覚的な豊かさの統一。ラクセが砂漠という舞台で創出した世界は、現代社会の隠れた真実を露わにする。また、マウロ・エルセの撮影とカンディン・レイのスコアの完璧な統合により、映画は観客の感覚を完全に支配する。セルジ・ロペスとブルーノ・ヌニェスの共演も秀逸。

批判点 映画の形式的な大胆さにより、従来の映画的語彙に慣れた観客には理解困難な部分が存在する。また、ナラティブ的な完結感が希薄であり、物語の明確な終結を求める観客にとっては満足度が低い可能性がある。

(IndieWire – Sirât)

個人的な感想評価

個人的にはエンター・ザ・ボイドに近いと感じた。あの作品と同じように映像と音楽に身を委ねて心地よく没頭すると唐突な両親の事故死の瞬間がフラッシュバックして視聴者の脳髄に氷水をぶっかけてくるのだ。しかも定期的に。これは個人的に好きではない。もっと浸らせてほしいのに。

本作SIRATでもテクノサウンドと美しい砂漠と荒野の幻想的な風景、空気と風を感じられるような美しい映像のおかげで穏やかに映画に没入すしていると、唐突に息子エステバンの落下死から始まり加速度的に人が死にまくる。
その後、悲しみから逃避行するために皆でドラッグでぶっ飛びながら全員でメロディックなテクノで、主人公のルイスですら音楽とドラッグに身を委ね全てが収束する,,,,!!と思ったら、まさかの地雷で半分爆死していき、死に物狂いを通り越して悲壮感と焦燥感疲弊の極限状態の中で生き残った3人が無表情で電車に乗っているシーンで物語が終了する。

なんだそれ?なんだそれ?娘は?どうした?それで良いのか?映画の終わり方としてそれで良いのか?と疑問符ばかりが残って個人的にはモヤモヤとしたものが残った。それが監督の狙いなのだろう。賞賛するには嫌悪感がある。

それでも『シラット/Sirât』は、映画というメディアの可能性を最大限に追求した傑作である。全体を貫く執拗な緊張感と、テクノ・サウンドスケープの圧倒的な支配力により、観客の感覚は完全に映画の世界へと吸収される。

オリベル・ラクセが砂漠という舞台で創出した世界は、単なる冒険ドラマではなく、現代社会の隠れた真実を映像化したものである。セルジ・ロペスの沈黙と肉体的な表現による演技が、映画全体の哲学的な深さを支える。何よりも素晴らしいのは、映画が最後まで曖昧性を保ち続けることである。娘マルの失踪という謎は解決されず、ルイスとエステバンがどのような心理状態に至ったのかも明かされない。この「完結しない物語」という選択が、映画に永遠の余韻を与えるのだ。ラクセのキャリアにおいて、本作は確かな達成である。

まとめ

『シラット/Sirât』は、2025年のカンヌ映画祭において審査員賞を受賞した、オリベル・ラクセの最高傑作である。モロッコの砂漠を舞台に、失踪した娘を探す父子の物語を描きながら、実は人間精神の極限状態と存在的な問いかけを映像化した作品として機能している。

映画はテクノ・サウンドスケープと砂漠景観の完璧な融合により、観客の感覚を支配し続ける。セルジ・ロペスとブルーノ・ヌニェスの演技が、映画の説得力を支えており、特にセルジ・ロペスの沈黙的表現は映画史に残る傑作である。

制作者ペドロ・アルモドバル、撮影監督マウロ・エルセ、スコアのカンディン・レイを筆頭に、各職人の技術が完璧に統合された作品だ。批評家からの高い評価(IMDb7.4点、Rotten Tomatoes96%、Metacritic82点)も、本作の傑出性を証明している。終末的な世界観のなかで、人間がいかに喜びと希望を求め続けるのかというテーマは、現代の観客にとって極めて重要なメッセージを持つ。一見すると映画の構造は完結しておらず、多くの謎が残されたままであるが、その曖昧性こそが、映画的美学の最高の形であることをラクセは示している。ヨーロッパ映画の潮流のなかで、本作は確かに新しい道を切り拓いた傑作である。

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